Re: なかの区、お前さん土佐人かい
投稿者: kirameku9umi 投稿日時: 2008/12/17 10:10 投稿番号: [46070 / 73791]
>土佐人で尊敬するのは、中岡慎太郎と武市半平太だ。
トピズレなんですが・・・私としては土佐の雄「長宗我部元親」のことも、全国の人に良く知って欲しいと思っています。
長宗我部元親は、司馬遼太郎の「夏草の賦」や宮路佐一郎・「長宗我部元親」でも描かれていますが、その知名度はまだまだ低いようです。
http://www10.ocn.ne.jp/~kenjiro/tosa/cyosogabemotochika.htm(最近は、若い女性にも戦国ゲームの影響で「元親・信親」親子の人気が出ているようですが・・・)
密かに、NHKの大河ドラマに登場させて欲しいと願っています。・・・戸次川の死闘で散った信親の奮戦を、島津藩士から聞かされた坂本龍馬は感涙したといいます。
【天正十四年(1586年)、九州平定を目指す豊臣軍は仙石権兵衛秀久の指揮の下、島津領に進軍した。その中に、長宗我部元親・信親父子、「鬼十河」こと十河存保も従軍していた。十二月十二日、戸次川をはさみ、島津軍と対峙していた豊臣軍が、無謀な渡河作戦を決行。島津軍の伏兵作戦により、豊臣軍は大混乱となり、総大将・仙石秀久の部隊は瞬く間に崩れ去った。秀久の部隊は一軍ちりぢりに退却したあげく、秀久自身は淡路の洲本まで逃走した。あとには、苛烈に迫り来る島津勢の中に、長宗我部隊と十河隊が取り残された。これよりおこなわれた死闘が、秀吉時代稀に見る激戦、戸次川の合戦である。
信親の部隊は乱戦の中、島津勢と死闘を演じた。信親は槍を折られ、太刀を抜いて返り血を浴びるほど戦うが、その隊は次第に討ち減らされ、七百名まで減った。信親が「ここを死所と決めた」と言うと将兵は皆、死兵と化し、四千の島津勢に突撃し、凄まじい白兵戦となった。
信親以下七百人は戸次川の河原にことごとく散った。その戦いは、強兵をもって鳴る薩摩の島津勢を感嘆せしめた。十河存保も共に戦死した。辛うじて敵から逃れたあと、信親の死を知った元親は馬上で泣き続けたという。】・・・ネットホームページより引用
これは メッセージ 46058 (san_po_miti さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/a4a4a4ha4a4a4h4z9qbeclga4xa5aba5a6a5sa5ha5c0a5a6a5sa1aa_1/46070.html