捏造には大張り切り、現実からは逃走
投稿者: parmesan100cheese 投稿日時: 2007/06/27 17:40 投稿番号: [19222 / 73791]
>在外公館に続き国防部まで…
<大使館女>
1998年、北朝鮮を脱出した韓国軍捕虜のチャン・ムファンさんが電話で助けを求めてきたのに対し、中国駐在の韓国大使館の女性職員が冷たくあしらった。
<領事館男>
北朝鮮に拉致され、昨年末に31年ぶりに脱出した元漁船員のチェ・ウクイルさんが今年1月、中国・瀋陽総領事館に助けを求める電話をかけた際、誠意のない対応をした。
<今度は国防部が…>
北朝鮮の捕虜となった韓国軍兵の家族が昨年夏、国防部宛てに救命を訴えた手紙を放置していたことが発覚。<
韓国、朝鮮人が現実の問題から逃げて、金正日については、見て見ぬふりをしている間に、こうやって、北朝鮮の罪もない人間はどんどん惨めに死んでいく。
捏造話しには目の色を変えてわめくが、そんなことより、惨めな最後を遂げる、国軍捕虜とかは気にならないんだろうか?
ありもしない慰安婦となると、夜も日も忘れて目をつり上げて大張り切りだが、中国で売られている何万もの脱北女性や、収容所で殺されていく同胞の件は、完全にスルー。
やはり、壊れている民族。
韓国軍捕虜:政府の不手際で北に送還された一家の悲劇
昨年10月、中国・瀋陽の韓国総領事館に保護されたが中国公安(警察)に逮捕され、北朝鮮に強制送還された韓国戦争(朝鮮戦争)時の韓国軍捕虜Kさん一家(本紙26日付参照)の不幸は、1977年にKさんが「政治犯」として連行されたときから始まった。
咸鏡北道の炭鉱で「傀儡(かいらい)軍捕虜43号」というレッテルを貼られたまま労役に動員された。Kさんは50年代後半にBさんと結婚、6人の子供(3男3女)を設けたが、子供たちは「出身成分」のためほとんどが小学校卒業後、炭鉱での労働に就かされた。特に長女は、幼いころから歌の素質があり、音大への進学を夢見ていたが、やはり炭鉱での労働を命じられた。
Kさんの長女は手紙の中で、「父ははるか遠い南の空を眺めながらため息をつき、涙で夜を明かしていた」と記している。そしてKさんは、酒の席でこうした不満を漏らしたために、「77年9月未明」に連行された。その後30年間、生死すら分からないままになっているという。
その後妻のBさんは、あらゆる差別や困難の中で6人の子供を育て上げた。韓国にいるKさんの長男は「30代で夫と生き別れになった母は、苦労のあまり腰が曲がってしまった」と証言した。Bさんは、99年に長女や三男とともに脱北し、7年間中国で潜伏生活を送っていた。98年に先に脱北した長男が2005年韓国行きに成功、Bさんは昨年10月、長女の家族とともに瀋陽領事館を訪れた。これで夫の故郷や長男の顔が手に届く距離に近づいたかに見えた。
しかし、Bさんは信じていた韓国領事館に案内された民家で中国公安に逮捕され、北朝鮮に強制送還された。そして、長女と2人の孫も一緒に北に送られた。
北朝鮮にいるKさんの次男は、手紙に「母が(昨年)12月3日に亡くなった。母の亡骸(なきがら)は正視に耐えないものだった」と記した。手紙には死亡確認証も同封されていた。これを見た韓国の長男は「母が凍死したという知らせを聞いた。母は苦労ばかりしていたのに…」と言葉を詰まらせた。韓国領事館の不手際により逮捕され、そのわずか50数日後に凍死したのだ。北朝鮮にいる次男は「母の遺影の前で思い切り泣くこともできなかった」と手紙に書いた。北朝鮮保衛部の目を恐れてのことだ。そして、一緒に強制送還された長女とその2人の子供は現在も管理所(刑務所)にいるという。
98年、長男は妻と娘を連れ脱北した。長男は北京の韓国大使館を経て瀋陽の韓国領事館を訪ね、韓国軍捕虜の家族であることを明かし、保護を要請した。しかし、領事館は「金大中(キム・デジュン)大統領が就任し、南北関係が大きく改善しようとしているところなので、少しだけ待ってほしい」と言い、3万ウォン(約4000円)を旅費として渡しただけだったという。長男は「その後7年間、韓国に行く気になれなかった」と話した。
現在、Kさん一家のうち、夫人は亡くなり、長男と三男は韓国に、三女と次男は北朝鮮にいることが分かっている。06年10月、韓国政府の不手際が、大韓民国のために戦ったある家族の運命を奈落の底に追いやることになってしまった。
http://www.chosunonline.com/article/20070627000058
<大使館女>
1998年、北朝鮮を脱出した韓国軍捕虜のチャン・ムファンさんが電話で助けを求めてきたのに対し、中国駐在の韓国大使館の女性職員が冷たくあしらった。
<領事館男>
北朝鮮に拉致され、昨年末に31年ぶりに脱出した元漁船員のチェ・ウクイルさんが今年1月、中国・瀋陽総領事館に助けを求める電話をかけた際、誠意のない対応をした。
<今度は国防部が…>
北朝鮮の捕虜となった韓国軍兵の家族が昨年夏、国防部宛てに救命を訴えた手紙を放置していたことが発覚。<
韓国、朝鮮人が現実の問題から逃げて、金正日については、見て見ぬふりをしている間に、こうやって、北朝鮮の罪もない人間はどんどん惨めに死んでいく。
捏造話しには目の色を変えてわめくが、そんなことより、惨めな最後を遂げる、国軍捕虜とかは気にならないんだろうか?
ありもしない慰安婦となると、夜も日も忘れて目をつり上げて大張り切りだが、中国で売られている何万もの脱北女性や、収容所で殺されていく同胞の件は、完全にスルー。
やはり、壊れている民族。
韓国軍捕虜:政府の不手際で北に送還された一家の悲劇
昨年10月、中国・瀋陽の韓国総領事館に保護されたが中国公安(警察)に逮捕され、北朝鮮に強制送還された韓国戦争(朝鮮戦争)時の韓国軍捕虜Kさん一家(本紙26日付参照)の不幸は、1977年にKさんが「政治犯」として連行されたときから始まった。
咸鏡北道の炭鉱で「傀儡(かいらい)軍捕虜43号」というレッテルを貼られたまま労役に動員された。Kさんは50年代後半にBさんと結婚、6人の子供(3男3女)を設けたが、子供たちは「出身成分」のためほとんどが小学校卒業後、炭鉱での労働に就かされた。特に長女は、幼いころから歌の素質があり、音大への進学を夢見ていたが、やはり炭鉱での労働を命じられた。
Kさんの長女は手紙の中で、「父ははるか遠い南の空を眺めながらため息をつき、涙で夜を明かしていた」と記している。そしてKさんは、酒の席でこうした不満を漏らしたために、「77年9月未明」に連行された。その後30年間、生死すら分からないままになっているという。
その後妻のBさんは、あらゆる差別や困難の中で6人の子供を育て上げた。韓国にいるKさんの長男は「30代で夫と生き別れになった母は、苦労のあまり腰が曲がってしまった」と証言した。Bさんは、99年に長女や三男とともに脱北し、7年間中国で潜伏生活を送っていた。98年に先に脱北した長男が2005年韓国行きに成功、Bさんは昨年10月、長女の家族とともに瀋陽領事館を訪れた。これで夫の故郷や長男の顔が手に届く距離に近づいたかに見えた。
しかし、Bさんは信じていた韓国領事館に案内された民家で中国公安に逮捕され、北朝鮮に強制送還された。そして、長女と2人の孫も一緒に北に送られた。
北朝鮮にいるKさんの次男は、手紙に「母が(昨年)12月3日に亡くなった。母の亡骸(なきがら)は正視に耐えないものだった」と記した。手紙には死亡確認証も同封されていた。これを見た韓国の長男は「母が凍死したという知らせを聞いた。母は苦労ばかりしていたのに…」と言葉を詰まらせた。韓国領事館の不手際により逮捕され、そのわずか50数日後に凍死したのだ。北朝鮮にいる次男は「母の遺影の前で思い切り泣くこともできなかった」と手紙に書いた。北朝鮮保衛部の目を恐れてのことだ。そして、一緒に強制送還された長女とその2人の子供は現在も管理所(刑務所)にいるという。
98年、長男は妻と娘を連れ脱北した。長男は北京の韓国大使館を経て瀋陽の韓国領事館を訪ね、韓国軍捕虜の家族であることを明かし、保護を要請した。しかし、領事館は「金大中(キム・デジュン)大統領が就任し、南北関係が大きく改善しようとしているところなので、少しだけ待ってほしい」と言い、3万ウォン(約4000円)を旅費として渡しただけだったという。長男は「その後7年間、韓国に行く気になれなかった」と話した。
現在、Kさん一家のうち、夫人は亡くなり、長男と三男は韓国に、三女と次男は北朝鮮にいることが分かっている。06年10月、韓国政府の不手際が、大韓民国のために戦ったある家族の運命を奈落の底に追いやることになってしまった。
http://www.chosunonline.com/article/20070627000058
これは メッセージ 19168 (may7idaho さん)への返信です.