いよいよ韓国消滅へカウントダウン!

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朝鮮王「栄親王」 - 帰国を阻んだ李承晩

投稿者: k_g_y_007_naoko 投稿日時: 2008/12/04 20:06 投稿番号: [45370 / 73791]
投稿者:爺

栄親王の日本生活を伝える写真を公開
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=108109&servcode=400§code=400

中央日報の歴史観ではこういう書き方になるらしい..(苦笑


しかし、実際は..

>1950(昭和25)年には、マッカーサーに招かれて来日した大韓民国初代大統領・李承晩(リ・ショウバン)と李垠が会談をしたが、李承晩は故国への帰国を願望していた李垠に対して、「帰国したいなら帰ってきなさい」と言い放つ。

冷たく扱われた李垠は、結局、帰国をあきらめた。

1960(昭和35)年に大統領に4度選ばれた李承晩であったが、翌年、不正選挙を激怒した学生たちによる民主化革命により失脚、クーデターに成功して権力を握った朴正煕(パク・チヨンヒ)が、脳血栓で倒れた李垠の容態を案じ、韓国での生活費や療養費を韓国政府が保証するので、帰国されたいと連絡するところなる。

1963(昭和38)年11月22日、皇太子として11歳で故国を後にして以来、朝鮮戦争の結果38度線で南北に分断された祖国韓国に、実に56年ぶりに帰国する夫李垠にともなって韓国籍を取得した方子は韓国へわたる。

李承晩政権による12年間に渡る厳しい排日政策の結果、反日感情は極限に達していたが、韓国国民は夫妻の帰国を大歓迎、沿道はちぎれるように手をふる出迎えの人並みの歓呼の声に包まれ。だが、脳血栓と脳軟化症ですでに意識は無くベッドに寝たままの李垠は、それすら目にすることができず、また国の土を踏むことなく、そのまま病院車でソウルの聖母病院に直行せざるをえなかった(帰国7年後の1970年に李垠は死去)。

韓国に帰国されることは許されたが、かつての国王としての財産は没収されたため、韓国政府から支給される経費は、李垠の入院費と生活費で消えしまった。そうした中、方子は資金を稼ぐために、趣味で作っていた七宝焼を売りはじめる一方、ポリオなどで麻痺した子どもたちの自立能力を引き出すことを目指して精神薄弱児の教育に情熱を注ぐ。

方子の努力は知的障害児施設「明暉園」(めいきえん/ミョンヒウォン。「明暉」は李垠の雅号)の設立、その後の精神薄弱児のための「慈恵学校」の創設で結実し、多くの韓国国民から、「韓国障害児の母」として敬愛される存在となるが、1989(平成元)年、87歳で逝去した。

ここに、15歳の時の「日韓の架け橋」になろうとの決意のままに、その後の72年間の「波乱といばらの道」を歩き続けた方子は、その数奇な人生を閉じたのである。
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/rimasako.htm
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