>賭博問題、ゴロツキ、『独立の義士』
投稿者: may7idaho 投稿日時: 2007/02/18 19:43 投稿番号: [12851 / 73791]
>私が住んでるところは、「考試村」と呼ばれているので近所のバァさんがやってるところを、たまに見るだけですね。<
それは、運が悪いのか良いのか・・・(笑)。
少し親しくなって、相手の家に呼ばれたりすると、家族ぐるみで、とか、相手の同僚、近所の人とかを交えて延々と・・・。大体、韓国人の方が飲み過ぎの上に、すぐ熱くなって目つきが変わってくるので、簡単に『小遣い』くらい稼げて、日本人はニコニコしながら、参加するんですが・・・ただ、1〜2時間でどうやって、逃げ帰るかを算段しておかないと朝方までつきあわされますね。
麻雀は、少ないが、やっている人達はいますよ。同じく賭けがとんでもないですが(笑)。
でも、一般的に、と言ったら、(ゲーム機を除けば)やはり、花札と賭けカラオケ(苦笑)でしょうね。
カラオケは、始める前に、テーブルの上にかなりの金額の金を置き、点数表示のカラオケ機で争い、暴飲しながら数時間歌って、点数の高い人が全額いただく、というもの(2位だ、3位だなんて設定はなし。笑。一人勝ちのみ)。
何でも、ギャンブル化して凄い金額でやりますね。
李承晩とか、ゴロツキの別名、『独立の義士』も伝統的に麻雀好きが多いですよ。
『韓国では“独立闘争の義士”として教科書にも登場する李奉昌は、朝鮮の京城府龍山の李鎮球の次男として1900年に生まれました。
李の社会人としてのキャリアは、1919年に朝鮮鉄道局に人夫として就職したところから始まります。朝鮮鉄道局では、龍山駅操車課に勤務していたのですが、女好きで麻雀にはまって借金を作り、1924年4月、退職金欲しさに辞職しています。
退職金も底を尽きて生活に困った1925年11月、李は大阪に渡り、木下昌一を名乗ってガス工事の作業員になりました。その後は、1930年3月に上京し、松井和夫という日本名を名乗って漬物屋に就職した後、はやくも7月には本郷のかばん店に転職。しかし、このカバン店から11月末に売上金240円を盗み、年末のどさくさに紛れて上海へ高飛びしてしまいました。
上海での李は、持ち逃げした金がなくなると、蓄音器のセールスマンになるのですが、薄給の新米セールスマンが東洋一の歓楽街・上海で飲む・打つ・買うの三拍子揃った生活を送っていれば経済的に破綻するのは誰の眼にも明らかで、またもや、彼は生活に窮します。
金に困っていた李は、どこでどうやって調べたのか、1931年に韓人愛国党(独立運動の地下組織)の事務所を訪れ、昭和天皇の暗殺を申し出て武器と資金を受け取り、同年12月に氷川丸で神戸に渡りました。船中での李は、あいかわらず、麻雀をしながら女の話ばかりしていたそうです。
日本に上陸した後は、韓人愛国党から受け取った金で大阪市内の木賃宿に泊まりながら、カフェーや遊郭を遊び歩く日々を過し、12月22日に上京。その後は浅草の尾張屋旅館に宿泊し、またもや、遊蕩三昧の生活をしていました。
この間、新聞で昭和天皇の車列が1月8日の正午前に桜田門外を通ることを知った李は、犯行の前々日、たまたま知り合った憲兵・浅山昌一からもらった名刺を悪用して、警備を突破し、昭和天皇の車列に手榴弾を投げつけたというわけです。
もっとも、李は昭和天皇の車と宮内大臣の車を勘違いし、宮内大臣の車に手榴弾を投げつけ、近衛騎兵の馬も軽症を負っただけで、天皇は無事でした。
当然のことながら、李はその場で現行犯逮捕され、大逆罪で9月30日に死刑判決を受けて10月10日に東京の市谷刑務所で処刑されています。
このように、事件にいたるまでの李奉昌の人生をたどってみると、行き当たりバッタリの転落人生を送ってきた人物が自棄になってテロ事件を起こしたようにしか僕には思えません。
かの国の学校教育では、「李奉昌のような人物になりなさい」と教えているのでしょうが、
女と麻雀に明け暮れて借金まみれになれとは、僕が教師だったら口が裂けても言えませんけどねぇ。』
http://yosukenaito.blog40.fc2.com/blog-category-50.html
それは、運が悪いのか良いのか・・・(笑)。
少し親しくなって、相手の家に呼ばれたりすると、家族ぐるみで、とか、相手の同僚、近所の人とかを交えて延々と・・・。大体、韓国人の方が飲み過ぎの上に、すぐ熱くなって目つきが変わってくるので、簡単に『小遣い』くらい稼げて、日本人はニコニコしながら、参加するんですが・・・ただ、1〜2時間でどうやって、逃げ帰るかを算段しておかないと朝方までつきあわされますね。
麻雀は、少ないが、やっている人達はいますよ。同じく賭けがとんでもないですが(笑)。
でも、一般的に、と言ったら、(ゲーム機を除けば)やはり、花札と賭けカラオケ(苦笑)でしょうね。
カラオケは、始める前に、テーブルの上にかなりの金額の金を置き、点数表示のカラオケ機で争い、暴飲しながら数時間歌って、点数の高い人が全額いただく、というもの(2位だ、3位だなんて設定はなし。笑。一人勝ちのみ)。
何でも、ギャンブル化して凄い金額でやりますね。
李承晩とか、ゴロツキの別名、『独立の義士』も伝統的に麻雀好きが多いですよ。
『韓国では“独立闘争の義士”として教科書にも登場する李奉昌は、朝鮮の京城府龍山の李鎮球の次男として1900年に生まれました。
李の社会人としてのキャリアは、1919年に朝鮮鉄道局に人夫として就職したところから始まります。朝鮮鉄道局では、龍山駅操車課に勤務していたのですが、女好きで麻雀にはまって借金を作り、1924年4月、退職金欲しさに辞職しています。
退職金も底を尽きて生活に困った1925年11月、李は大阪に渡り、木下昌一を名乗ってガス工事の作業員になりました。その後は、1930年3月に上京し、松井和夫という日本名を名乗って漬物屋に就職した後、はやくも7月には本郷のかばん店に転職。しかし、このカバン店から11月末に売上金240円を盗み、年末のどさくさに紛れて上海へ高飛びしてしまいました。
上海での李は、持ち逃げした金がなくなると、蓄音器のセールスマンになるのですが、薄給の新米セールスマンが東洋一の歓楽街・上海で飲む・打つ・買うの三拍子揃った生活を送っていれば経済的に破綻するのは誰の眼にも明らかで、またもや、彼は生活に窮します。
金に困っていた李は、どこでどうやって調べたのか、1931年に韓人愛国党(独立運動の地下組織)の事務所を訪れ、昭和天皇の暗殺を申し出て武器と資金を受け取り、同年12月に氷川丸で神戸に渡りました。船中での李は、あいかわらず、麻雀をしながら女の話ばかりしていたそうです。
日本に上陸した後は、韓人愛国党から受け取った金で大阪市内の木賃宿に泊まりながら、カフェーや遊郭を遊び歩く日々を過し、12月22日に上京。その後は浅草の尾張屋旅館に宿泊し、またもや、遊蕩三昧の生活をしていました。
この間、新聞で昭和天皇の車列が1月8日の正午前に桜田門外を通ることを知った李は、犯行の前々日、たまたま知り合った憲兵・浅山昌一からもらった名刺を悪用して、警備を突破し、昭和天皇の車列に手榴弾を投げつけたというわけです。
もっとも、李は昭和天皇の車と宮内大臣の車を勘違いし、宮内大臣の車に手榴弾を投げつけ、近衛騎兵の馬も軽症を負っただけで、天皇は無事でした。
当然のことながら、李はその場で現行犯逮捕され、大逆罪で9月30日に死刑判決を受けて10月10日に東京の市谷刑務所で処刑されています。
このように、事件にいたるまでの李奉昌の人生をたどってみると、行き当たりバッタリの転落人生を送ってきた人物が自棄になってテロ事件を起こしたようにしか僕には思えません。
かの国の学校教育では、「李奉昌のような人物になりなさい」と教えているのでしょうが、
女と麻雀に明け暮れて借金まみれになれとは、僕が教師だったら口が裂けても言えませんけどねぇ。』
http://yosukenaito.blog40.fc2.com/blog-category-50.html
これは メッセージ 12850 (red_mangou さん)への返信です.