いよいよ韓国消滅へカウントダウン!

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Re: アジアの独立

投稿者: pokosi2000 投稿日時: 2008/11/03 20:42 投稿番号: [43524 / 73791]
オランダは、どうしよう無い国です。
完全かつ最終的に請求権の問題は解決したにも関わらず。
2度目3度目も金を日本からむしりとろうとしています。
ヨーロッパの乞食国家と言うべきでしょう。

ドイツの戦争中SS師団が2つもできナチスに協力した国です。
インドネシアの独立戦争中、インドネシア人を80万人虐殺しながらなんの謝罪も賠償も行っていません。
英語でダッチがつく言葉はろくなものがありません。
ダッチワイフ・ダッチロールなどでしょうね。


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日本が英米に攻撃を開始して太平洋戦争が勃発すると、イギリスに亡命していたオランダ王国政府は日本に宣戦布告して日蘭は戦争状態となった。日本はオランダが植民地支配していた東インド(後のインドネシア)の石油資源の獲得を目的に1942年2月に侵攻作戦を開始、大東亜政略指導大綱で領有する方針が決定された。

植民地軍はまともな抵抗ができないまま、3月10日にオランダ軍は全面降伏した。ここで日本軍はオランダ軍人4万人と民間人9万人を捕虜にしたが、捕虜は自分達が東インド住民を懲罰するために設けた監獄に自ら入れられるという屈辱を味わった。また、日本軍がオランダ人女性を強制連行し慰安婦にした白馬事件も起こった。日本の敗戦後、オランダ軍はこれらの日本軍人をBC級戦犯として逮捕、拷問・処刑を行った(連合国中で最も多い226人の日本人を処刑)。

戦後もオランダでは、反日感情が根強く、1971年の昭和天皇オランダ訪問の際に卵が投げつけられたり、手植えの苗を引き抜かれたりした。1986年にはベアトリクス女王の訪日が国内世論の反発により中止され、また1991年に来日した女王は、1951年のサンフランシスコ講和条約と1956年の日蘭議定書では賠償問題が法的には国家間において解決されているにもかかわらず、宮中晩餐会で「日本のオランダ人捕虜問題は、お国ではあまり知られていない歴史の一章です」として賠償を要求した。それに対して日本政府はアジア女性基金により総額2億5500万円の医療福祉支援を個人に対して実施した。

その後の両国関係は概ね安定しており、2003年のイラク戦争では両国共にアメリカを支持し、自衛隊イラク派遣においてはオランダ派遣軍が治安維持を担当する地域に派遣された陸上自衛隊に対して(先に活動を行っていた立場から)指導・協力を行った。


[編集] 賠償問題
第2次大戦における日本のオランダに対する賠償問題は、1951年の日本国との平和条約(サンフランシスコ講和条約)と1956年の日蘭議定書により法的には解決され、日本側は当時の金額で1千万ドル(36億円)を「見舞金」名目で元捕虜や民間人へ支払った。この時の日蘭議定書第三条には「オランダ王国政府は、同政府又はオランダ国民が、第二次世界大戦の間に日本国政府の機関がオランダ国民に与えた苦痛について、いかなる請求をも日本国政府に対して提起しないことを確認する」とある。しかし、個人補償は政府間の議定書には縛られないので、1990年に対日道義的債務基金(JES)が結成され、日本政府に対して法的責任を認めて一人当たり約2万ドルの補償をもとめる運動がはじまった。これに対し日本は2億5500万円を支払い、2001年「償い事業」が終了したとしているが、2007年、オランダ下院は日本政府に対し元慰安婦への補償などを求める決議案を全会一致で可決している。アメリカ議会で日本非難決議案が可決されたことが影響しているとされる。



http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%80
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