1907年頃の朝鮮 オエ〜ウヒャ〜
投稿者: bellsantes 投稿日時: 2007/05/16 21:40 投稿番号: [17674 / 73791]
当時、日本にいたイギリス人女性が、朝鮮に旅をして、日本との違いに驚き呆れている。
例の、明治時代の日本人使節団も、余りにも不潔、余りにも荒廃しきっていて驚いた朝鮮の光景、中でも、草ぼうぼうで荒れ果てた宮殿というものの写真があった。
エンコレのこのページの真ん中あたりに写ってる。
http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&nid=77487>弘礼門
1902年
雑草の生い茂った中庭<
>1907年のある時期に,下の子供たち3人を朝鮮と中国へ旅行に連れてゆく許しが出たが,これは私が公爵(*島津忠重: 1886-1968)や顧問の人たちから信頼されていたことを示す大いなる証拠といってよいだろう。
この旅行の計画が知れると,それに反対する何通かの手紙がいろいろな友人から送られてきた。その友人のある者は,以前その地方を旅行したことがあり,衛生上およびその他の見地から,この計画をやめるように強く忠告してきた。
われわれは医学書をたくさん抱え込み,大きな薬箱を提げて旅行に出発したのである。
>われわれが,朝鮮への第一歩を印すべく釜山の港へ着いたのは午前9時半頃であった。
船から見ると,丘は砂山で暑そうに見え,木が一本もなかった。
土は茶褐色をしていて,日本の土とは全然違っていた。
>人々の身なりは汚く,子供たちの多くは着物を着ていなかった。
彼らの髪の毛は日本人のように黒ではなくて,
ある種の色がある――あるいは埃をよく払い落とせば色がわかるだろうといったほうがよかもしれない。
とにかく,そこいらじゅう埃だらけで大変だった。
>汽車で旅行すると,方々に所かまわず土が盛り上げてあるのが見えるが,それは墓らしかった。それらの墓には名前もついてないし,碑文を刻んだ墓石もなかった。
なぜなら,朝鮮〜人は死者を葬るのに気の向いた所に,水田でもどこでもお構いなしに葬るからである。
>私の聞いた話では,普通の朝鮮〜人は1着しか着物を持たず,それも洗っている間は家にいなければならないという単純な理由から,滅多に洗濯しないということだった。また,同じ理由で雨の日は働かない。
>1着しかない服が濡れると困るので,水辺では服を脱いで労働。
(下着が無いため,脱ぐと素っ裸ですw)
>既婚の男は髪の毛を頭の上で小さな髷に結っており,未婚の男は髪を真ん中で分け,後ろ側で弁髪に編んでいる。
朝鮮〜人が高い帽子をかぶると,この髷が透けてみえるので面白いと思った。帽子が蝿帳のように,ある程度透けてみえるからである。
時によると,彼らは帽子を雨や日光から守るために,小さな油紙で張った1フィートぐらいの長さの笠を帽子の上につけていることがある。
>朝鮮服の奇妙な特徴は,腹部を丸出しにしたまま
これは メッセージ 1 (may7idaho さん)への返信です.
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