>「日本は南北統一に反対していると思う?
投稿者: may7idaho 投稿日時: 2007/05/26 12:22 投稿番号: [18013 / 73791]
>1)今現在統一されていないニダ。
2)建前上、ウリナラは統一を願っているようなフリをしたい(本心は逆)ニダ。
3)統一できない理由を他に転嫁しなければ整合性が無くなるニダ。
4)日本の責任にするニダっ!
5)アイゴー、日本の属国であることを表明したことになってしまったニダっ!
事実に基づかない論理構成、妄想しかできない民族、その場限りのツギハギの「言い訳」しかできない朝鮮人って、自爆お笑い芸人<
6)もありますね。
『日本は朝鮮を独立させてやったことがあり、分割に反対したことが二回あり、統一したまま自治権をくれてやったこともある』
とにかく、記者会見なんかしてるほど、おヒマなら、『思う』なんてアホな感想を言ってるヒマがあったら、さっさとやったら?と(笑)。
東西分割国の中でも、もう、とっくの昔に『朝鮮だけが落ちこぼれ』なんですから!
1976年7月1日、南北ベトナム統一とベトナム社会主義共和国樹立(北ベトナムによる南ベトナムの吸収)が宣言された。
今から、31年前の事。
1990年10月3日、ドイツ連邦共和国(通称「西ドイツ」)にドイツ民主共和国(通称「東ドイツ」)に吸収され、東西ドイツ統一。
今から17年前の事。
南北朝鮮。
一世紀前に、日本に対して、ロシアが39度線を境に、南北分割占領を提案。日本は拒否。
『米ソの半島分割占領
第二次世界大戦が終結すると、朝鮮半島は日本はポツダム宣言に則り、朝鮮半島の統治権を放棄することとなり、朝鮮総督府から自治権が与えられ、独立準備委員会の設立、朝鮮半島の速やかなる独立を計ったが、その後進駐してきた米軍により、その行動はポツダム宣言に違反するとされ、独立準備委員会は解散させられ、朝鮮側もその指示を受け入れた。
日本の敗戦による解放は、与えられた「解放」であった。
独立を目指す諸潮流のいずれかが主導権を得るということもなく、自らの運動が解放に直結したという実感もなかった。
米軍とソ連軍が、国連の信託統治案に従って、一方的に朝鮮上陸を開始。
米軍ホッジ中将と、ソ連軍スチコフ中将が米ソ共同統治委員会を構成。
1945年9月7日、ソウルに進駐した米軍を朝鮮人は大歓迎し、拍手の中で、中央庁の国旗掲揚台には日章旗にかわって星条旗が掲げられた。
8月20日、ソ連軍は、元山港に上陸し、いち早く大部隊を進駐させ、朝鮮側は拍手と花束で迎えた。
ソ連は、また、鉄道大体、鉄道警備隊、建設部隊も大量に投入し、工場施設、機械、米麦等の食料を大量に接収、ソ連に持ち去ってしまった。
朝鮮人が自ら戦って独立を勝ち取ることができなかったこと、独立運動の諸派が解放後の、それも数年間に激しく対立しつづけたことは南北分断にも少なからず影響し、その後の朝鮮の運命を決定づけた。
占領軍政下・南北朝鮮の政治情勢は大混乱に陥った。左右対立の激化は南北の分断の一因にもなり、特にソウルで朝鮮人の意思を糾合することをますます難しくした。
その後、信託統治案を巡る左右対立に、米ソの対立も反映され、結果的には、米軍占領下ではアメリカが推す李承晩を中心とした政権と李承晩の権力基盤が作られ、国内の民族主義者、共和主義者、議会主義者、統一派らは李承晩により次々と抹殺されていった。しして、その他の潮流は排除された。
ソ連軍政下でもソ連の傀儡、金日成がトップにすえられ、北朝鮮側に集まった朝鮮人社会主義者、民族主義者達は、たちまち抹殺されていった。このようにして、両大国の占領軍によって「建国」は主導されてしまった。』
http://www.dmz.ne.kr/jap/History/h4.htm
2)建前上、ウリナラは統一を願っているようなフリをしたい(本心は逆)ニダ。
3)統一できない理由を他に転嫁しなければ整合性が無くなるニダ。
4)日本の責任にするニダっ!
5)アイゴー、日本の属国であることを表明したことになってしまったニダっ!
事実に基づかない論理構成、妄想しかできない民族、その場限りのツギハギの「言い訳」しかできない朝鮮人って、自爆お笑い芸人<
6)もありますね。
『日本は朝鮮を独立させてやったことがあり、分割に反対したことが二回あり、統一したまま自治権をくれてやったこともある』
とにかく、記者会見なんかしてるほど、おヒマなら、『思う』なんてアホな感想を言ってるヒマがあったら、さっさとやったら?と(笑)。
東西分割国の中でも、もう、とっくの昔に『朝鮮だけが落ちこぼれ』なんですから!
1976年7月1日、南北ベトナム統一とベトナム社会主義共和国樹立(北ベトナムによる南ベトナムの吸収)が宣言された。
今から、31年前の事。
1990年10月3日、ドイツ連邦共和国(通称「西ドイツ」)にドイツ民主共和国(通称「東ドイツ」)に吸収され、東西ドイツ統一。
今から17年前の事。
南北朝鮮。
一世紀前に、日本に対して、ロシアが39度線を境に、南北分割占領を提案。日本は拒否。
『米ソの半島分割占領
第二次世界大戦が終結すると、朝鮮半島は日本はポツダム宣言に則り、朝鮮半島の統治権を放棄することとなり、朝鮮総督府から自治権が与えられ、独立準備委員会の設立、朝鮮半島の速やかなる独立を計ったが、その後進駐してきた米軍により、その行動はポツダム宣言に違反するとされ、独立準備委員会は解散させられ、朝鮮側もその指示を受け入れた。
日本の敗戦による解放は、与えられた「解放」であった。
独立を目指す諸潮流のいずれかが主導権を得るということもなく、自らの運動が解放に直結したという実感もなかった。
米軍とソ連軍が、国連の信託統治案に従って、一方的に朝鮮上陸を開始。
米軍ホッジ中将と、ソ連軍スチコフ中将が米ソ共同統治委員会を構成。
1945年9月7日、ソウルに進駐した米軍を朝鮮人は大歓迎し、拍手の中で、中央庁の国旗掲揚台には日章旗にかわって星条旗が掲げられた。
8月20日、ソ連軍は、元山港に上陸し、いち早く大部隊を進駐させ、朝鮮側は拍手と花束で迎えた。
ソ連は、また、鉄道大体、鉄道警備隊、建設部隊も大量に投入し、工場施設、機械、米麦等の食料を大量に接収、ソ連に持ち去ってしまった。
朝鮮人が自ら戦って独立を勝ち取ることができなかったこと、独立運動の諸派が解放後の、それも数年間に激しく対立しつづけたことは南北分断にも少なからず影響し、その後の朝鮮の運命を決定づけた。
占領軍政下・南北朝鮮の政治情勢は大混乱に陥った。左右対立の激化は南北の分断の一因にもなり、特にソウルで朝鮮人の意思を糾合することをますます難しくした。
その後、信託統治案を巡る左右対立に、米ソの対立も反映され、結果的には、米軍占領下ではアメリカが推す李承晩を中心とした政権と李承晩の権力基盤が作られ、国内の民族主義者、共和主義者、議会主義者、統一派らは李承晩により次々と抹殺されていった。しして、その他の潮流は排除された。
ソ連軍政下でもソ連の傀儡、金日成がトップにすえられ、北朝鮮側に集まった朝鮮人社会主義者、民族主義者達は、たちまち抹殺されていった。このようにして、両大国の占領軍によって「建国」は主導されてしまった。』
http://www.dmz.ne.kr/jap/History/h4.htm
これは メッセージ 18007 (ahoruda333 さん)への返信です.