Re: 1950年は遠くになりにけり
投稿者: may7idaho 投稿日時: 2006/08/31 23:30 投稿番号: [1110 / 73791]
bellsantesさん、こんにちは
>北朝鮮軍に中国軍が当初から入っていたというのは知ってましたが、中国籍の朝鮮族だったんですね。
最初から同族合い殺し合う。だから、中国側は余り人的損害を計算せずに動いたのでしょうか?
そのように見えるんですが、実際は、私には分かりません。
林彪は、生粋の中国人からなる解放軍本体を出すことを拒否して、彭徳懐は、朝鮮族将兵で構わないとして、毛沢東の命じるままに、参戦していくことになります。
中国が直接介入する前、動乱直前に北朝鮮に送られたのは、三個師団、1万5000人で、その前の年にも、同数を北朝鮮に送っています。すべて、中国全土から集められた朝鮮族出身の兵士。
当時、北朝鮮も、南の李承晩と競っていたのか?と思えるほど、民族主義者、学者、篤志家、富裕層などを毎年万単位で粛清・殺戮し、旧日本軍出身の将兵は残らず排除してしまいましたから、兵員が足りなかった事が背景にあります。
彼らは、当時のことですから、朝鮮族出身の若い兵士達は、祖国解放戦争と張り切っていたんじゃないでしょうか?
緒戦では、大変優秀な働きをして、南の住民からも、北朝鮮の連中は強盗ばかりだが、中国出身者は親切だと言われていた、と、後に亡命した北朝鮮の将校が証言しています。
その後も、旧満州、北京、上海、広州など全土の朝鮮族が徴兵され、動乱に投入されました。戦死傷者は中国側が発表しないので、不明ですが、100万人は下らないと言われています。
大半は、餓死・病死・凍死で、戦闘域に到達するまでに、米軍のナパーム弾爆撃、砲撃などで戦死者続出。生還者は非常に少ないそうです。
こういったこともあって、今でも、中国側はあまり朝鮮動乱の資料は出したがらないようです。
米軍の捕虜になって、後に帰国した朝鮮族兵士達は、残らず収容所送りにされ、7−10年後に釈放されますが、半数はそこで亡くなったそうです。
哀れですね。
これは メッセージ 1091 (bellsantes さん)への返信です.
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