元からない『民族主義』を再定義(大笑)
投稿者: may7idaho 投稿日時: 2007/02/07 08:24 投稿番号: [12280 / 73791]
もたもや、上下に分けて、ありもしないものを再定義すると称して、全編、勿体ぶった言い回しの、これぞ朝鮮人とでもいうべき、『社説』?『感想文』?というか、タワゴトが載りました。
ベトナムやフィリピン、或いはインドネシアやキューバ人が民族主義について語ったら、歴史的な民族解放、永い独立闘争の背景がありますから、誰しも敬意を払いつつ耳を傾けますね。しかも、フィリピン、キューバ、インドネシア等は、元から民族混成なので、そういったところでの民族主義とは何かと思いを馳せるものもあります。
かたや、朝鮮は・・・朴正煕元大統領が慨嘆尽きる事がなかったように、はっきり言えば、口先でどうのこうの言ってるだけで、上記の国々等とは対称的に、民族主義等成立した事もなければ、それが原動力になって戦った事すらない・・・だからこそ、金九など『自称亡命政府』関係者すら、そこにいた中国からすら認められず、戦後は一般旅行者として、逃げ出すように帰国、朴正煕ら戦う事のなかった『光復軍』将兵は、難民として、苦心惨憺、日本人難民と団子になって帰国・・・・戦後は、戦勝国と言い出すは、被害者だと言うは(大笑)。
そんな体たらくなのに、まだ、民族主義とやらを語る、この恥知らずぶり。
『粉骨砕身した開港期の開化派や愛国啓蒙運動家、日本統治期の独立・民族運動家、解放以降の建国・産業化の主役たちが真の民族主義者だ。彼らこそが、韓民族が世界の舞台で認められるようにした』?
どれ一つ、そういったもので、語れるだけのまともなものが見当たらない朝鮮の歴史。経済一つとっても、激しい内戦を経た上、事実上、戦後の支援を得られなかったスペイン等にも負ける・・・砂糖に蜂蜜をかけたような日米の支援があっても、今だにスペインにすら追いつけない・・・なのに、何を勘違いしたか。
元からないものを『再定義』すると言われても(笑)。
『もはや民族と民族主義は、その歴史的役割を終えたのだろうか。
最近、民族文学作家会議の名称から「民族」を取り除く問題で議論が紛糾した。「民族という古めかしい服を脱ぎ捨てるべきだ」と主張する会員らの考えには変わりがなく、名称変更問題は尾を引く見通しだ。
また、これだけにとどまらず、民族主義の牙城である韓国史学界でも、民族に対する執着を捨てるべきだという声が高まっている。
現在、韓国社会では民族と民族主義に対する批判が多くの角度から提起されている。その理由の一つがグローバル化時代にふさわしくないというもの。その代わり「国家」という用語を好んで使用している。
左派も、民族優先主義による内部への抑圧を強調する「民族」批判を行っている。民族をすべてのものに優先させる認識は、これまで階級・地域など、少数派の権利を抑圧する手段として作用し、外国人労働者やコシアン(韓国人とアジア系外国人の間に生まれた子供)に対する差別という副作用を生んでいるというのだ。左派は、韓国社会も次第に多民族・多文化社会に変わっているだけに、血統的民族観念を克服すべきだと。
韓国社会で1世紀以上絶対的な理念として君臨してきた「民族」という鉄壁の牙城が崩壊しつつあるのは否定できない事実だ。また、民族をことさらに強調する人が、時代遅れの人間のように見られるのは世界的な流れだ。早くから近代化を成し遂げた地域では、すでに脱民族、脱近代の段階に入っている。
韓国民族主義の本流は、左派が主張するような「抵抗民族主義」ではない。世界史での民族主義は、富国強兵の近代国家を建設するための理念であり、韓国も例外ではない。しっかりとした国をつくるため、粉骨砕身した開港期の開化派や愛国啓蒙運動家、日本統治期の独立・民族運動家、解放以降の建国・産業化の主役たちが真の民族主義者だ。彼らこそが、韓民族が世界の舞台で認められるようにした功臣なのだ。そして、彼らは決して世界史の流れに無知な民族至上主義者ではなく、「民族の中興」のためには世界とともに歩まなければならないことをよく理解していた。
韓国は真の近代国家を建設するため、いまだ「先進化」という高い壁を乗り越えなければならない。これは韓半島の南側から始まるが、南北全体を合わせ、全世界の韓民族共同体にも関係することだ。このあらゆる過程で民族と民族主義は、現在でもなお推進力となり得る。もちろん、21世紀の民族主義は、はるかに開放的かつ柔軟なものへと変化すべきだ。そうした点から、
「民族」の放棄ではなく、再定義なのだ。李先敏論説委員』
http://news.livedoor.com/article/detail/3017250/
ベトナムやフィリピン、或いはインドネシアやキューバ人が民族主義について語ったら、歴史的な民族解放、永い独立闘争の背景がありますから、誰しも敬意を払いつつ耳を傾けますね。しかも、フィリピン、キューバ、インドネシア等は、元から民族混成なので、そういったところでの民族主義とは何かと思いを馳せるものもあります。
かたや、朝鮮は・・・朴正煕元大統領が慨嘆尽きる事がなかったように、はっきり言えば、口先でどうのこうの言ってるだけで、上記の国々等とは対称的に、民族主義等成立した事もなければ、それが原動力になって戦った事すらない・・・だからこそ、金九など『自称亡命政府』関係者すら、そこにいた中国からすら認められず、戦後は一般旅行者として、逃げ出すように帰国、朴正煕ら戦う事のなかった『光復軍』将兵は、難民として、苦心惨憺、日本人難民と団子になって帰国・・・・戦後は、戦勝国と言い出すは、被害者だと言うは(大笑)。
そんな体たらくなのに、まだ、民族主義とやらを語る、この恥知らずぶり。
『粉骨砕身した開港期の開化派や愛国啓蒙運動家、日本統治期の独立・民族運動家、解放以降の建国・産業化の主役たちが真の民族主義者だ。彼らこそが、韓民族が世界の舞台で認められるようにした』?
どれ一つ、そういったもので、語れるだけのまともなものが見当たらない朝鮮の歴史。経済一つとっても、激しい内戦を経た上、事実上、戦後の支援を得られなかったスペイン等にも負ける・・・砂糖に蜂蜜をかけたような日米の支援があっても、今だにスペインにすら追いつけない・・・なのに、何を勘違いしたか。
元からないものを『再定義』すると言われても(笑)。
『もはや民族と民族主義は、その歴史的役割を終えたのだろうか。
最近、民族文学作家会議の名称から「民族」を取り除く問題で議論が紛糾した。「民族という古めかしい服を脱ぎ捨てるべきだ」と主張する会員らの考えには変わりがなく、名称変更問題は尾を引く見通しだ。
また、これだけにとどまらず、民族主義の牙城である韓国史学界でも、民族に対する執着を捨てるべきだという声が高まっている。
現在、韓国社会では民族と民族主義に対する批判が多くの角度から提起されている。その理由の一つがグローバル化時代にふさわしくないというもの。その代わり「国家」という用語を好んで使用している。
左派も、民族優先主義による内部への抑圧を強調する「民族」批判を行っている。民族をすべてのものに優先させる認識は、これまで階級・地域など、少数派の権利を抑圧する手段として作用し、外国人労働者やコシアン(韓国人とアジア系外国人の間に生まれた子供)に対する差別という副作用を生んでいるというのだ。左派は、韓国社会も次第に多民族・多文化社会に変わっているだけに、血統的民族観念を克服すべきだと。
韓国社会で1世紀以上絶対的な理念として君臨してきた「民族」という鉄壁の牙城が崩壊しつつあるのは否定できない事実だ。また、民族をことさらに強調する人が、時代遅れの人間のように見られるのは世界的な流れだ。早くから近代化を成し遂げた地域では、すでに脱民族、脱近代の段階に入っている。
韓国民族主義の本流は、左派が主張するような「抵抗民族主義」ではない。世界史での民族主義は、富国強兵の近代国家を建設するための理念であり、韓国も例外ではない。しっかりとした国をつくるため、粉骨砕身した開港期の開化派や愛国啓蒙運動家、日本統治期の独立・民族運動家、解放以降の建国・産業化の主役たちが真の民族主義者だ。彼らこそが、韓民族が世界の舞台で認められるようにした功臣なのだ。そして、彼らは決して世界史の流れに無知な民族至上主義者ではなく、「民族の中興」のためには世界とともに歩まなければならないことをよく理解していた。
韓国は真の近代国家を建設するため、いまだ「先進化」という高い壁を乗り越えなければならない。これは韓半島の南側から始まるが、南北全体を合わせ、全世界の韓民族共同体にも関係することだ。このあらゆる過程で民族と民族主義は、現在でもなお推進力となり得る。もちろん、21世紀の民族主義は、はるかに開放的かつ柔軟なものへと変化すべきだ。そうした点から、
「民族」の放棄ではなく、再定義なのだ。李先敏論説委員』
http://news.livedoor.com/article/detail/3017250/
これは メッセージ 1 (may7idaho さん)への返信です.