Re: 朝鮮人はシナの支配を受けなかった
投稿者: allyofjustice007 投稿日時: 2007/10/31 23:46 投稿番号: [25042 / 73791]
更に君の問いに答えてあげよう。
【丙子胡乱後の清との和約】
「堕落の2000年史」
崔基鎬
著をみてみましょう
今日、ソウル市松坡洞に、「三田渡碑」という...堂々とした石碑が立っている。(中略)
これは朝鮮史を浮き彫りにする史蹟である。(中略)
これは清の大宗の頌徳碑で、名前を「大清皇帝功徳碑」というが、韓国では「恥辱碑」として
知られてきた。(中略)
仁祖はこの時、それまで軽蔑していた胡服(北方蛮夷の服)を着て、坡洞の三田渡に設けられた
「受陣壇」において屈辱的な降伏を行った。「受陣」とは、降伏を受け入れることである。
仁祖王は「受陣壇」に於いて、清の大宗に向かって九回、地面に頭をつけて叩頭する拝礼を
行なったうえで、清からの一方的な和約を結ばされた。1637年1月30日のことだった。
この和約の内容は次のようなものだった。
一、 朝鮮は、清に対し、臣としての礼を尽くすこと。
一、 朝鮮は明の元号を廃し、明との交通を禁じ、明から送られた誥命(勅命と冊印)と、
明から与えられた朝鮮王の印璽を清へ引き渡すこと。
一、 王の長子と次男、および大臣の子女を人質として送ること。
一、清が明を征伐する時には、求められた期日までに、遅滞なく援軍を派遣すること。
一、 内外(清)の諸臣と婚姻を結び、誼を固くすること。
一、 城郭の増築や、修繕については、清に事前に許諾を受けること。
一、 清に対して黄金100両、白銀1000両と20余種の物品を歳幣(毎年納める金と品物)
として上納すること。
一、 皇帝の誕生日である聖節、正朔である正月1日、冬至と、慶弔の使臣は、明との旧例に
従って送ること。
一、 清が鴨緑江の河口にある島(かとう)を攻撃する時に、兵船50隻を送ること。
一、 清からの逃亡者をかくしてはいけない。
一、 日本との交流を許すこと。
この和約によって、李氏朝鮮は明から清の属国になった。
仁祖王は和約を結んだうえで、皇太子である昭顕(ソヒエン)世子と王子の
鳳林大君(ポムリムデグン)らを人質として送るかたわら、欣和派の強硬論者であった三人の
党人を逮捕して、斬刑に処した。李氏朝鮮はその後、19世紀に至るまで、清に毎年、全国から
選ばれた美女である妓生と宦官を貢いだ。これらの妓女と宦官は、清によって珍重された。
崔氏は、「この和約によって、李氏朝鮮は清の属国になった」と明記しています。
こういう李朝末代にわたる国家的「恥辱」を受けても、それでも清の「内政干渉」ではないし、
李朝は清から事実上「独立」していたと、韓国は言い張るのでしょうか?
(ちなみに、こういう事実は、韓国の教科書では一切教えません)。
これは メッセージ 25007 (uncotoshonben131313 さん)への返信です.
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