座っている英雄よりも行動する犬がましだ
投稿者: k_g_y_7_naoko 投稿日時: 2008/01/06 15:37 投稿番号: [29075 / 73791]
“座っている英雄よりも行動する犬がましだ”
[中朝国境写真ルポ] 北の住民 "制度さえ変われば暮らせる"
権貞鉉特派員(中国丹東)
[2008-01-04 15:56 ] 韓国語の記事を読む
▲ 咸境北道ヨンサ-茂山鉄路を走っている貨物列車. 木材を運ぶ貨物列車に数十人の人が乗っている.c。デイリーNK
真冬の中朝国境地域は、草木が消えた尾根に吹き付ける風が冷たい。幾重もの綿入れ服を着こんでも、住民たちは肩をすくめている。
だが、零下20度に迫る酷寒期でも、国境地域の村の煙突からは煙が出ていない。凍えた体を暖めることもできず、苦痛がつのるばかりだ。
急騰した物価に、庶民たちの気持ちが安らぐこともない。市場の越冬用の品物の価格が去年に比べて50~100%上昇した。
4人家族が冬を越すための最低の暖房費は10万ウォン以上であると推定される。そのため、冬になれば石炭泥棒が増える。
今年の冬は白菜の値段が上がり、キムチの漬け込みができなかった家も増えた。12月に平壌のソンギョ区域の市場では、中国産の白菜1株が500ウォンだった。北朝鮮の住民たちにとって、キムチの漬け込みは‘キムチ’以上の意味を持つ。冬のおかずが全くない状況だから、キムチが食糧なのである。
キムチの漬け込みができなければ、1月-2月は野菜を見ることさえ難しくなる。11月末から3月末まではキムチで堪えなければならない。1人当り最低100kg程度の白菜や大根を確保できれば、冬の食糧を心配しなくてすむ。塩や唐辛子粉、調味料まで考えると、4人家族1世帯で、キムチの漬け込み費用は20万ウォンを超えることになる・・・ <全体と写真は以下参照>
http://www.dailynk.com/japanese/read.php?cataId=nk03100&num=1709
↑
復員後まもなく北海道の炭鉱で暮らした。真白で綿くずのように小さな「雪虫」が乱舞する季節が近ずくと、山あいにへばりつくように長屋が立ち並ぶ炭鉱町は冬支度に入る。炭鉱から支給された粗末な石炭を小さな小屋に山積みしたり、大根を漬けたり。大根は、荒縄を丸めてタワシにし、井戸端の手が切れそうなほどに冷たい水で洗う。そして簾状に荒縄にはさんで長屋の軒下に所狭しとばかりに干す。大根の葉っぱも干して、冬の味噌汁の具にする。ニシンも氷を入れた木箱で貨車を連ねて炭鉱駅に着く。冷凍車なんて高級な貨車ではない。このニシンを玄関先の七輪で焼いて大根おろしを添えて食べる。焼くとニシンの油が炭火に燃えて黒い煙がモクモクとたつ。この味は生涯忘れられん。ニシンは箱ごと買うから、一週間たっても食べ切れん。残りは軒下に荒縄で干してみがきニシンとする。これもまた酒の肴や煮付けにうまい。
ワシは独身であったから、独り身であったから、同じ長屋のおかみさん連中がほとんどやってくれた。お礼に彼女らの台所の水がめがいっぱになるまで、近くの井戸から天秤棒でよく水汲みしたものである。白菜、キャベツ、にんじん、馬鈴薯、ごぼうなど、野菜類はがけっぷちの畑に穴掘って米俵やムシロにくるんで埋める。盛土をして目印に竹ざおを刺す。竹ざおが短いと積雪で見えなくなるから、ワシの身長の倍ほどのさおをさした。冬に掘って少しづつ食べる。雪の下の土は凍っているから、つるはしで腕が入るほどに穴を掘る。
今は、冬でもスーパーで野菜はおろか何でも買えるから便利になったものである。終戦後しばらくは、米はもちろん、小豆、砂糖、塩、タバコなどなど、ほとんどが配給であった。思い出す。
では御免。
[中朝国境写真ルポ] 北の住民 "制度さえ変われば暮らせる"
権貞鉉特派員(中国丹東)
[2008-01-04 15:56 ] 韓国語の記事を読む
▲ 咸境北道ヨンサ-茂山鉄路を走っている貨物列車. 木材を運ぶ貨物列車に数十人の人が乗っている.c。デイリーNK
真冬の中朝国境地域は、草木が消えた尾根に吹き付ける風が冷たい。幾重もの綿入れ服を着こんでも、住民たちは肩をすくめている。
だが、零下20度に迫る酷寒期でも、国境地域の村の煙突からは煙が出ていない。凍えた体を暖めることもできず、苦痛がつのるばかりだ。
急騰した物価に、庶民たちの気持ちが安らぐこともない。市場の越冬用の品物の価格が去年に比べて50~100%上昇した。
4人家族が冬を越すための最低の暖房費は10万ウォン以上であると推定される。そのため、冬になれば石炭泥棒が増える。
今年の冬は白菜の値段が上がり、キムチの漬け込みができなかった家も増えた。12月に平壌のソンギョ区域の市場では、中国産の白菜1株が500ウォンだった。北朝鮮の住民たちにとって、キムチの漬け込みは‘キムチ’以上の意味を持つ。冬のおかずが全くない状況だから、キムチが食糧なのである。
キムチの漬け込みができなければ、1月-2月は野菜を見ることさえ難しくなる。11月末から3月末まではキムチで堪えなければならない。1人当り最低100kg程度の白菜や大根を確保できれば、冬の食糧を心配しなくてすむ。塩や唐辛子粉、調味料まで考えると、4人家族1世帯で、キムチの漬け込み費用は20万ウォンを超えることになる・・・ <全体と写真は以下参照>
http://www.dailynk.com/japanese/read.php?cataId=nk03100&num=1709
↑
復員後まもなく北海道の炭鉱で暮らした。真白で綿くずのように小さな「雪虫」が乱舞する季節が近ずくと、山あいにへばりつくように長屋が立ち並ぶ炭鉱町は冬支度に入る。炭鉱から支給された粗末な石炭を小さな小屋に山積みしたり、大根を漬けたり。大根は、荒縄を丸めてタワシにし、井戸端の手が切れそうなほどに冷たい水で洗う。そして簾状に荒縄にはさんで長屋の軒下に所狭しとばかりに干す。大根の葉っぱも干して、冬の味噌汁の具にする。ニシンも氷を入れた木箱で貨車を連ねて炭鉱駅に着く。冷凍車なんて高級な貨車ではない。このニシンを玄関先の七輪で焼いて大根おろしを添えて食べる。焼くとニシンの油が炭火に燃えて黒い煙がモクモクとたつ。この味は生涯忘れられん。ニシンは箱ごと買うから、一週間たっても食べ切れん。残りは軒下に荒縄で干してみがきニシンとする。これもまた酒の肴や煮付けにうまい。
ワシは独身であったから、独り身であったから、同じ長屋のおかみさん連中がほとんどやってくれた。お礼に彼女らの台所の水がめがいっぱになるまで、近くの井戸から天秤棒でよく水汲みしたものである。白菜、キャベツ、にんじん、馬鈴薯、ごぼうなど、野菜類はがけっぷちの畑に穴掘って米俵やムシロにくるんで埋める。盛土をして目印に竹ざおを刺す。竹ざおが短いと積雪で見えなくなるから、ワシの身長の倍ほどのさおをさした。冬に掘って少しづつ食べる。雪の下の土は凍っているから、つるはしで腕が入るほどに穴を掘る。
今は、冬でもスーパーで野菜はおろか何でも買えるから便利になったものである。終戦後しばらくは、米はもちろん、小豆、砂糖、塩、タバコなどなど、ほとんどが配給であった。思い出す。
では御免。
これは メッセージ 1 (may7idaho さん)への返信です.