1950年、見捨てられる李承晩、蒋介石
投稿者: may7idaho 投稿日時: 2007/01/20 22:19 投稿番号: [11495 / 73791]
馬鹿者というのは、この世にいる者ですね。
日本人研究家の有名な年表を、総連風に書き換えた、都合の悪い事は捨てた、おかしな年表を元ネタ?
本物を知らず、贋作を本物と思うとは(大笑)。
米国の議会や、トルーマンは素晴らしいですね!本当に絶賛したいようなところがあります。
冷戦構造があったとはいえ、見も知らぬアジアの国を、無償で必死で支援するのですから。軍事目的だけなら、米軍を置いておけばいいのですが、そうはせず、何とか立ち直らせようとするあたり、戦前の日本と似ています。勿論、米国のそうした善意は、まったく朝鮮では実りませんでしたが。
ただし、さすがに、一般の市民、自国民を裁判もなしで、リンチしたり、虐殺したり、自国の軍人を何千人も粛清し、選挙では対立候補を殺したりするようなゴロツキ、李承晩や、蒋介石については、厳しく当たりました。
見込みのない朝鮮、李承晩については、48年頃から切り捨て、放棄を決めつつありましたから、戦争さえなければ、まさに米国は朝鮮から手を引いていただろうと思われます。
49年11月 日本は順調に再建が進む。
マッカーサー元帥との会見の席上、昭和天皇は共産主義国の動きについて、その危険性を元帥に強調。
『ソ連による共産主義思想の浸透と、朝鮮全体に対する侵略がありますと、国民が甚だしく動揺するが如き事態となることを恐れます』と、
朝鮮戦争を予見するかのような発言をしていた。(第9回会見録)
マッカーサーは、意に介さなかったが、半年後・・・・、北朝鮮軍の侵攻のニュースを聞いて、真っ先に、昭和天皇のお言葉を思い出したという。
その頃、昭和天皇以外、この件で注意した者はいなかったため、強く印象に残っていたとの事。
朝鮮動乱さえなければ、世界銀行からの貸し付け等も順調に行われ、再建はドイツ同様、急速に進んだだろうと惜しまれる。
朝鮮動乱により、再び、GHQによる統制経済が強められ、インフレと、生産阻害に悩まされる時代に。
49年12月2日
中国・国民党政府が台北を首都にすると発表。
蒋介石総統は10日に台北に逃避。
47年の台湾人の大量虐殺事件を米国議会は許さず、国務省も支援を中断。蒋介石、孤立。
50年1月26日
米韓軍事援助協定発効。
陸軍用の小火器、トラックなどの供与。李承晩は、増援、追加支援を求めたが,それまでの李承晩政権の自国民大量虐殺、反米発言、腐敗(支援金・食料の大半を横流し)を理由に、米大統領、議会、国務省、支援していた複数のキリスト教者協会など、関係機関が一致して、韓国放棄の方向性を協議。
1月31日
中国人民軍、台湾とチベットを除く「全土解放」を宣言。蒋介石、国民党への勝利宣言。中華人民共和国体制完成。
北チベットへの侵攻本格化。チベット全域の攻略着手。4万人規模の侵攻軍編成完了。
2月10日
米国政府、沖縄での恒久的な基地建設計画を発表。
同月上旬、アチソン国務長官が、腐敗と残虐性を理由に、李承晩政権を見限る発言を党内、シンクタンクで繰り返す。
3月
アチソン国務長官、中共政府に対し「国際秩序、各国政府を尊重すれば、米国は交易する」と発表。中共政府、これを歓迎。
同月、米国・国務省案、韓国の窮状深刻化を受けて、1億ドルの対韓援助(反共支援予算)を内定。
李承晩に、経済安定、国内の沈静を求め、計画提示を要求。
李承晩は、スピーチレベルの返書のみで、具体的な再建計画を示せず。
国内での李承晩の私兵団による殺戮、騒擾、混乱激化。
旧日本軍出身の将兵への殺戮、逮捕、1万人を超す。
国内インフレは200%を突破。
米国下院は、「すべての援助はインフレと腐敗で消える。援助は無意味」と、李承晩を強く非難、支援凍結。
6月22日
米国ジョンソン国防長官,日本において、
「沖縄は、アジアにおける米国の難攻不落の要塞とする。いかなる攻撃に耐え得る恒久的な作戦施設、基地、補給設備を建設、完成させる」と発表。
6月25日未明
朝鮮族出身中国軍兵士を中核にし、ソ連兵装で近代化された北朝鮮軍、南進開始。
侵攻翌日、韓国軍首脳、参謀本部、李承晩ら政府首脳、前線の部隊への指示、難民避難教導もすべて放棄して、逃走。
トルーマン米大統領は、朝鮮動乱の報に、韓国問題よりも先に、「台湾海峡の中立化」を宣言。
台湾海峡に米国艦隊を派遣し、中国による台湾武力解放の阻止を目指した。ただし、蒋介石への支援物資引き渡しは凍結。
また蒋介石の大陸反攻にも再度反対を確認し、この後、台湾は米国の保護下に。
日本人研究家の有名な年表を、総連風に書き換えた、都合の悪い事は捨てた、おかしな年表を元ネタ?
本物を知らず、贋作を本物と思うとは(大笑)。
米国の議会や、トルーマンは素晴らしいですね!本当に絶賛したいようなところがあります。
冷戦構造があったとはいえ、見も知らぬアジアの国を、無償で必死で支援するのですから。軍事目的だけなら、米軍を置いておけばいいのですが、そうはせず、何とか立ち直らせようとするあたり、戦前の日本と似ています。勿論、米国のそうした善意は、まったく朝鮮では実りませんでしたが。
ただし、さすがに、一般の市民、自国民を裁判もなしで、リンチしたり、虐殺したり、自国の軍人を何千人も粛清し、選挙では対立候補を殺したりするようなゴロツキ、李承晩や、蒋介石については、厳しく当たりました。
見込みのない朝鮮、李承晩については、48年頃から切り捨て、放棄を決めつつありましたから、戦争さえなければ、まさに米国は朝鮮から手を引いていただろうと思われます。
49年11月 日本は順調に再建が進む。
マッカーサー元帥との会見の席上、昭和天皇は共産主義国の動きについて、その危険性を元帥に強調。
『ソ連による共産主義思想の浸透と、朝鮮全体に対する侵略がありますと、国民が甚だしく動揺するが如き事態となることを恐れます』と、
朝鮮戦争を予見するかのような発言をしていた。(第9回会見録)
マッカーサーは、意に介さなかったが、半年後・・・・、北朝鮮軍の侵攻のニュースを聞いて、真っ先に、昭和天皇のお言葉を思い出したという。
その頃、昭和天皇以外、この件で注意した者はいなかったため、強く印象に残っていたとの事。
朝鮮動乱さえなければ、世界銀行からの貸し付け等も順調に行われ、再建はドイツ同様、急速に進んだだろうと惜しまれる。
朝鮮動乱により、再び、GHQによる統制経済が強められ、インフレと、生産阻害に悩まされる時代に。
49年12月2日
中国・国民党政府が台北を首都にすると発表。
蒋介石総統は10日に台北に逃避。
47年の台湾人の大量虐殺事件を米国議会は許さず、国務省も支援を中断。蒋介石、孤立。
50年1月26日
米韓軍事援助協定発効。
陸軍用の小火器、トラックなどの供与。李承晩は、増援、追加支援を求めたが,それまでの李承晩政権の自国民大量虐殺、反米発言、腐敗(支援金・食料の大半を横流し)を理由に、米大統領、議会、国務省、支援していた複数のキリスト教者協会など、関係機関が一致して、韓国放棄の方向性を協議。
1月31日
中国人民軍、台湾とチベットを除く「全土解放」を宣言。蒋介石、国民党への勝利宣言。中華人民共和国体制完成。
北チベットへの侵攻本格化。チベット全域の攻略着手。4万人規模の侵攻軍編成完了。
2月10日
米国政府、沖縄での恒久的な基地建設計画を発表。
同月上旬、アチソン国務長官が、腐敗と残虐性を理由に、李承晩政権を見限る発言を党内、シンクタンクで繰り返す。
3月
アチソン国務長官、中共政府に対し「国際秩序、各国政府を尊重すれば、米国は交易する」と発表。中共政府、これを歓迎。
同月、米国・国務省案、韓国の窮状深刻化を受けて、1億ドルの対韓援助(反共支援予算)を内定。
李承晩に、経済安定、国内の沈静を求め、計画提示を要求。
李承晩は、スピーチレベルの返書のみで、具体的な再建計画を示せず。
国内での李承晩の私兵団による殺戮、騒擾、混乱激化。
旧日本軍出身の将兵への殺戮、逮捕、1万人を超す。
国内インフレは200%を突破。
米国下院は、「すべての援助はインフレと腐敗で消える。援助は無意味」と、李承晩を強く非難、支援凍結。
6月22日
米国ジョンソン国防長官,日本において、
「沖縄は、アジアにおける米国の難攻不落の要塞とする。いかなる攻撃に耐え得る恒久的な作戦施設、基地、補給設備を建設、完成させる」と発表。
6月25日未明
朝鮮族出身中国軍兵士を中核にし、ソ連兵装で近代化された北朝鮮軍、南進開始。
侵攻翌日、韓国軍首脳、参謀本部、李承晩ら政府首脳、前線の部隊への指示、難民避難教導もすべて放棄して、逃走。
トルーマン米大統領は、朝鮮動乱の報に、韓国問題よりも先に、「台湾海峡の中立化」を宣言。
台湾海峡に米国艦隊を派遣し、中国による台湾武力解放の阻止を目指した。ただし、蒋介石への支援物資引き渡しは凍結。
また蒋介石の大陸反攻にも再度反対を確認し、この後、台湾は米国の保護下に。
これは メッセージ 1 (may7idaho さん)への返信です.