Re: 閔妃の生まれ変わり?何人もいるような
投稿者: may7idaho 投稿日時: 2006/09/18 00:25 投稿番号: [2317 / 73791]
>閔妃はその死後、大院君によって王族としての称号を剥奪され、平民に降格された(高宗実録 巻33[14] ) 。大韓帝国成立後の1897年、井上馨ら日本側からの働きかけによって「明成皇后」の諡号を贈られた
>また朝鮮人には「皇后」なり言葉が受けるのかもしれません、多くの日本人には皇后はそれなりの資格がないと(皇帝の第一夫人)、閔妃(名前からして正式な妃ではないですね)気に入りませんね。<
井上馨でしたか?
そうですね。
当時の朝鮮では、女性は名を持てなかった。閔妃というのも、閔一字が正しいそうで、意味は、閔族出身の女性だから、ということで、区別のために高宗がそう呼んでいただけで、明らかに『名前』ではないですね。
写真も、韓国では、なんだか若い女性の、正面からとった、はっきり映った写真を閔妃の『写真』としていたのですが、これまた、日本の本にあった、朝鮮王宮の下級女官の写真を勝手に使ったことが発覚、と、なんだか情けないことばかりです。
他の件は、以下の通りではないでしょうか?
『閔妃は世子の健康と王室の安寧を祈るために、「巫堂ノリ」を毎日行なわせた。「巫堂ノリ」は巫女たちが狂ったように踊り、祈る呪術である。そのかたわら、金剛山の1万2000の峰ごとに、一峰あたり1000両の現金と、1石の米と1疋の織物を寄進した。つまり、合計して1200万両の現金と、1万2000石の白米、織物1万2000疋を布施した。
当時の国家の財政状態は、150万両、米20万石、織布2000疋を備蓄していたにすぎなかったから、閔妃が金剛山に供養した額は、国庫の6倍以上に当たるもので、とうてい耐えうるものでなかった。これは法外な浪費だった。宮廷の要路の顕官たちは、民衆から搾取して、競って閔妃に賄賂を贈り、王妃に媚びて「巫堂ノリ」に積極的に参加し、巫女たちとともに踊った閔妃は、狂気の宮廷に君臨する女王だった』
『「閔妃は高宗と純宗の目の前で朝鮮人によって高宗の居室から引出され、禹範善の命令或いは禹範善本人により殺害された事件であり、それは純宗も目撃していた。
民衆に殺された最後も壮絶だ。リンチを喰らって殺され、死体は庭に野ざらしにされた。
閔妃は死後、大院君によって王族としての称号を剥奪され、平民に降格された。名誉回復は大韓帝国成立後の1897年で、明成皇后の諡号はこの時に贈られたものである。』
大体、朝鮮王朝も、戦後は、李承晩によってみそくそに言われ、帰国を許されず、帰国後も貧窮の中で日本人に看取られて死に、最後の皇太子格の男性も、その後、日本に戻り、赤坂で孤独死、と、朝鮮人というのは、何事も全然大事にしませんね。
これは メッセージ 2316 (beauetclair1 さん)への返信です.
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