台湾『日本は台湾を植民地にしていない』
投稿者: may7idaho 投稿日時: 2007/01/26 23:41 投稿番号: [11902 / 73791]
自分の過去までごまかし、嘘を平然とつき、その上に捏造して、軽蔑される朝鮮人に比べ、台湾人は堂々としてますね。
『日本は台湾を植民地にしていない。疫病を一掃し、高いレベルの教育環境を整えたのです。イギリスやフランスの植民地とは違います』
素晴らしいですね。
『【台湾有情】総統府に日本人の軌跡
日本から訪れた知人を案内したついでに、一般参観者に混じって総統府を見学した。取材で内部まで出入りする機会はあるものの、総統府が観光客や住民に見せる“表の顔”に触れるのは初めてだけに、興味があった。
総統府の裏側にある出入り口では、来訪者はまず金属探知機で身体検査を受ける。カメラのほか携帯電話も持ち込みは許されず、自動小銃を構えた憲兵があたりに、にらみを利かせている。出迎えてくれた案内役のボランティアは親日的ないわゆる「日本語世代」で、開口一番、こう言った。
「日本は台湾を植民地にしていない。疫病を一掃し、高いレベルの教育環境を整えたのです。イギリスやフランスの植民地とは違います」
内部に入って、まず目に飛び込んできたのは、歴代総統を紹介する大型パネル。
日本の総督19人の顔写真も総統と同じ扱いで掲げられていた。
解説に耳を傾ければ、社会基盤整備など日本の政策が台湾の発展を促した功績として熱く語られる。
歴史認識では日本に厳しい中国通の知人は押し黙った末に、別れ際にようやく口を開いた。
「戦後、われわれが自ら封印した日本人の軌跡が台湾では今なお生きていた。しかも権力の中枢である総統府に…。北京ではおよそ考えられない」。
総統府の一般開放は週日の午前9時〜正午。日本人は旅券が必要です。(長谷川周人)』
http://www.sankei.co.jp/kokusai/china/070126/chn070126002.htm
『日帝風水謀略
金泳三政権(1993-98年)のいわゆる「歴史立て直し」事業の一環として、「鉄杭除去」が行なわれた。これは、日本帝国主義は韓民族の精気を抹殺しようとして、名山の頂上に鉄杭を打ち込んで地脈を断とうとした、その鉄杭は今も各地の山に残っているので、「光復五十周年」の機にそれを探し出して抜いてしまい、民族の精気を回復しよう、という風水の考えに基づいた政府事業であった。
また、事業の一環として、旧朝鮮総督府の解体・撤去が行なわれた。
1995年に光復五十周年を記念して行なわれた「鉄杭除去」と「旧朝鮮総督府解体」が、風水に関係があったという事実である。何でも、日帝が鉄杭や旧朝鮮総督府を風水上理論上、韓国民族の精気を抹殺する位置に打ったり建てたりしたのだという。これは金泳三政権の業績を記録した政府刊行物『変革と改革−金泳三政府国政五年資料集』(全四巻、1997年12月発行)に書かれている』
『8月15日は日本では終戦記念日、韓国では光復節つまり日本の植民地支配から脱した記念日であるのだが、1995年のこの日には、韓国国立博物館の取り壊しの儀式が、政府要人や5万人もの市民が参加して行われた。中央ドームてっぺんの尖塔を、首切りのごとく切り落としたのだった。
なぜこれほどの大仰な儀式となったかと言うと、この博物館の建物は、日本による植民地支配の中枢たる旧朝鮮総督府の庁舎だったからだ。金泳三大統領が「日本帝国主義の残滓は一掃するべきだ」と決断をくだしたのだった。1996年にはすっかり姿を消した』
『日本は台湾を植民地にしていない。疫病を一掃し、高いレベルの教育環境を整えたのです。イギリスやフランスの植民地とは違います』
素晴らしいですね。
『【台湾有情】総統府に日本人の軌跡
日本から訪れた知人を案内したついでに、一般参観者に混じって総統府を見学した。取材で内部まで出入りする機会はあるものの、総統府が観光客や住民に見せる“表の顔”に触れるのは初めてだけに、興味があった。
総統府の裏側にある出入り口では、来訪者はまず金属探知機で身体検査を受ける。カメラのほか携帯電話も持ち込みは許されず、自動小銃を構えた憲兵があたりに、にらみを利かせている。出迎えてくれた案内役のボランティアは親日的ないわゆる「日本語世代」で、開口一番、こう言った。
「日本は台湾を植民地にしていない。疫病を一掃し、高いレベルの教育環境を整えたのです。イギリスやフランスの植民地とは違います」
内部に入って、まず目に飛び込んできたのは、歴代総統を紹介する大型パネル。
日本の総督19人の顔写真も総統と同じ扱いで掲げられていた。
解説に耳を傾ければ、社会基盤整備など日本の政策が台湾の発展を促した功績として熱く語られる。
歴史認識では日本に厳しい中国通の知人は押し黙った末に、別れ際にようやく口を開いた。
「戦後、われわれが自ら封印した日本人の軌跡が台湾では今なお生きていた。しかも権力の中枢である総統府に…。北京ではおよそ考えられない」。
総統府の一般開放は週日の午前9時〜正午。日本人は旅券が必要です。(長谷川周人)』
http://www.sankei.co.jp/kokusai/china/070126/chn070126002.htm
『日帝風水謀略
金泳三政権(1993-98年)のいわゆる「歴史立て直し」事業の一環として、「鉄杭除去」が行なわれた。これは、日本帝国主義は韓民族の精気を抹殺しようとして、名山の頂上に鉄杭を打ち込んで地脈を断とうとした、その鉄杭は今も各地の山に残っているので、「光復五十周年」の機にそれを探し出して抜いてしまい、民族の精気を回復しよう、という風水の考えに基づいた政府事業であった。
また、事業の一環として、旧朝鮮総督府の解体・撤去が行なわれた。
1995年に光復五十周年を記念して行なわれた「鉄杭除去」と「旧朝鮮総督府解体」が、風水に関係があったという事実である。何でも、日帝が鉄杭や旧朝鮮総督府を風水上理論上、韓国民族の精気を抹殺する位置に打ったり建てたりしたのだという。これは金泳三政権の業績を記録した政府刊行物『変革と改革−金泳三政府国政五年資料集』(全四巻、1997年12月発行)に書かれている』
『8月15日は日本では終戦記念日、韓国では光復節つまり日本の植民地支配から脱した記念日であるのだが、1995年のこの日には、韓国国立博物館の取り壊しの儀式が、政府要人や5万人もの市民が参加して行われた。中央ドームてっぺんの尖塔を、首切りのごとく切り落としたのだった。
なぜこれほどの大仰な儀式となったかと言うと、この博物館の建物は、日本による植民地支配の中枢たる旧朝鮮総督府の庁舎だったからだ。金泳三大統領が「日本帝国主義の残滓は一掃するべきだ」と決断をくだしたのだった。1996年にはすっかり姿を消した』
これは メッセージ 1 (may7idaho さん)への返信です.