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「脱亜入欧」-林思雲(Lin Si Yun)2

投稿者: k_g_y_7_naoko 投稿日時: 2007/09/26 21:29 投稿番号: [22957 / 73791]
  このような“興亜論”に対して、相反する思想を唱えたのは福沢諭吉である。それが“脱亜論”である。

  アジアを覚醒させ共同で西洋の侵略に立ち向かうという“興亜論”の構想に、中国と朝鮮は旧套を墨守し、改進を考えず、革新を望まない。だから日本は中国と朝鮮の覚醒に希望を持つべきではないと福沢は反対した。(ただし中国・朝鮮に有識者が出現して大規模な改革維新を行うのであれば話はおのずから別になると、福沢は断っている)。福沢は、時代遅れで昔ながらの伝統に執着する中国と朝鮮は、日本にとってまったく助けにはならない、それどころかこれら時代遅れで腐敗したこれら二国の“醜”によって、日本までもが西洋人から同じように時代遅れで腐敗していると誤解される、と。福沢はこの理由によって、日本はもはやためらうことなく、中国・朝鮮二国の非文明国家(“悪友”)との交際を拒絶し、ヨーロッパの文明国家と交流すべきだと説いた。
 
  福沢が中国・朝鮮二国に将来の希望はないと見なした核心の根拠は、両国が西洋文明を拒絶する態度である。中国と朝鮮は、みずからを西洋文明から隔離し、自身の独自の文明を維持しつづけようとしている。ところが日本は西洋文明に対して積極的に摂取しようとする態度を取り、みずからを西洋文明のうちに投じて、運命を共にする道を選んでいた。福沢によれば、西洋文明とは“麻疹(はしか)”のようなもので、伝染性を持つものであり、拒否すれば列強に国を分け取りにされて滅ぶのであるから、中国と朝鮮による西洋文明の拒否は到底成功しない。そして後の歴史は、中国と朝鮮について福沢の予見が正しかったことを証明した。西洋列強が植民地主義思想を改めていなかったら、中国も同じく分割されていたことはほとんど疑いないからだ。
 
  私は、「脱亜論」を読んで、近代において中国が蒙ってきたさまざまな苦難や屈辱はかなりの程度、中国人がみずから“選択”した結果ではなかったかという思いを禁じ得ないのである。
 
  遠く20世紀の80年代に至って、中国はやっと“対外開放”の重要性を悟り、積極的に西洋文明世界に参入しはじめた。今日では“世界につながる”が流行語である。対外開放して20年あまりで、中国の経済は驚異的な発展を見た。今日に至って中国人は、その昔の日本の急速な発展の秘訣が“対外開放”であったことを、やっと知ったのである。
 
  しかし日本人は自国の富国強兵の秘訣をべつに隠していたわけではない。120年も前に、日本の福沢諭吉という思想家が、中国の停滞の原因は西洋文明を拒絶したことにある、対外開放を拒否したところにあると、すでに指摘していたのだ。悲しむべきことに、中国人は100年も経ってから西洋文明と運命を共にすることと、文明を同じくすることで苦楽を共にすることの重要性を、やっと理解したのである。もし中国が100年前に対外開放に踏み切り、世界とつながっていたら、近代中国の歴史はきっと別の様相を呈していただろう。そうすれば近代中国の屈辱と傷痕に満ちた悲惨な歴史はなかったはずで、だから私は、中国が近代に蒙ったさまざまな苦難と屈辱はかなりの程度中国人がみずから“選択”したのだと言うのである。
 
  もし当時の日本における“興亜論”と“脱亜論”のどちらがより正しかったかを言うとすれば、日本の立場からすれば、“脱亜論”のほうが正しかったということになる。事実においても日本政府は脱亜入欧の発展方針を選択した。もし日本がその時“興亜論”を選択して、中国と朝鮮が覚醒し、自強するのを待って、両国と同じ塹壕に立つことにしていたら、日本の今日の発展はあったか。福沢諭吉の“脱亜論”は、未来の展望としてきわめて正確なものだった。  
  福沢の肖像が日本の最高額紙幣の上にあるのも不思議ではない。彼を批判する人間もあまり聞かない。福沢は現在の日本があることに関して、日本人がもっとも感謝して当然の人物の一人なのだから。

<続く>
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