Re: KGT民族と日本人の文化的遺伝子の相違
投稿者: tokagenoheso 投稿日時: 2008/10/17 16:38 投稿番号: [41733 / 73791]
>文化的には完全に西欧文明とは異質ではあったが、洗練されたレベルにあったと言えまんな。
基準を西洋文化に置くなら確かに日本の文化は機械文明において遅れていたことを否定はしない。
しかし、当時世界で男女ともに75%もの識字率を誇り、書籍出版が庶民レベルで普通に行われ、世界で最初の為替取引が行われ、大阪市場では世界に先駆けて米の先物取引が行われている。当時、世界では高くても識字率は25%位だった。
江戸は、当時常に水の流れる上水道を備えていた世界で唯一の大都市であり、人口も世界最大でありながら犯罪発生率は非常に少なかった。だから、当時女が一人東海道を旅して江戸と京、大坂を行き出来た程だ。当時、ヨーロッパでも、世界のどこでも、都市部でさえ女が一人歩きすることなど危なくて出来なかった。
庶民もほぼ毎日風呂に入る習慣があり、中流以上の家には各戸風呂とトイレが付いていたし、長屋には共同トイレがあったし、辻々に公衆トイレもあった。当時のヨーロッパでは王宮にもトイレが無く、お丸に用を足して窓から投げ捨てるのが当たり前であり、晴れていても傘は必需品だった。女性は庭の片隅で用を足すために広がったスカートをはく必要があった。
風呂に入る習慣も全くなく、エリザベス一世などは年に二回風呂に入ったばかりに、異常にきれい好きな女王と言われた。ヨーロッパではあまりに不潔なためペストが大流行し、それによって人口が半減し、それに懲りて下水道が造られるようになった。パリの大下水道はその時の遺産だ。
日本では江戸時代には農奴などは居なかったし、農民も町人も町役人や村役人組織を持ってかなりの自治権を持っていたが、当時のヨーロッパの農民は完全な農奴で、領主に生殺与奪の権を完全に握られ、また土地とともに売り買いされる存在でありもちろん、文字を読むなどはあり得なかった。
これだけ庶民が虐げられていたから、キリスト教にすがるしかなく、したがって、キリスト教はオカルトと化し中世の暗黒時代を作りだした。
他にもいろいろあるが、安土桃山時代から多くの宣教師が日本を訪れ、日本が豊かな文化を持っていることに驚き、宗教を別にして日本人は自分たちより優れている、と本国に書き送っている。
武士は支配階級だったが決して豊かだったわけではなく、責任感と規律と誇りによって権威を保っていた。当時のヨーロッパなどでは、財力で権威を示す必要があった。
日本が開国後瞬く間に西欧文明を我が物にし、いち早く一般選挙を実施したが、これは西欧と比べても決して遅くはない。地方レベルではあったが、女性参政権の実施は世界で一番早いとさえ言われている。
従来の歴史学や比較文化論は主として西欧において発達し、あくまで西欧の価値観、文化、基準で作られている。が、民度が高く、豊かで穏やかな社会というのであれば、日本は文句なく当時から世界一の文化国家だったのだ。
だから、今でも日本文化は100年以上にも渡って絶え間なく西欧に影響を与え続けている。クールジャパンは今に始まったことではない。
つまり、江戸時代から日本は確固たる文化国家だったのだ。ただ、その評価を西欧が出来なかったと言うだけだ。
それはアフリカ文化にも言える。西欧でできあがった歴史学によって、アフリカは暗黒大陸とされたが、それは西欧人がアフリカを知らなかっただけで、西欧が野蛮だった頃すでにマリやガーナなどでは高度な文明が発達し、ローデシア文明などはそれなりに、西欧とは違う方向でかなり高い文明であったことが分かってきている。アフリカでは数百年前にすでに中国などとの交易も盛んに行われていた。文明の質が西欧と違ったと言うだけだ。それは日本も同じだよ。
文化文明の評価は、一つの基準ですべき物ではない。従来の西欧文明が第一という視点でしか文明を判断しないやり方は西欧でも批判され反省されつつある。
基準を西洋文化に置くなら確かに日本の文化は機械文明において遅れていたことを否定はしない。
しかし、当時世界で男女ともに75%もの識字率を誇り、書籍出版が庶民レベルで普通に行われ、世界で最初の為替取引が行われ、大阪市場では世界に先駆けて米の先物取引が行われている。当時、世界では高くても識字率は25%位だった。
江戸は、当時常に水の流れる上水道を備えていた世界で唯一の大都市であり、人口も世界最大でありながら犯罪発生率は非常に少なかった。だから、当時女が一人東海道を旅して江戸と京、大坂を行き出来た程だ。当時、ヨーロッパでも、世界のどこでも、都市部でさえ女が一人歩きすることなど危なくて出来なかった。
庶民もほぼ毎日風呂に入る習慣があり、中流以上の家には各戸風呂とトイレが付いていたし、長屋には共同トイレがあったし、辻々に公衆トイレもあった。当時のヨーロッパでは王宮にもトイレが無く、お丸に用を足して窓から投げ捨てるのが当たり前であり、晴れていても傘は必需品だった。女性は庭の片隅で用を足すために広がったスカートをはく必要があった。
風呂に入る習慣も全くなく、エリザベス一世などは年に二回風呂に入ったばかりに、異常にきれい好きな女王と言われた。ヨーロッパではあまりに不潔なためペストが大流行し、それによって人口が半減し、それに懲りて下水道が造られるようになった。パリの大下水道はその時の遺産だ。
日本では江戸時代には農奴などは居なかったし、農民も町人も町役人や村役人組織を持ってかなりの自治権を持っていたが、当時のヨーロッパの農民は完全な農奴で、領主に生殺与奪の権を完全に握られ、また土地とともに売り買いされる存在でありもちろん、文字を読むなどはあり得なかった。
これだけ庶民が虐げられていたから、キリスト教にすがるしかなく、したがって、キリスト教はオカルトと化し中世の暗黒時代を作りだした。
他にもいろいろあるが、安土桃山時代から多くの宣教師が日本を訪れ、日本が豊かな文化を持っていることに驚き、宗教を別にして日本人は自分たちより優れている、と本国に書き送っている。
武士は支配階級だったが決して豊かだったわけではなく、責任感と規律と誇りによって権威を保っていた。当時のヨーロッパなどでは、財力で権威を示す必要があった。
日本が開国後瞬く間に西欧文明を我が物にし、いち早く一般選挙を実施したが、これは西欧と比べても決して遅くはない。地方レベルではあったが、女性参政権の実施は世界で一番早いとさえ言われている。
従来の歴史学や比較文化論は主として西欧において発達し、あくまで西欧の価値観、文化、基準で作られている。が、民度が高く、豊かで穏やかな社会というのであれば、日本は文句なく当時から世界一の文化国家だったのだ。
だから、今でも日本文化は100年以上にも渡って絶え間なく西欧に影響を与え続けている。クールジャパンは今に始まったことではない。
つまり、江戸時代から日本は確固たる文化国家だったのだ。ただ、その評価を西欧が出来なかったと言うだけだ。
それはアフリカ文化にも言える。西欧でできあがった歴史学によって、アフリカは暗黒大陸とされたが、それは西欧人がアフリカを知らなかっただけで、西欧が野蛮だった頃すでにマリやガーナなどでは高度な文明が発達し、ローデシア文明などはそれなりに、西欧とは違う方向でかなり高い文明であったことが分かってきている。アフリカでは数百年前にすでに中国などとの交易も盛んに行われていた。文明の質が西欧と違ったと言うだけだ。それは日本も同じだよ。
文化文明の評価は、一つの基準ですべき物ではない。従来の西欧文明が第一という視点でしか文明を判断しないやり方は西欧でも批判され反省されつつある。
これは メッセージ 41726 (publicopinion100 さん)への返信です.