竹島(独島) - 中央日報紙の大嘘(1)
投稿者: k_g_y_007_naoko 投稿日時: 2008/08/08 18:23 投稿番号: [37009 / 73791]
投稿者:拓
<グローバルアイ>切り札を出せない韓国外交
↓
>こうした例えは、独島問題をめぐる外交で直ちに確認される。韓国は「新羅(シルラ、B.C.57〜A.D.935)の智證王(チジュン王、新羅第22代王、437〜514)時代から韓国領であり、実効支配している」という「確実なカード」1枚しか出さない。
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=103275&servcode=A00§code=A00
↑
とんでもない大嘘ですね。中央日報さん、以下をどうぞ↓
http://blog.livedoor.jp/tbstommy_static/archives/439215.html
1 「三國史記」1145年
巻四 智證麻于十三年(西暦512年)夏六月条
于山國征服、歳以土宜為貢、于山國、在溟州東海島、或名鬱陵島、地方一百里、恃嶮不服、伊喰異斯夫、為何琵羅州軍主、謂于山人愚悍、難以威来、可以計服、乃多造木偶師子、分載戦船、抵其國海岸、誑告曰、汝若不服、則放此猛獣踏殺之、國人恐懼則降
key point
「于山國征服」「或名鬱陵島」「地方一百里」
>この「百里」という大きさから、竹島(獨島)では無いとわかります。
さて、まずここで疑問「獨島」は20世紀の言葉ですが、この資料に出てくる「于山」は1000年前の言葉です。
獨島は512年から領土というなら、「獨島=于山島」を証明する必要があります。
2 「三國遺事」13C
巻一 智哲老王
何琵羅州今溟州東海中、便風二日程、有于陵島今作羽陵、周廻二万六千七百三十歩、島夷恃其水深、橋傲不臣、王命伊喰朴伊宗、将兵討之、宗作木偶師子、載於大艦之上、威之云、不降則放此獣、島夷畏而降賞宗為州伯
keypoint
「有于陵島今作羽陵、周廻二万六千七百三十歩」
この記述から、「鬱陵島」だと分かりますね。
3 「太宗実録」1417年
太宗十七年二月壬戌条
安撫使金麟雨、還自于山島、献土産大竹・水牛皮・生苧・綿子・検樸木等物、且率居人三名以来、其島戸凡十五口男女并八十六、麟雨之往還也、再逢颶風、僅得其生
この記述は、「于山島で、豊富な作物がとれること」を、示しています。しかも86名物人間(Tommy注:86名もの人間)が生活していると言うことは、竹島(獨島)では無いです。
ここでも、于山島=鬱陵島ですね。
近代国際法の観点からは
1905年に、明治政府が「島根県への編入」をし、1600年代からの、実効支配を継続する。
1950年になるまで、韓国側から「竹島領有」に関する抗議無し。よって、日本の実効支配が成立している。
サンフランシスコ条約にて、日本の領土のままであることが、判明する。
最終決定の条約では、「竹島」が返還すべき領土には、書かれていない。
だから、日本領土のままである。
1965年の日韓基本条約にて「領土問題は、国際機関での話し合いにて解決する」という基本方針が結ばれる。
それ以降 現在に至るまで、日本政府は毎年抗議し、国際司法裁判所への出廷を求めているため、韓国の実効支配は成立していない。
(韓国人は、条約の途中経過で「獨島は、韓国領土」と言うが、最終決定の条約とは、何ら関係がない。途中経過は、条約として効力を持っていない。例えばSCAPIN667やSCAPIN1033のことである。また、この途中経過は、UNが調査した結果 誤りであると認めている。)
結論
朝鮮の歴史資料には、「鬱陵島とchukdo」のことしか書かれていない。
「獨島=于山島」というのが、韓国の捏造である。
[その他の資料]
「「國史編纂委員會編」『邊例集要』巻17
安竜福は「于山島を鬱陵島より、ずっと大きな島だった」と言っている。しかし鬱陵島と日本本土との間には、大きな島は「隠岐」以外には存在しない。つまり安が見た大きな島とは、「隠岐」だったのである。(「隠岐」の面積は、鬱陵島の4.8倍) 。その他、「竹島(獨島)に大勢の人間が居住している」などの嘘もついている。つまり、安竜福と、日本の竹島には関係が無い。
<グローバルアイ>切り札を出せない韓国外交
↓
>こうした例えは、独島問題をめぐる外交で直ちに確認される。韓国は「新羅(シルラ、B.C.57〜A.D.935)の智證王(チジュン王、新羅第22代王、437〜514)時代から韓国領であり、実効支配している」という「確実なカード」1枚しか出さない。
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=103275&servcode=A00§code=A00
↑
とんでもない大嘘ですね。中央日報さん、以下をどうぞ↓
http://blog.livedoor.jp/tbstommy_static/archives/439215.html
1 「三國史記」1145年
巻四 智證麻于十三年(西暦512年)夏六月条
于山國征服、歳以土宜為貢、于山國、在溟州東海島、或名鬱陵島、地方一百里、恃嶮不服、伊喰異斯夫、為何琵羅州軍主、謂于山人愚悍、難以威来、可以計服、乃多造木偶師子、分載戦船、抵其國海岸、誑告曰、汝若不服、則放此猛獣踏殺之、國人恐懼則降
key point
「于山國征服」「或名鬱陵島」「地方一百里」
>この「百里」という大きさから、竹島(獨島)では無いとわかります。
さて、まずここで疑問「獨島」は20世紀の言葉ですが、この資料に出てくる「于山」は1000年前の言葉です。
獨島は512年から領土というなら、「獨島=于山島」を証明する必要があります。
2 「三國遺事」13C
巻一 智哲老王
何琵羅州今溟州東海中、便風二日程、有于陵島今作羽陵、周廻二万六千七百三十歩、島夷恃其水深、橋傲不臣、王命伊喰朴伊宗、将兵討之、宗作木偶師子、載於大艦之上、威之云、不降則放此獣、島夷畏而降賞宗為州伯
keypoint
「有于陵島今作羽陵、周廻二万六千七百三十歩」
この記述から、「鬱陵島」だと分かりますね。
3 「太宗実録」1417年
太宗十七年二月壬戌条
安撫使金麟雨、還自于山島、献土産大竹・水牛皮・生苧・綿子・検樸木等物、且率居人三名以来、其島戸凡十五口男女并八十六、麟雨之往還也、再逢颶風、僅得其生
この記述は、「于山島で、豊富な作物がとれること」を、示しています。しかも86名物人間(Tommy注:86名もの人間)が生活していると言うことは、竹島(獨島)では無いです。
ここでも、于山島=鬱陵島ですね。
近代国際法の観点からは
1905年に、明治政府が「島根県への編入」をし、1600年代からの、実効支配を継続する。
1950年になるまで、韓国側から「竹島領有」に関する抗議無し。よって、日本の実効支配が成立している。
サンフランシスコ条約にて、日本の領土のままであることが、判明する。
最終決定の条約では、「竹島」が返還すべき領土には、書かれていない。
だから、日本領土のままである。
1965年の日韓基本条約にて「領土問題は、国際機関での話し合いにて解決する」という基本方針が結ばれる。
それ以降 現在に至るまで、日本政府は毎年抗議し、国際司法裁判所への出廷を求めているため、韓国の実効支配は成立していない。
(韓国人は、条約の途中経過で「獨島は、韓国領土」と言うが、最終決定の条約とは、何ら関係がない。途中経過は、条約として効力を持っていない。例えばSCAPIN667やSCAPIN1033のことである。また、この途中経過は、UNが調査した結果 誤りであると認めている。)
結論
朝鮮の歴史資料には、「鬱陵島とchukdo」のことしか書かれていない。
「獨島=于山島」というのが、韓国の捏造である。
[その他の資料]
「「國史編纂委員會編」『邊例集要』巻17
安竜福は「于山島を鬱陵島より、ずっと大きな島だった」と言っている。しかし鬱陵島と日本本土との間には、大きな島は「隠岐」以外には存在しない。つまり安が見た大きな島とは、「隠岐」だったのである。(「隠岐」の面積は、鬱陵島の4.8倍) 。その他、「竹島(獨島)に大勢の人間が居住している」などの嘘もついている。つまり、安竜福と、日本の竹島には関係が無い。
これは メッセージ 1 (may7idaho さん)への返信です.