本は読まない、書けない、翻訳しない韓国
投稿者: ostgh 投稿日時: 2006/09/21 16:02 投稿番号: [2556 / 73791]
文化なんかないはずだ。
大学の順位も世界で論外になるはずだ。留学しても、現地で話しにならないと馬鹿にされるはずだ。
納得。
>【社説】人文学の衰退は文章力の軽視が原因だ
国内の80大学の人文学部長が26日、危機に直面している人文学分野への支援を呼びかける声明書を発表するという。
また、高麗大文学部の教授117人は先週、「人文学は存在理由すら揺らぐほどの深刻な岐路に立たされている」という「人文学宣言」を発表した。
市場論理や実用性のみを追求する風潮に押され、韓国の人文学が存続の危機に陥っているという。
人文学の水準は、その国の精神性の高さを現す。政府は人文学に対する不適切な評価を至急に改めるべきだ。
しかしもう一つ忘れてはならないのは、人文学が危機に瀕している背景には、政府の政策上の問題だけでなく、おそらくは大衆とのコミュニケーションをおろそかにしてきた人文学者の閉鎖的な態度も関係しているということだ。
今年上半期の教保文庫(韓国の代表的な大型書店)のベストセラー50位の中に、人文学者が書いた本は一冊もなかった。
一方、米国・ヨーロッパ・日本のベストセラーには常に歴史学者、文学評論家、哲学者、宗教学者ら本が含まれている。
韓国でも米国エール大のジョナサン・スペンス教授が書いた『現代中国を探る(The Search for Modern China)』や、日本の中国史学者・宮崎市定の『雍正帝―中国の独裁君主』などは不動のロングセラーを記録している。
ノルウェーの哲学教師が書いた『ソフィーの世界』は思春期の少女を主人公にして、ギリシャ哲学から実存主義まで西洋哲学の3000年の流れを迫力感あふれる推理小説の形で書き上げ、韓国の若者たちに哲学の道案内としての役割を果たしている。
人文学の宝庫である東西の古典も、読むに値する翻訳書が見あたらない。
韓国でプラトンの『国家』の完訳本が出たのはわずか9年前の話だ。
セルバンテスの『ドンキホーテ』も昨年やっと完訳本が出た。
一般読者が接する西洋古典の翻訳本ではいくら読んでも何を意味するのか把握できないものが多い。
釈迦の言葉を当時の言語で記録したパーリー語の仏典が韓国語に訳され始めたのも、せいぜい10年前の話だ。同じ作業が、ヨーロッパや日本では数十年前に完了している。
最近、韓国の大学で文章教育が衰退したため、自分の考えをきちんとした文章にまとめられない人文学者も少なくない。
人文学を復活させたいなら、大学の現場に文章を見直す機運を高めるべきだ。
魚が水と慣れ親しむように、人文学者は言語の海で思う存分泳ぐ能力を身につけなければならない。
韓国の人文学者らが理念や論理の奴隷に成り下がったため、学問や読者の水準を高めてくれるような人文学の成果に理解可能な味わい深い文章で接することはますます難しくなってきている。人文学による災禍が続いているのだ。
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/09/21/20060921000014.html
大学の順位も世界で論外になるはずだ。留学しても、現地で話しにならないと馬鹿にされるはずだ。
納得。
>【社説】人文学の衰退は文章力の軽視が原因だ
国内の80大学の人文学部長が26日、危機に直面している人文学分野への支援を呼びかける声明書を発表するという。
また、高麗大文学部の教授117人は先週、「人文学は存在理由すら揺らぐほどの深刻な岐路に立たされている」という「人文学宣言」を発表した。
市場論理や実用性のみを追求する風潮に押され、韓国の人文学が存続の危機に陥っているという。
人文学の水準は、その国の精神性の高さを現す。政府は人文学に対する不適切な評価を至急に改めるべきだ。
しかしもう一つ忘れてはならないのは、人文学が危機に瀕している背景には、政府の政策上の問題だけでなく、おそらくは大衆とのコミュニケーションをおろそかにしてきた人文学者の閉鎖的な態度も関係しているということだ。
今年上半期の教保文庫(韓国の代表的な大型書店)のベストセラー50位の中に、人文学者が書いた本は一冊もなかった。
一方、米国・ヨーロッパ・日本のベストセラーには常に歴史学者、文学評論家、哲学者、宗教学者ら本が含まれている。
韓国でも米国エール大のジョナサン・スペンス教授が書いた『現代中国を探る(The Search for Modern China)』や、日本の中国史学者・宮崎市定の『雍正帝―中国の独裁君主』などは不動のロングセラーを記録している。
ノルウェーの哲学教師が書いた『ソフィーの世界』は思春期の少女を主人公にして、ギリシャ哲学から実存主義まで西洋哲学の3000年の流れを迫力感あふれる推理小説の形で書き上げ、韓国の若者たちに哲学の道案内としての役割を果たしている。
人文学の宝庫である東西の古典も、読むに値する翻訳書が見あたらない。
韓国でプラトンの『国家』の完訳本が出たのはわずか9年前の話だ。
セルバンテスの『ドンキホーテ』も昨年やっと完訳本が出た。
一般読者が接する西洋古典の翻訳本ではいくら読んでも何を意味するのか把握できないものが多い。
釈迦の言葉を当時の言語で記録したパーリー語の仏典が韓国語に訳され始めたのも、せいぜい10年前の話だ。同じ作業が、ヨーロッパや日本では数十年前に完了している。
最近、韓国の大学で文章教育が衰退したため、自分の考えをきちんとした文章にまとめられない人文学者も少なくない。
人文学を復活させたいなら、大学の現場に文章を見直す機運を高めるべきだ。
魚が水と慣れ親しむように、人文学者は言語の海で思う存分泳ぐ能力を身につけなければならない。
韓国の人文学者らが理念や論理の奴隷に成り下がったため、学問や読者の水準を高めてくれるような人文学の成果に理解可能な味わい深い文章で接することはますます難しくなってきている。人文学による災禍が続いているのだ。
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/09/21/20060921000014.html