1950年は遠くになりにけり
投稿者: may7idaho 投稿日時: 2006/08/31 10:57 投稿番号: [1054 / 73791]
金大中、盧武鉉が、それぞれ反米反日発言を繰り返し、これに対して、当時から米国は、与野党、有識者すべてが嫌悪感を露わにして対応。朝鮮動乱休戦50周年に、再び米国の韓国放棄が明らかになりました。
4年前に、米国は、備蓄弾薬・備品の撤廃、日本への移送を発表。北朝鮮は、中国からの支援原油50万トンに頼り、そこからとれるガソリン・軽油は12万トン程度。軍どころか全土で発電、公共機関も稼働困難で、両国とも戦争能力を、完全に喪失。朝鮮族兵士を移籍させた50年前は隔世のこと。
しかも、米国が撤退を明らかにしてから、既に4年。中国、ロシアも動きはなく、戦争の気配すらなし。前回は韓国放棄発表から半年で開戦しました。
しかも、金大中、盧武鉉、金正日は、揃って連邦制を主唱し、南北蜜月時代。
49年11月 日本は順調に再建が進む。
マッカーサー元帥との会見の席上、昭和天皇は共産主義国の動きについて、その危険性を元帥に強調。
「ソ連による共産主義思想の浸透と、朝鮮全体に対する侵略がありますと、国民が甚だしく動揺するが如き事態となることを恐れます」と、
朝鮮戦争を予見するかのような発言をしていた。(第9回会見録)
マッカーサーは、意に介さなかったが、半年後・・・・、北朝鮮軍の侵攻のニュースを聞いて、真っ先に、昭和天皇のお言葉を思い出したという。
昭和天皇以外、この件で注意した者はいなかった。
49年12月2日
中国・国民党政府が台北を首都にすると発表。
蒋介石総統は10日に台北に逃避。
47年の台湾人の大量虐殺事件を米国議会は許さず、国務省も支援を中断。蒋介石、孤立。
50年1月12日
米国アチソン国務長官、「太平洋の防衛線は日本・琉球・フィリピンを結ぶライン」と発表。
中国革命への不干渉と,朝鮮半島の放棄を示唆する。
1月23日
中国が、金日成の要請に応じ、国内朝鮮族兵士の移動・移籍(第二次移籍)を承認。1万5000人移籍。ソ連軍軍事顧問団が教練、武装供与。
北朝鮮軍7個師団中、3個師団が中国系朝鮮族将兵で編成。中国全土から急遽集められた朝鮮族出身者だった。
1月26日
米韓軍事援助協定発効。
陸軍用の小火器、トラックなどの供与。李承晩は、増援、追加支援を求めたが,それまでの李承晩政権の自国民大量虐殺、反米発言、腐敗(支援金・食料の大半を横流し)を理由に、米大統領、議会、国務省、支援していたキリスト協会など、関係機関が一致して、韓国放棄を決める。
1月31日
中国人民軍、台湾とチベットを除く「全土解放」を宣言。蒋介石、国民党への勝利宣言。中華人民共和国体制完成。
北チベットへの侵攻本格化。チベット全域の攻略着手。4万人規模の侵攻軍編成完了。
2月10日
米国政府、沖縄での恒久的な基地建設計画を発表。
同月上旬、アチソン国務長官が、腐敗と残虐性を理由に、李承晩政権を見限る発言を党内、シンクタンクで繰り返す。
3月
アチソン国務長官、中共政府に対し「国際秩序、各国政府を尊重すれば、米国は交易する」と発表。中共政府、これを歓迎。
同月、米国・国務省案、韓国の窮状深刻化を受けて、1億ドルの対韓援助(反共支援予算)を内定。
李承晩に、経済安定、国内の沈静を求め、計画提示を要求。
李承晩は、スピーチレベルの返書のみで、具体的な再建計画を示せず。
国内での李承晩の私兵団による殺戮、騒擾、混乱激化。
旧日本軍出身の将兵への殺戮、逮捕、1万人を超す。
国内インフレは200%を突破。
米国下院は、「すべての援助はインフレと腐敗で消える。援助は無意味」と、李承晩を強く非難、支援凍結。
6月22日
米国ジョンソン国防長官,日本において、
「沖縄は、アジアにおける米国の難攻不落の要塞とする。いかなる攻撃に耐え得る恒久的な作戦施設、基地、補給設備を建設、完成させる」と発表。
6月25日未明
中国系朝鮮族兵士を中核とする北朝鮮軍、38度線を突破、朝鮮動乱に突入。
同日、全線にわたって、韓国軍崩壊。李承晩逃走。
トルーマン米大統領は、朝鮮動乱の報に、韓国問題よりも先に、「台湾海峡の中立化」を宣言。
台湾海峡に米国艦隊を派遣し、中国による台湾武力解放の阻止を目指した。また蒋介石の大陸反攻にも反対し、この後、台湾は米国の保護下に。
4年前に、米国は、備蓄弾薬・備品の撤廃、日本への移送を発表。北朝鮮は、中国からの支援原油50万トンに頼り、そこからとれるガソリン・軽油は12万トン程度。軍どころか全土で発電、公共機関も稼働困難で、両国とも戦争能力を、完全に喪失。朝鮮族兵士を移籍させた50年前は隔世のこと。
しかも、米国が撤退を明らかにしてから、既に4年。中国、ロシアも動きはなく、戦争の気配すらなし。前回は韓国放棄発表から半年で開戦しました。
しかも、金大中、盧武鉉、金正日は、揃って連邦制を主唱し、南北蜜月時代。
49年11月 日本は順調に再建が進む。
マッカーサー元帥との会見の席上、昭和天皇は共産主義国の動きについて、その危険性を元帥に強調。
「ソ連による共産主義思想の浸透と、朝鮮全体に対する侵略がありますと、国民が甚だしく動揺するが如き事態となることを恐れます」と、
朝鮮戦争を予見するかのような発言をしていた。(第9回会見録)
マッカーサーは、意に介さなかったが、半年後・・・・、北朝鮮軍の侵攻のニュースを聞いて、真っ先に、昭和天皇のお言葉を思い出したという。
昭和天皇以外、この件で注意した者はいなかった。
49年12月2日
中国・国民党政府が台北を首都にすると発表。
蒋介石総統は10日に台北に逃避。
47年の台湾人の大量虐殺事件を米国議会は許さず、国務省も支援を中断。蒋介石、孤立。
50年1月12日
米国アチソン国務長官、「太平洋の防衛線は日本・琉球・フィリピンを結ぶライン」と発表。
中国革命への不干渉と,朝鮮半島の放棄を示唆する。
1月23日
中国が、金日成の要請に応じ、国内朝鮮族兵士の移動・移籍(第二次移籍)を承認。1万5000人移籍。ソ連軍軍事顧問団が教練、武装供与。
北朝鮮軍7個師団中、3個師団が中国系朝鮮族将兵で編成。中国全土から急遽集められた朝鮮族出身者だった。
1月26日
米韓軍事援助協定発効。
陸軍用の小火器、トラックなどの供与。李承晩は、増援、追加支援を求めたが,それまでの李承晩政権の自国民大量虐殺、反米発言、腐敗(支援金・食料の大半を横流し)を理由に、米大統領、議会、国務省、支援していたキリスト協会など、関係機関が一致して、韓国放棄を決める。
1月31日
中国人民軍、台湾とチベットを除く「全土解放」を宣言。蒋介石、国民党への勝利宣言。中華人民共和国体制完成。
北チベットへの侵攻本格化。チベット全域の攻略着手。4万人規模の侵攻軍編成完了。
2月10日
米国政府、沖縄での恒久的な基地建設計画を発表。
同月上旬、アチソン国務長官が、腐敗と残虐性を理由に、李承晩政権を見限る発言を党内、シンクタンクで繰り返す。
3月
アチソン国務長官、中共政府に対し「国際秩序、各国政府を尊重すれば、米国は交易する」と発表。中共政府、これを歓迎。
同月、米国・国務省案、韓国の窮状深刻化を受けて、1億ドルの対韓援助(反共支援予算)を内定。
李承晩に、経済安定、国内の沈静を求め、計画提示を要求。
李承晩は、スピーチレベルの返書のみで、具体的な再建計画を示せず。
国内での李承晩の私兵団による殺戮、騒擾、混乱激化。
旧日本軍出身の将兵への殺戮、逮捕、1万人を超す。
国内インフレは200%を突破。
米国下院は、「すべての援助はインフレと腐敗で消える。援助は無意味」と、李承晩を強く非難、支援凍結。
6月22日
米国ジョンソン国防長官,日本において、
「沖縄は、アジアにおける米国の難攻不落の要塞とする。いかなる攻撃に耐え得る恒久的な作戦施設、基地、補給設備を建設、完成させる」と発表。
6月25日未明
中国系朝鮮族兵士を中核とする北朝鮮軍、38度線を突破、朝鮮動乱に突入。
同日、全線にわたって、韓国軍崩壊。李承晩逃走。
トルーマン米大統領は、朝鮮動乱の報に、韓国問題よりも先に、「台湾海峡の中立化」を宣言。
台湾海峡に米国艦隊を派遣し、中国による台湾武力解放の阻止を目指した。また蒋介石の大陸反攻にも反対し、この後、台湾は米国の保護下に。