ソ連と北朝鮮、金日成の御立派な関係
投稿者: may7idaho 投稿日時: 2007/05/12 11:56 投稿番号: [17428 / 73791]
>親北と見られていたイランにまで督促されるとは、来る所まで来てますね。
知られれば、知られるほど嫌われる朝鮮人。
韓国、北朝鮮にはもっともっと多くの国々とお付き合いをして欲しいものですね。(笑)<
goddagodo345さん、まったくですね(笑)。盧武鉉をはじめ、引き籠もらずにどんどん外に出て貰いたいですね。
>傀儡にしようとした金日成(本当の金日成とは別人と言われている)がソ連の言う事聞かなくなって、おまけにさんざんな目にあわされて、それで最後はソ連は北をブン投げたんじゃなかったっけ?
で、ソ連は「朝鮮とはかかわるな」との結論が出たと。
当時のソ連の高官が言ってた気がします。<
chianti750さん、これは、ソ連が、自ら連れてきた傀儡を、「金日成」として使い始めた直後から始まっているんですよね。
46年頃から、既に辟易としていき、現場では、北朝鮮と金日成の無能を知っていて、48年には早くも手を引き始めます(笑)。
ただし、旧ソ連は、北朝鮮の事を責める資格はないのですが・・・・
第25軍軍事委員レベジェフ少将、メクレル中佐、ソ連軍の宣伝担当将校レオニード・ワシン、ソ連軍通訳の副官・文日(ムンイル)、李相朝・朝鮮人民軍元副参謀長、兪成哲・作戦局長ら多数が、その後、ソ連側で多くの証言をし、金日成の正体を余すところなく暴露しており、ソ連派の追放、粛清は、結果的には、大変良いことでしたね。
中でも、レオニード・ワシンと兪成哲の証言は、金日成と毎日のように接していただけに、大変詳細で、金日成の惨めな姿を実にリアルによく伝えています。
第25軍のレベジェフ少将の回想録では、金聖柱大尉(金日成と名乗る事になっていた)はレベジェフに会うとすぐ、「私もソ連軍とともに、満州各地で戦い、激戦を経たことにしていただきたい。戦歴がないとカッコがつかない。勲章も形だけでいいから授与してほしい」と何度も懇願し、その後も執拗に要求したそうです。
レベジェフは、回想録でも、日本軍に一目置いており、軍人らしい軍人で、戦死者、戦勝者の名誉を汚す行為だと、金日成のたびたびの懇願にもかかわらず、言下に厳しく拒絶したとあります。
「朝鮮人が一切戦わなかったことは、皆、知っていた。すぐに発覚するとも思った。こんな男で?と不安になった」
また、金聖柱がロシア語も堪能でないことにも不信感をもった、会話をするのに通訳が必要だった、と。
兪成哲と北朝鮮進駐ソ連軍の宣伝担当将校レオニード・ワシンも後に揃ってこう証言。
「さらに、ソ連側は当初気づいていなかったが、金聖柱は朝鮮語が非常に不得意で(後に、中国語だけは堪能で会話、筆記とも困らない事が判明して、さらにソ連側を驚かせ、混乱させる)、普段は兪成哲が命令などを現地の朝鮮人に伝えるのに通訳し、原稿もすべて代筆していた。
こんな男に金日成役がつとまるのだろうか?」
性格については、兪成哲らは、金日成を「ちょっとしたことでも恨みをもち、許さない性格。狡猾で陰険、豪放磊落を装うが、実は逆。酒が好きでおしゃべり。不安定なところもあり、動転すると、執務室でも酒をすぐに飲む」と語っている。
気に入らない民族主義者は、一人残らず暗殺か、家族もろともに収容所送り。
45年10月、この偽の金日成は、平壌で「金日成将軍」として、初めて演説。レオニード・ワシンらの不安は現実と化す。
1920年代に活躍したとされる金日成が30代のはずはない、体裁も悪く、朝鮮語もろくにしゃべれない、こんな小男がどうして朝鮮人の将軍?
単なるソ連の手先か? 会場は怒号が続き、抗議の声とともに退席する人も続出。
それから、金日成は、一般の演説会場や、公の場には殆ど姿を現さなくなった・・・・
一方、北朝鮮領域全土に展開したソ連軍は・・・・
北朝鮮進駐と同時に、ソ連軍は戦闘部隊にも劣らない数の工兵師団、鉄道大隊、鉄道警備隊も展開。
朝鮮内のダム施設機器、工作機械、大型プレス機、旋盤、大型ポンプ、トラック、貨車、機関車など、目に付く資材、機械、生産設備を48年まで、次々と持ち去った。
また、米麦その他、穀物を分かっているだけで30万トン以上徴発。
殆どの地方で飢餓が発生。ソ連軍が進駐、「金日成」の登場とともに、その翌年から全土で餓死者が出るようになった。
飢餓も収容所も登場した翌年から始まった。
南も、李承晩の自国民虐殺の嵐から、飢餓と混乱を極め、最貧国にあっさり、転落・・・・・
知られれば、知られるほど嫌われる朝鮮人。
韓国、北朝鮮にはもっともっと多くの国々とお付き合いをして欲しいものですね。(笑)<
goddagodo345さん、まったくですね(笑)。盧武鉉をはじめ、引き籠もらずにどんどん外に出て貰いたいですね。
>傀儡にしようとした金日成(本当の金日成とは別人と言われている)がソ連の言う事聞かなくなって、おまけにさんざんな目にあわされて、それで最後はソ連は北をブン投げたんじゃなかったっけ?
で、ソ連は「朝鮮とはかかわるな」との結論が出たと。
当時のソ連の高官が言ってた気がします。<
chianti750さん、これは、ソ連が、自ら連れてきた傀儡を、「金日成」として使い始めた直後から始まっているんですよね。
46年頃から、既に辟易としていき、現場では、北朝鮮と金日成の無能を知っていて、48年には早くも手を引き始めます(笑)。
ただし、旧ソ連は、北朝鮮の事を責める資格はないのですが・・・・
第25軍軍事委員レベジェフ少将、メクレル中佐、ソ連軍の宣伝担当将校レオニード・ワシン、ソ連軍通訳の副官・文日(ムンイル)、李相朝・朝鮮人民軍元副参謀長、兪成哲・作戦局長ら多数が、その後、ソ連側で多くの証言をし、金日成の正体を余すところなく暴露しており、ソ連派の追放、粛清は、結果的には、大変良いことでしたね。
中でも、レオニード・ワシンと兪成哲の証言は、金日成と毎日のように接していただけに、大変詳細で、金日成の惨めな姿を実にリアルによく伝えています。
第25軍のレベジェフ少将の回想録では、金聖柱大尉(金日成と名乗る事になっていた)はレベジェフに会うとすぐ、「私もソ連軍とともに、満州各地で戦い、激戦を経たことにしていただきたい。戦歴がないとカッコがつかない。勲章も形だけでいいから授与してほしい」と何度も懇願し、その後も執拗に要求したそうです。
レベジェフは、回想録でも、日本軍に一目置いており、軍人らしい軍人で、戦死者、戦勝者の名誉を汚す行為だと、金日成のたびたびの懇願にもかかわらず、言下に厳しく拒絶したとあります。
「朝鮮人が一切戦わなかったことは、皆、知っていた。すぐに発覚するとも思った。こんな男で?と不安になった」
また、金聖柱がロシア語も堪能でないことにも不信感をもった、会話をするのに通訳が必要だった、と。
兪成哲と北朝鮮進駐ソ連軍の宣伝担当将校レオニード・ワシンも後に揃ってこう証言。
「さらに、ソ連側は当初気づいていなかったが、金聖柱は朝鮮語が非常に不得意で(後に、中国語だけは堪能で会話、筆記とも困らない事が判明して、さらにソ連側を驚かせ、混乱させる)、普段は兪成哲が命令などを現地の朝鮮人に伝えるのに通訳し、原稿もすべて代筆していた。
こんな男に金日成役がつとまるのだろうか?」
性格については、兪成哲らは、金日成を「ちょっとしたことでも恨みをもち、許さない性格。狡猾で陰険、豪放磊落を装うが、実は逆。酒が好きでおしゃべり。不安定なところもあり、動転すると、執務室でも酒をすぐに飲む」と語っている。
気に入らない民族主義者は、一人残らず暗殺か、家族もろともに収容所送り。
45年10月、この偽の金日成は、平壌で「金日成将軍」として、初めて演説。レオニード・ワシンらの不安は現実と化す。
1920年代に活躍したとされる金日成が30代のはずはない、体裁も悪く、朝鮮語もろくにしゃべれない、こんな小男がどうして朝鮮人の将軍?
単なるソ連の手先か? 会場は怒号が続き、抗議の声とともに退席する人も続出。
それから、金日成は、一般の演説会場や、公の場には殆ど姿を現さなくなった・・・・
一方、北朝鮮領域全土に展開したソ連軍は・・・・
北朝鮮進駐と同時に、ソ連軍は戦闘部隊にも劣らない数の工兵師団、鉄道大隊、鉄道警備隊も展開。
朝鮮内のダム施設機器、工作機械、大型プレス機、旋盤、大型ポンプ、トラック、貨車、機関車など、目に付く資材、機械、生産設備を48年まで、次々と持ち去った。
また、米麦その他、穀物を分かっているだけで30万トン以上徴発。
殆どの地方で飢餓が発生。ソ連軍が進駐、「金日成」の登場とともに、その翌年から全土で餓死者が出るようになった。
飢餓も収容所も登場した翌年から始まった。
南も、李承晩の自国民虐殺の嵐から、飢餓と混乱を極め、最貧国にあっさり、転落・・・・・
これは メッセージ 17412 (goddagodo345 さん)への返信です.