Re: ▼韓国系日本人と韓国人のこじれ
投稿者: tokagenoheso 投稿日時: 2008/05/11 17:18 投稿番号: [33983 / 73791]
朝鮮通信使については様々な解釈があるでしょうが、本来は秀吉時代に朝鮮出兵の意思の確認のために来たのが最初だとか。そのあと、朝鮮出兵などで途絶えたのが江戸時代に復活したわけですが、そのころは朝鮮側が日本の技術を多く学ぶために来ていたことが伝えられています。
日本側にむしろ国際的な儀礼に欠けていた節があり、朝鮮使節は江戸城の裏口から入れさせたとか、町民が二階の窓から見物したなどがそれに当たるでしょう。大名行列などを町民が窓から見下ろすなどあり得ないことでしたから、朝鮮使節はたんなる珍しい使いとしてしか幕府が見ていなかったと言うことです。
朝鮮日報にも書いていたようですが、当時日本側は朝鮮の事情をよく調べ理解し、そこの侮りがあったようです。一方、朝鮮側は日本の変化を全く理解せず、悔しそうに、この豊かな景色が日本のような蛮族の物であることが嘆かわしい、願わくは朝鮮の物であって欲しい、などと書き残していますし、負け惜しみで蛮族(日本人)の酒でも飲んでやろう、などと書いています。
実際は将軍の代替わりの折に挨拶に来ていることもあり、朝鮮が明の圧迫に耐えかねて日本に保護を求めてきていたというのが実態でした。事実上日本は朝鮮を朝貢国と見ていたようで、使節団が幕府に挨拶に来て、その返礼は対馬班が代行していたことにも明かです。
その意味で、たしかに当時の日本の姿勢は、今から見れば無礼だったでしょうが、当時の価値観では当然だったとも言えるでしょう。しかし、内心朝鮮側には、本来下であるべき日本に侮られているという悔しい思いが鬱積していたのは想像出来ます。この点については現代と変わりはなさそうですが、相手を学ぶという点でも全く変わりません。
ちょっとずれますが、中国にも同じ事が言え、東海の小国日本などいつでも頭を下げさせられると信じ続けていたようですが、現実には徳川綱吉などは実に良く中国のことを調べ、冷静に国力を分析して、今中国と戦っても日本が勝てるとまで言っています。ソースを探してみたのですが、ちょっと見つかりません。
綱吉の言葉の根拠は分かりませんが、実際中国と戦をする意志があったわけではなく強がりだったのかも知れません。ただ、大陸の疲弊は十分知っていたようです。
当時は明が滅び清はまだ態勢が調わず、日本の方が安定した文化を謳歌していた時代ですから、綱吉の自信にも裏付けはあります。
朝鮮から文化を受け取った物もあるでしょうが、秀吉が連れ帰った工人は日本各地で手厚く遇され大切にされ、朝鮮に帰った者はほとんど居なかったようです。それは朝鮮では工人を卑しみ、日本のような職人を尊ぶ風潮がなかったからです。したがって、自分の意志で日本に渡ってくる工人も大勢居ました。
これは メッセージ 33979 (eggusandot さん)への返信です.
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