中央日報さんが熱さで熱中病に^^;
投稿者: k_g_y_007_naoko 投稿日時: 2008/07/21 01:24 投稿番号: [36346 / 73791]
投稿者:直子
うわー、なにこの記事? それも社説よね^^; 歴史をまったく勉強してない人が書いてるのですか? それとも、熱さのせいで、もう何も考えられなくなったとか...^^;
<コラム>「国を守る力がなければ、平和を享受する資格なし」
ポーツマス(Portsmouth)には日本の野心が保管されている。独島(トクト、日本名・竹島)の悲劇が決定した場所がポーツマス。ここで1世紀前(1905年9月)日本とロシアの韓半島の運命をめぐる駆け引きがあったのだ。
米国東部ニューハンプシャー州の港湾都市ポーツマス。米国の仲裁で日露戦争を終える条約が締結された場所だ。私はポーツマスで受けた衝撃が忘れられない。戦争100周年記念の年だった4年前、その歴史の現場を訪れた時のことだ。2つの怒りと嘆きが私の胸の中にほとばしった。
条約が締結された場所は、ポーツマスの米海軍基地の中に残っている。赤レンガの平凡な3階建ての建物は100年前のままだった。2階の小さな展示室には、緊迫していた交渉の資料、条約文、旗、ペン、写真、テーブル、記念ハガキなどが置かれていた。資料にはロシアのバルチック艦隊との決戦を控え、日本の連合艦隊が独島を強制的に占領したという説明もあった。
戦争の勝者は日本だ。ポーツマス条約は朝鮮(チョソン)を滅亡に追いやった。この条約が結ばれた2カ月後に乙巳(ウルサ)保護条約(第二次日韓協約)が成立した。展示物のコンセプトは「平和」だった。建物の別称も平和ビルだ。新聞の1面の見出しも平和だった。私の心はこれを受け入れることができなかった。強大国にはポーツマス条約が平和の象徴だったろうが、貧しく弱かった朝鮮の民は国を失う絶望の象徴だった。次のような記録文も残っている。
「国を守る能力がなければ平和を享受する資格はない」。
展示館のキュレーターの話は、私をさらに憂うつにした。「私の記憶では、この場所へ勉強しに来た韓国の歴史学者や外交官はいなかった」その中にはいぶかしさが混ざっていた。日本の韓半島強占の野心をそっくりそのまま保管してきたポーツマス、東海(トンへ、日本名・日本海)が日本海に変わったのもこの条約からだ。キュレーターの言葉はこの場所を訪れもしないのかと責められているようだった。そして、韓国歴史学界と外交家の怠慢を叱責するかのようでもあった。
歴史研究においてフィールドワークは最も重要なものだ。フィールドワークが抜け落ちた研究は学問的な信頼度を得られない。教訓は半減される。ポーツマスの日本代表は小村寿太郎外相だ。小村外相の外交は日本外交のノウハウとして伝授されている。小村外相率いる外務省は、日本の朝鮮侵略プログラムを作成した。独島問題の戦略的な指令塔は外務省だ。韓国の学界における小村外相の研究はまだ深く行われていない上、日本の外務省を深く分析した研究書を見つけるのも容易ではない。
日本は成功した。独島を国際紛争化しようという意図は成果を得た。独島領有権の解説書明記問題に周辺国は我関せずの姿勢を取っている。米国は「韓日両国の問題」として中立を守っている。中国政府からも特別な反応がない。
日本が周期的に独島の挑発に乗り出す大胆さはどこから来るのだろうか。日本は韓国の弱点を把握している。韓国の独島への関心は絶対的で、学界の独島研究も多い。しかしその大半が国内用だ。民族主義的な感情が濃い。政府は実質支配を叫ぶが、実践は遅い。サイバー外交団「VANK」、カナダ司書のキム・ハナ氏ら、若い世代の独島への情熱に依存せざるを得ない。口先だけで腹がふくれ、内実が不足している弱点を日本が逃すはずがない。
政界は独島ポピュリズムであふれている。特別法を作って対馬を取り戻そうという主張や、海上警察の代わりに海軍を派遣しようという主張があちこちから聞こえてくる。海軍の力で言えば日本の方が圧倒的だ。海軍の力の計算はイージス艦の保有数で決まる。日本が6隻なのに対し、韓国は今年の末に1隻を実戦配置する。独島海戦が行われればどうか。李舜臣(イ・スンシン)将軍ならば別かもしれないが、戦力数値から分析した場合、韓国の敗北は目に見えている・・・ <続きは以下をご参照ください^^;>
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=102652&servcode=100§code=100
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詳細は、読者コメント欄をご一読くださいまし^^
うわー、なにこの記事? それも社説よね^^; 歴史をまったく勉強してない人が書いてるのですか? それとも、熱さのせいで、もう何も考えられなくなったとか...^^;
<コラム>「国を守る力がなければ、平和を享受する資格なし」
ポーツマス(Portsmouth)には日本の野心が保管されている。独島(トクト、日本名・竹島)の悲劇が決定した場所がポーツマス。ここで1世紀前(1905年9月)日本とロシアの韓半島の運命をめぐる駆け引きがあったのだ。
米国東部ニューハンプシャー州の港湾都市ポーツマス。米国の仲裁で日露戦争を終える条約が締結された場所だ。私はポーツマスで受けた衝撃が忘れられない。戦争100周年記念の年だった4年前、その歴史の現場を訪れた時のことだ。2つの怒りと嘆きが私の胸の中にほとばしった。
条約が締結された場所は、ポーツマスの米海軍基地の中に残っている。赤レンガの平凡な3階建ての建物は100年前のままだった。2階の小さな展示室には、緊迫していた交渉の資料、条約文、旗、ペン、写真、テーブル、記念ハガキなどが置かれていた。資料にはロシアのバルチック艦隊との決戦を控え、日本の連合艦隊が独島を強制的に占領したという説明もあった。
戦争の勝者は日本だ。ポーツマス条約は朝鮮(チョソン)を滅亡に追いやった。この条約が結ばれた2カ月後に乙巳(ウルサ)保護条約(第二次日韓協約)が成立した。展示物のコンセプトは「平和」だった。建物の別称も平和ビルだ。新聞の1面の見出しも平和だった。私の心はこれを受け入れることができなかった。強大国にはポーツマス条約が平和の象徴だったろうが、貧しく弱かった朝鮮の民は国を失う絶望の象徴だった。次のような記録文も残っている。
「国を守る能力がなければ平和を享受する資格はない」。
展示館のキュレーターの話は、私をさらに憂うつにした。「私の記憶では、この場所へ勉強しに来た韓国の歴史学者や外交官はいなかった」その中にはいぶかしさが混ざっていた。日本の韓半島強占の野心をそっくりそのまま保管してきたポーツマス、東海(トンへ、日本名・日本海)が日本海に変わったのもこの条約からだ。キュレーターの言葉はこの場所を訪れもしないのかと責められているようだった。そして、韓国歴史学界と外交家の怠慢を叱責するかのようでもあった。
歴史研究においてフィールドワークは最も重要なものだ。フィールドワークが抜け落ちた研究は学問的な信頼度を得られない。教訓は半減される。ポーツマスの日本代表は小村寿太郎外相だ。小村外相の外交は日本外交のノウハウとして伝授されている。小村外相率いる外務省は、日本の朝鮮侵略プログラムを作成した。独島問題の戦略的な指令塔は外務省だ。韓国の学界における小村外相の研究はまだ深く行われていない上、日本の外務省を深く分析した研究書を見つけるのも容易ではない。
日本は成功した。独島を国際紛争化しようという意図は成果を得た。独島領有権の解説書明記問題に周辺国は我関せずの姿勢を取っている。米国は「韓日両国の問題」として中立を守っている。中国政府からも特別な反応がない。
日本が周期的に独島の挑発に乗り出す大胆さはどこから来るのだろうか。日本は韓国の弱点を把握している。韓国の独島への関心は絶対的で、学界の独島研究も多い。しかしその大半が国内用だ。民族主義的な感情が濃い。政府は実質支配を叫ぶが、実践は遅い。サイバー外交団「VANK」、カナダ司書のキム・ハナ氏ら、若い世代の独島への情熱に依存せざるを得ない。口先だけで腹がふくれ、内実が不足している弱点を日本が逃すはずがない。
政界は独島ポピュリズムであふれている。特別法を作って対馬を取り戻そうという主張や、海上警察の代わりに海軍を派遣しようという主張があちこちから聞こえてくる。海軍の力で言えば日本の方が圧倒的だ。海軍の力の計算はイージス艦の保有数で決まる。日本が6隻なのに対し、韓国は今年の末に1隻を実戦配置する。独島海戦が行われればどうか。李舜臣(イ・スンシン)将軍ならば別かもしれないが、戦力数値から分析した場合、韓国の敗北は目に見えている・・・ <続きは以下をご参照ください^^;>
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=102652&servcode=100§code=100
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詳細は、読者コメント欄をご一読くださいまし^^
これは メッセージ 1 (may7idaho さん)への返信です.