いよいよ韓国消滅へカウントダウン!

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韓国の二大民族英雄の姿

投稿者: may7idaho 投稿日時: 2006/09/02 12:59 投稿番号: [1245 / 73791]
三一独立運動の主導者で、「三一独立宣言」を起案した崔南善。
そして、彼と並ぶ、韓国の民族英雄・孫基禎。

崔南善は、独立運動の英雄とされているものの、実は、日本が大好きな親日家。勿論、韓国ではその点にだけは触れませんが。
三一独立運動のデモの際に、フランス大使館の書記官に『デモだけで独立できるわけがない。ビラ撒きになんの意味がある?フランス革命の本でも読みなさい』と「説教」されてから、考え方を随分と変えた人です。


太平洋戦争の間は、朝鮮総督府が騒擾に繋がることを恐れて、再々活動自粛を頼んだ(総督府に召還して自粛を依頼したことも)にもかかわらず、
大東亜共栄圏、五族共和・満州国建設の思想流布、八紘一宇の理想実現のため奔走。
民族主義者として、朝鮮青年会などで盛んに志願兵への応募を呼びかけました。

東京にきて在日朝鮮人を集めた大会で以下のように演説し、満場の拍手を浴びました。


『今度の戦争を義戦、聖戦といわずして何といえようか!
大東亜の建設、全人類の解放、主義と信念と理想を生かすための聖なる戦いに行くことは何と快心事であることか!
日本国民としての忠誠と朝鮮男児の意気を発揮して、一人残らず出陣することを願う次第である。』
(崔南善演説。毎日申報1943年11月20日)

ベルリン・オリンピック、マラソン競技の金メダリスト、孫基禎も、朝鮮人学徒の志願兵応募組織に率先して参加。応募呼びかけに大変熱心で、あの頃を知る人達は、
志願応募といえば、この二人を連想します。

当然、志願応募、大東亜建設演説会は毎回盛況でした。
総督府が沈静化を図ったことと裏腹に、この二人の呼びかけが大きく影響し、志願兵応募は殺到。毎回少ないときでも競争倍率20倍、多いときは実に60倍に達しました。血書志願も相次いだのは、二人の奔走と演説が引き金でした。
志願兵競争倍率としては、空前の倍率で、
一次大戦開戦時のドイツ、イギリスでの熱狂的な志願率とほぼ並ぶほどです。


二人の呼びかけで戦地に赴き、日本と朝鮮のために尊い命を捧げられた朝鮮人青年は、今、靖国神社の御霊として、何を思っているのでしょうか?

当時の朝鮮青年の真面目で純真な方々が参加したのではないかと思います。


それから60年。

戦後、孫基禎氏は、こういった事に触れる事もありませんでした。


『黒田勝弘氏が妄言   「孫基禎の快挙は日本近代化の成果」

「孫基禎選手の快挙は日本近代化の成果だと思うが、(韓国人は)こうした客観的な歴史観を認めようとしない」。
日本の極右論客、黒田勝弘・産経新聞ソウル支局長は「‘韓国人の歴史観’は理解できない」とし、このように述べたと、東亜ドットコムが1日報じた。

黒田氏は先月26日、産経新聞の特派員コラムに掲載した「孫基禎の銅像」と題した文で、「当時は日韓併合で孫基禎は日本選手として出場した。五輪の歴史には当然、日本の金メダリストとして記録されているのだが、韓国人は昔からこれが気にくわなかった」とし「韓国では以前から歴史的記録になっている孫選手の国籍を日本から韓国に変えるよう主張してきた」と伝えた。

黒田氏はまた「韓国はドイツに出かけ記念碑に刻まれた‘JAPAN’をひそかに削って‘KOREA’に変えるという‘事件’まで起こしたことがある」とし、「優勝した時、当時の韓国の新聞が孫選手の胸の日章旗を消した写真を掲載した事件は、抗日史の輝かしい1ページとして今なお語り続けられている」と述べた。
黒田氏は「優勝した時、当時の韓国の新聞が孫選手の胸の日章旗を消した写真を掲載した事件は、抗日史の輝かしい1ページとして今なお語り続けられている」とし、「あった歴史よりあるべき歴史が重要というのが韓国人の歴史観」と強調した。』
中央日報、9月1日
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