情報分析せず、現場情報を無視したソ連軍
投稿者: may7idaho 投稿日時: 2007/04/23 08:23 投稿番号: [16501 / 73791]
極めて少数の日本軍に対して、大機甲軍団をもって不意打ちし、一気呵成に押せば、容易に勝てると踏んでいたソ連軍参謀とジューコフ。
草原の中に、まさか、それほどの大群が隠れているとは、当然ながら、知らなかった日本軍ですが、現地の情報を素早く解析し、すぐに、相手に有効な反撃を次々と加えていきました。
対するソ連軍は、情報収拾、分析能力が欠け、失敗に失敗、損害に損害を重ねていきます。
ノモンハン戦後も、当時は、どこの軍隊も(米軍ですら)、大敗北はできるだけ隠し、担当した将軍、将校らは、大体ろくな目を見ませんが、それにしても、ソ連軍は悲惨でした。
>6月17日にソ連空軍は満洲国側の数拠点への爆撃を行った。ソ連側の主張する国境であるハルハ河東岸からさらに20キロも内部に入った完全な越境攻撃であった。
ソ連の空襲には大きな損害はなかったが、日本軍はここで黙っていてはさらに大規模な侵犯を招くと考え、
6月27日、ソ連のタムスク飛行場を爆撃機30、戦闘機77で急襲。撃墜99機、爆破25機、基地の半分を破壊するという戦果をあげた。
ソ連の戦車隊は技量が低く、停止してからでないと射撃が出来なかった。それに対して日本軍は走行射撃の技術を持ち、停止している敵戦車を容易に撃破できた。またソ連戦車は火炎瓶を投げるとすぐに燃え上がった。こうして2百両近いソ連戦車がたちまち撃破された。破壊された装甲車からは足首を鎖で縛られて逃げないようにされたモンゴル兵の死体が見られた。
兵員死傷 日本 17,405名 ソ連 25,655名以上
航空機損害 日本 179機 ソ連 1,673機
戦車損害 日本 29台 ソ連 800台以上
「惨敗」したのはどちらの方か、これらの数字が雄弁に物語っている。特に航空機や戦車の損害を比較すれば、ソ連軍の近代兵器のレベルがどの程度かは、言わずもがなであろう。日本軍は少数ながら、優れた近代兵器と旺盛な戦闘精神で、数倍のソ連軍を敵に回してよく国境を守ったのである。
ノモンハン事件はソ連側の侵略によって始まり、これを日本軍が痛撃したことで停戦となった。<
ソ連軍の分析でも触れられていますが、結局、ノモンハンのソ連軍の完敗、戦力11分の1の日本軍圧勝の理由は、
1.ソ連軍は、侵攻前から、日本軍の戦力分析に失敗。
戦車、装甲車、航空機等を大量に揃えれば簡単に勝てると誤算した。
2.侵攻直後から、日本軍は、優秀な兵器群を活用し、
初めからソ連軍に大損害を立て続けに与えましたが、
ソ連軍参謀本部はこれを信ぜず、
ひたすら、現地軍を督戦し、同じ失敗を最後まで繰り返した。
3.戦車を使い果たすと、日本軍機関銃陣地にも40回以上の歩兵突撃を繰り返し、
歩兵全滅を招いた。
4.それでも、日本軍戦車、航空機、対戦車砲等の優秀さをジューコフ等は、
何度報告されてもこれを無視し、最後まで現地情報を活かせなかった。
5.戦闘半ばから、ジューコフらへの抗命が目立ち、
次々と指揮官を粛清しはじめ、かえって、混乱と損害を広げた。
6.ノモンハンの大敗北は、ソ連軍全体の士気をくじき、
空軍壊滅状態に追い込んだ。これが独ソ開戦大敗北の一因になった。
7.ノモンハン戦の終了直後から、現地司令官、副官らの粛清が相次ぎ、
結局、敗北の教訓はまったく活かされなかった。
8.その後も、日本軍には、局地戦でもまったく歯が立たず、
結局、日本軍を恐れるソ連軍の突き上げもあり、日ソ不可侵条約を生み、ソ連は、大戦終戦時まで、
まったく日本軍に手を出さなかった。当然ながら、日本軍の敢闘が、満州、日本の安全を生んだ。
草原の中に、まさか、それほどの大群が隠れているとは、当然ながら、知らなかった日本軍ですが、現地の情報を素早く解析し、すぐに、相手に有効な反撃を次々と加えていきました。
対するソ連軍は、情報収拾、分析能力が欠け、失敗に失敗、損害に損害を重ねていきます。
ノモンハン戦後も、当時は、どこの軍隊も(米軍ですら)、大敗北はできるだけ隠し、担当した将軍、将校らは、大体ろくな目を見ませんが、それにしても、ソ連軍は悲惨でした。
>6月17日にソ連空軍は満洲国側の数拠点への爆撃を行った。ソ連側の主張する国境であるハルハ河東岸からさらに20キロも内部に入った完全な越境攻撃であった。
ソ連の空襲には大きな損害はなかったが、日本軍はここで黙っていてはさらに大規模な侵犯を招くと考え、
6月27日、ソ連のタムスク飛行場を爆撃機30、戦闘機77で急襲。撃墜99機、爆破25機、基地の半分を破壊するという戦果をあげた。
ソ連の戦車隊は技量が低く、停止してからでないと射撃が出来なかった。それに対して日本軍は走行射撃の技術を持ち、停止している敵戦車を容易に撃破できた。またソ連戦車は火炎瓶を投げるとすぐに燃え上がった。こうして2百両近いソ連戦車がたちまち撃破された。破壊された装甲車からは足首を鎖で縛られて逃げないようにされたモンゴル兵の死体が見られた。
兵員死傷 日本 17,405名 ソ連 25,655名以上
航空機損害 日本 179機 ソ連 1,673機
戦車損害 日本 29台 ソ連 800台以上
「惨敗」したのはどちらの方か、これらの数字が雄弁に物語っている。特に航空機や戦車の損害を比較すれば、ソ連軍の近代兵器のレベルがどの程度かは、言わずもがなであろう。日本軍は少数ながら、優れた近代兵器と旺盛な戦闘精神で、数倍のソ連軍を敵に回してよく国境を守ったのである。
ノモンハン事件はソ連側の侵略によって始まり、これを日本軍が痛撃したことで停戦となった。<
ソ連軍の分析でも触れられていますが、結局、ノモンハンのソ連軍の完敗、戦力11分の1の日本軍圧勝の理由は、
1.ソ連軍は、侵攻前から、日本軍の戦力分析に失敗。
戦車、装甲車、航空機等を大量に揃えれば簡単に勝てると誤算した。
2.侵攻直後から、日本軍は、優秀な兵器群を活用し、
初めからソ連軍に大損害を立て続けに与えましたが、
ソ連軍参謀本部はこれを信ぜず、
ひたすら、現地軍を督戦し、同じ失敗を最後まで繰り返した。
3.戦車を使い果たすと、日本軍機関銃陣地にも40回以上の歩兵突撃を繰り返し、
歩兵全滅を招いた。
4.それでも、日本軍戦車、航空機、対戦車砲等の優秀さをジューコフ等は、
何度報告されてもこれを無視し、最後まで現地情報を活かせなかった。
5.戦闘半ばから、ジューコフらへの抗命が目立ち、
次々と指揮官を粛清しはじめ、かえって、混乱と損害を広げた。
6.ノモンハンの大敗北は、ソ連軍全体の士気をくじき、
空軍壊滅状態に追い込んだ。これが独ソ開戦大敗北の一因になった。
7.ノモンハン戦の終了直後から、現地司令官、副官らの粛清が相次ぎ、
結局、敗北の教訓はまったく活かされなかった。
8.その後も、日本軍には、局地戦でもまったく歯が立たず、
結局、日本軍を恐れるソ連軍の突き上げもあり、日ソ不可侵条約を生み、ソ連は、大戦終戦時まで、
まったく日本軍に手を出さなかった。当然ながら、日本軍の敢闘が、満州、日本の安全を生んだ。