Re: 韓国及び天皇陛下侮辱は斬首に処す!
投稿者: kunnirings123 投稿日時: 2008/07/19 21:18 投稿番号: [36310 / 73791]
天皇陛下は侮辱しないよ。
韓国は・・・
ありのままの評価をくだします。
例えば嘗糞
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%98%97%E7%B3%9E。『朝鮮医籍考』によると、後に娯楽化し、人の糞を舐めてその味で誰の糞であるか当てる遊びが流行した。(상분유기)
朝鮮王の中宗は、解熱剤として人糞を水で溶いたものを飲んでいたという(東亜日報 2005年8月22日)
こうした風習は朝鮮時代まで続き、日韓併合後に禁止された。
それから迎恩門
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%8E%E6%81%A9%E9%96%80迎恩門(げいおんもん)とは、中国の皇帝の臣下であり、冊封国であった朝鮮の歴代の王が、中国の皇帝の使者を迎えるための門であった。清代には(三跪九叩頭の礼)によって使者を迎えた。
日本のおかげで
日清戦争で日本が勝利し、1895年の下関条約で、清の冊封体制より李氏朝鮮は離脱した。 こうして大韓帝国が成立、朝鮮内の開化派は迎恩門を取り崩し1897年、独立の記念として新たに独立門を同じ場所に建てた。
さらに古くは
倭国との外交関係は、高句麗・新羅に比べて友好的であった。百済の中期には、高句麗の軍事的圧力に対抗するために和通したと記録されている、『日本書紀』の中には、領土を奪われた百済に任那の一部を割譲した記録や援軍を供出した記録、さらには倭朝廷に朝貢したり、王族を人質として差し出した記録などが数多く残っている。また中国の『隋書』にも、新羅・百濟は、みな倭を以て大国にして珍物多しとなし、並びにこれを敬い仰ぎて、恒に使いを通わせ往来す。(新羅百濟皆以倭為大國多珍物並敬仰之恒通使往來)という記述があり朝貢関係があったことをうかがわせる。さらに、広開土王碑でも倭について、百済■■羅を破り以って臣民と為す(「倭ロ<耒卯年来渡海破百殘■■新羅以爲臣民」)という部分があり百済が辛卯年(391年)に倭によって支配を受けていたことも明らかとなっている。
百済は日本の属国でした。
さらに
百済滅亡により、百済王と王族・貴族を含む数千の百済人が倭国に亡命し、王族・貴族をはじめ技能を持った民も登用されて朝廷に仕えた。豊璋の弟・善光(または禅広)の子孫は朝廷から百済王(くだらのこにきし)の姓を賜り、百済の王統を伝えることになる。
百済王家は、朝廷の家来と成りて、天皇に仕えた。
つまり、日本の属国=韓国、北朝鮮
なんだよ。
わかったか?
これは メッセージ 36296 (jjjjjjjjjjjikohe さん)への返信です.
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