東亜日報論説委員ともあろう者の大嘘
投稿者: k_g_y_7_naoko 投稿日時: 2007/06/11 16:05 投稿番号: [18665 / 73791]
投稿者:爺
以下は本日の東亜日報コラムであるが、実に大嘘にまみれておる。朝鮮でのハングル語新聞の発刊は、日本の朝鮮総督府主導によるものであり、ハングルの普及も日本の主導であり、特に福沢諭吉の貢献が大きい。これによって朝鮮半島の文盲率は大幅に改善された。この事実をまったく逆に解して日本を悪玉にしたてあげ、韓国国民を煽動しておる。戦時下では日本の新聞も等しく検閲を受けておる。この論説委員は一体何を学んできたのかな?
東亜日報:
[オピニオン]日本植民地時代の知性
JUNE 11, 2007 02:47
日本が韓半島を強制的に占領した1910年、朝鮮に住んでいた日本人は17万人だった。1700万人と推計される朝鮮人口の1%にすぎなかった。にもかかわらず、朝鮮で日本語の新聞は16も発行された。いっぽう、韓国語の新聞は朝鮮総督府の機関紙である毎日(メイル)新報と慶南(キョンナム)日報のみだった。<略>
1919年、3・1独立運動が起きて、翌年、日本帝国が「文化政治」という名のもとで、東亜(トンア)日報や朝鮮(チョソン)日報、時事(シサ)新聞の3紙の創刊を認めるまで、韓半島はメディアの暗黒時代だった。
◆<略> ・・新聞は政府を失った朝鮮人のために政府の役割を肩代わりしなければならないという使命を持った。それで、東亜日報や朝鮮日報が行ったもう一つの課題は教育や啓蒙だった。民立大学の設立、文盲撃退運動が代表的なことだった。1920年代には新春文芸を新設して、国語を失う危機のなかで、ハングルを守り抜いた。・・<以下全文>
http://japan.donga.com/srv/service.php3?biid=2007061105768
↑
上記事に対する反論 -- 歴史が語る事実:
ハングル誕生当初
この文字が作られた当時は、正字として漢文が使用されていた。そのため漢文で十分だとする保守派(反対派)の存在により訓民正音は蔑まされてきた。
しかし朝鮮民族の民衆に漢文は難しすぎたため、一部の知識階級の人しか利用できず、大衆は不満を持っていた。朝鮮では民衆の識字率は極めて低かった。<略>
普及阻害要因
だが、漢字に慣れ親しんできた学者や上流階級は、全く読み書きが出来無かった女性でも文字の修得が可能だった訓民正音を「女文字」などと呼ぶなどして嘲り、普及に反対した。<略>
普及期
これに悲観したのは民族文化を誇る朝鮮人ではなく、実は日本人である慶応義塾塾長、福澤諭吉だった。
彼は、朝鮮を文明国にするためには世界で起こっていることを知り、文明開化の意味を知る必要があると考えた。そこで自腹でハングル活字を作り、漢字ハングル混じりの新聞を発行して普及に勤めた。
清国官憲や朝鮮人の一部から激しい反発があったものの、福澤の弟子、井上が朝鮮で初の新開「漢城旬報」の発行に成功した。この新聞は漢文の読めない多くの民衆でも読めるとあって人気を博した。<略> ・・後に漢字・ハングル混合文の新聞や雑誌などが登場することになり、漢城旬報がハングルの普及に一役買ったことは疑いようがない。・・<以下全文>
http://www.wdic.org/w/CUL/%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%AB
以下は本日の東亜日報コラムであるが、実に大嘘にまみれておる。朝鮮でのハングル語新聞の発刊は、日本の朝鮮総督府主導によるものであり、ハングルの普及も日本の主導であり、特に福沢諭吉の貢献が大きい。これによって朝鮮半島の文盲率は大幅に改善された。この事実をまったく逆に解して日本を悪玉にしたてあげ、韓国国民を煽動しておる。戦時下では日本の新聞も等しく検閲を受けておる。この論説委員は一体何を学んできたのかな?
東亜日報:
[オピニオン]日本植民地時代の知性
JUNE 11, 2007 02:47
日本が韓半島を強制的に占領した1910年、朝鮮に住んでいた日本人は17万人だった。1700万人と推計される朝鮮人口の1%にすぎなかった。にもかかわらず、朝鮮で日本語の新聞は16も発行された。いっぽう、韓国語の新聞は朝鮮総督府の機関紙である毎日(メイル)新報と慶南(キョンナム)日報のみだった。<略>
1919年、3・1独立運動が起きて、翌年、日本帝国が「文化政治」という名のもとで、東亜(トンア)日報や朝鮮(チョソン)日報、時事(シサ)新聞の3紙の創刊を認めるまで、韓半島はメディアの暗黒時代だった。
◆<略> ・・新聞は政府を失った朝鮮人のために政府の役割を肩代わりしなければならないという使命を持った。それで、東亜日報や朝鮮日報が行ったもう一つの課題は教育や啓蒙だった。民立大学の設立、文盲撃退運動が代表的なことだった。1920年代には新春文芸を新設して、国語を失う危機のなかで、ハングルを守り抜いた。・・<以下全文>
http://japan.donga.com/srv/service.php3?biid=2007061105768
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上記事に対する反論 -- 歴史が語る事実:
ハングル誕生当初
この文字が作られた当時は、正字として漢文が使用されていた。そのため漢文で十分だとする保守派(反対派)の存在により訓民正音は蔑まされてきた。
しかし朝鮮民族の民衆に漢文は難しすぎたため、一部の知識階級の人しか利用できず、大衆は不満を持っていた。朝鮮では民衆の識字率は極めて低かった。<略>
普及阻害要因
だが、漢字に慣れ親しんできた学者や上流階級は、全く読み書きが出来無かった女性でも文字の修得が可能だった訓民正音を「女文字」などと呼ぶなどして嘲り、普及に反対した。<略>
普及期
これに悲観したのは民族文化を誇る朝鮮人ではなく、実は日本人である慶応義塾塾長、福澤諭吉だった。
彼は、朝鮮を文明国にするためには世界で起こっていることを知り、文明開化の意味を知る必要があると考えた。そこで自腹でハングル活字を作り、漢字ハングル混じりの新聞を発行して普及に勤めた。
清国官憲や朝鮮人の一部から激しい反発があったものの、福澤の弟子、井上が朝鮮で初の新開「漢城旬報」の発行に成功した。この新聞は漢文の読めない多くの民衆でも読めるとあって人気を博した。<略> ・・後に漢字・ハングル混合文の新聞や雑誌などが登場することになり、漢城旬報がハングルの普及に一役買ったことは疑いようがない。・・<以下全文>
http://www.wdic.org/w/CUL/%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%AB
これは メッセージ 1 (may7idaho さん)への返信です.