これはほんとうですか?
投稿者: k_g_y_7_naoko 投稿日時: 2008/04/15 03:10 投稿番号: [33489 / 73791]
投稿者:拓
党を信じアヘン農業を始め、全住民が死に直面した村
[在中脱北者の寄稿] 私と兄弟を守ろうとしたチョンリム里の党書記
>・・だが、アヘンをすべて収穫したその年の11月から、国家が農民たちに対する配給を中断した。国家の配給を信じて農業を一切しなかった人たちが、あちらこちらで飢えて倒れ始めた。
里の党書記のおじさんが、郡の党と道の党に食糧をもらいに行ったといううわさだけが広まった。11月末に、食糧が到着したという知らせを聞いて、皆が配給所に走って行った。飢えのために学校にも行くことができなかった私も、配給をくれるという話を聞いて、母と一緒に配給所に行った。
その日、配給所では2号物資(戦争予備物資)の倉庫から持って来たという、凍ったじゃがいもと麦豆を、1ヶ月分づつもらうことができた。配給所で里の党書記のおじさんが住民に向かって、“自然災害で農業がだめだったから、いつ食糧が入って来るか分からない。だから、本当に大事に食べなさい”と話していた。
その年の12月から軍人たちを乗せた沢山の自動車がこの村にやって来て、村の前と後ろにそびえている山の木を切り始めた。中国に木を売って、軍人たちを食べさせる米を持ちこむということだった。
その日、お母さんと私は、50里以上も離れた郡の市場に行って、家に保管していた布地2着分や犬の毛皮などを売って、米を少し買って来た。村の中心にさしかかった時、血だらけになった党書記が、丸太を載せた軍人たちの車をさえぎるように立っていた。
“村の人たちが飢え死にしている。木を切るのならば、米を出しなさい!米を出さなければ木を1本も切ることはできない”と、車の前でふんばっている里の堂書記に軍人たちが飛びかかり、容赦なく殴りつけ、蹴りつけた。村人たちは足をどんどんと踏みならしながら泣いていた。軍の安全部から新らしく配置されて来た担当駐在員(警察)が駆けつけて来て、ピストルを空中に発射した。担当保安員の銃声に軍人たちが驚いて後ずさりすると、軍官(将校)が1人、紙切れを掲げて振った。
“さあ!将軍様のご命令だ。今軍人たちが食べることができてこそ、国を守ることができるのではないか。そうだ、誰だ。将軍様のご命令に拳を突き出す奴がいれば出ろ!”
将軍様がという言葉の前で、誰もが言葉を失った。その時、里の党書記のおじさんがよろけながら立ち上がった。
“この丸太は国の財産で、また私たちの農場の財産です。結構です。将軍様のご命令なのであれば持って行きなさい。代わりに、この農場の丸太を切って行くという承認状を持って来なさい”
軍官が懐から、軍の山林経営所の‘領収証’というものを取り出して突きつけた。里の党書記のおじさんは‘領収証’を受け取ると、その場で破ってしまった。“あなた方はさっき、将軍様と言いませんでしたか。こんなものではなく、将軍様の小切手(私印)がある領収証を持ってきてください”
里の党書記のおじさんの堂々とした姿に、軍官たちも軍人たちも呆然として言葉を失っていた。軍官という人が里の党書記のおじさんの腕をつかんで事情を訴え、里の党事務室に連れて行った。
こうして、軍人とチョンリム農場の間で、ある種の契約が結ばれた。つまり、‘チョンリム里に来て丸太を運送する車は、無条件1台当たりトウモロコシの粉4袋(80kg)を差し出すこと’、‘木を切って積む仕事は農場員が行い、彼らの食事を保障すること’などという内容だった。
こうした契約に対して、あきれたと言う人がいるかも知れないが、そうしたやり方でも、幾らかの食糧を手にすることができた農場は私たちの農場だけだった。他の農場は木をすべて奪われていた。樹齢数十年の一抱えもある木がすべて積まれて行った瞬間、丸裸になった山が現われた。
その年の冬、電気も来ない寒い家で、私の家族は皆、布団を被ったまま死ぬ瞬間だけを待っていた。毎日朝が来ると、里の党書記のおじさんが家を回って門をたたいた。
朝、党書記のおじさんが家ごとに持って来てくれた、お湯に溶いた1杯の炒り粉が今も鮮やかに思い出される。おじさんは軍人たちの木を積む若い人たちを動員して、飢えて倒れた人たちの家に薪を幾つか運んでくれ、自ら台所に火も焚いてくれたのだった。
http://www.dailynk.com/japanese/read.php?cataId=nk01000&num=2140
↑
もし本当だとしたら、すざまじいですね。これで暴動が起きないのが不思議です。どこまで信じていいのでしょうか?
大介に聞いてみましょう。週末に帰ってきますから..。韓国からですけどね(苦笑
党を信じアヘン農業を始め、全住民が死に直面した村
[在中脱北者の寄稿] 私と兄弟を守ろうとしたチョンリム里の党書記
>・・だが、アヘンをすべて収穫したその年の11月から、国家が農民たちに対する配給を中断した。国家の配給を信じて農業を一切しなかった人たちが、あちらこちらで飢えて倒れ始めた。
里の党書記のおじさんが、郡の党と道の党に食糧をもらいに行ったといううわさだけが広まった。11月末に、食糧が到着したという知らせを聞いて、皆が配給所に走って行った。飢えのために学校にも行くことができなかった私も、配給をくれるという話を聞いて、母と一緒に配給所に行った。
その日、配給所では2号物資(戦争予備物資)の倉庫から持って来たという、凍ったじゃがいもと麦豆を、1ヶ月分づつもらうことができた。配給所で里の党書記のおじさんが住民に向かって、“自然災害で農業がだめだったから、いつ食糧が入って来るか分からない。だから、本当に大事に食べなさい”と話していた。
その年の12月から軍人たちを乗せた沢山の自動車がこの村にやって来て、村の前と後ろにそびえている山の木を切り始めた。中国に木を売って、軍人たちを食べさせる米を持ちこむということだった。
その日、お母さんと私は、50里以上も離れた郡の市場に行って、家に保管していた布地2着分や犬の毛皮などを売って、米を少し買って来た。村の中心にさしかかった時、血だらけになった党書記が、丸太を載せた軍人たちの車をさえぎるように立っていた。
“村の人たちが飢え死にしている。木を切るのならば、米を出しなさい!米を出さなければ木を1本も切ることはできない”と、車の前でふんばっている里の堂書記に軍人たちが飛びかかり、容赦なく殴りつけ、蹴りつけた。村人たちは足をどんどんと踏みならしながら泣いていた。軍の安全部から新らしく配置されて来た担当駐在員(警察)が駆けつけて来て、ピストルを空中に発射した。担当保安員の銃声に軍人たちが驚いて後ずさりすると、軍官(将校)が1人、紙切れを掲げて振った。
“さあ!将軍様のご命令だ。今軍人たちが食べることができてこそ、国を守ることができるのではないか。そうだ、誰だ。将軍様のご命令に拳を突き出す奴がいれば出ろ!”
将軍様がという言葉の前で、誰もが言葉を失った。その時、里の党書記のおじさんがよろけながら立ち上がった。
“この丸太は国の財産で、また私たちの農場の財産です。結構です。将軍様のご命令なのであれば持って行きなさい。代わりに、この農場の丸太を切って行くという承認状を持って来なさい”
軍官が懐から、軍の山林経営所の‘領収証’というものを取り出して突きつけた。里の党書記のおじさんは‘領収証’を受け取ると、その場で破ってしまった。“あなた方はさっき、将軍様と言いませんでしたか。こんなものではなく、将軍様の小切手(私印)がある領収証を持ってきてください”
里の党書記のおじさんの堂々とした姿に、軍官たちも軍人たちも呆然として言葉を失っていた。軍官という人が里の党書記のおじさんの腕をつかんで事情を訴え、里の党事務室に連れて行った。
こうして、軍人とチョンリム農場の間で、ある種の契約が結ばれた。つまり、‘チョンリム里に来て丸太を運送する車は、無条件1台当たりトウモロコシの粉4袋(80kg)を差し出すこと’、‘木を切って積む仕事は農場員が行い、彼らの食事を保障すること’などという内容だった。
こうした契約に対して、あきれたと言う人がいるかも知れないが、そうしたやり方でも、幾らかの食糧を手にすることができた農場は私たちの農場だけだった。他の農場は木をすべて奪われていた。樹齢数十年の一抱えもある木がすべて積まれて行った瞬間、丸裸になった山が現われた。
その年の冬、電気も来ない寒い家で、私の家族は皆、布団を被ったまま死ぬ瞬間だけを待っていた。毎日朝が来ると、里の党書記のおじさんが家を回って門をたたいた。
朝、党書記のおじさんが家ごとに持って来てくれた、お湯に溶いた1杯の炒り粉が今も鮮やかに思い出される。おじさんは軍人たちの木を積む若い人たちを動員して、飢えて倒れた人たちの家に薪を幾つか運んでくれ、自ら台所に火も焚いてくれたのだった。
http://www.dailynk.com/japanese/read.php?cataId=nk01000&num=2140
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もし本当だとしたら、すざまじいですね。これで暴動が起きないのが不思議です。どこまで信じていいのでしょうか?
大介に聞いてみましょう。週末に帰ってきますから..。韓国からですけどね(苦笑
これは メッセージ 1 (may7idaho さん)への返信です.