思う存分、浮かれておいた方がいい
投稿者: sorbaria_stellipila 投稿日時: 2008/08/20 10:55 投稿番号: [2628 / 2843]
今回だけだから。失笑
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金メダル獲得の構図:中国人よ、浮かれることなかれ
8月20日9時10分配信 サーチナ・中国情報局
北京オリンピック開幕以来、中国チームは射撃やフェンシングといった種目をはじめとして、メダルを獲得し続けている。半世紀前には“東亜病夫”(東アジアの病人)の汚名を背負っていた中国人にとっては、大変誇らしいことであるに違いない。しかし、一連のメダル獲得騒動に狂喜する前に、中国が直面しているスポーツ界の構造的な問題に気づかなければならない。
オリンピックの種目は、大まかに分けて三つに分類される。第一種はすでに商業化されたスポーツで構成されており、バスケットボール、サッカー、テニスなどが挙げられる。これらの種目はビジネス的価値が高く、一流の選手ともなると姚明(ヤオ・ミン)のように高額の報酬を得て職業としているプロの選手が多い。
第二種はマラソンや水泳などの種目である。これらはオリンピックでもメジャーな種目であるが、余暇的にこれらのスポーツに参加しているアマチュアの選手も少なくない。しかし、人気も高いため、ビジネス的価値が高まっており、能力の高い選手には、企業の後ろだてがつくなどして、実質的には一部商業化されていると言える。
第三種は射撃、重量挙げ、カヌー、飛び込み、卓球、体操などである。これらの種目は、世界の大部分の国が商業的価値を見出していないもので、選手は基本的にはアマチュアが多いと言える。
冷戦終結後、ソ連、東ドイツ、ルーマニアの体制が崩れ、一貫して上位に位置づけていたメダル獲得数も回を追うごとに下降気味となり、アテネオリンピックよりその座を中国に譲ることとなった。オリンピックにおいての中国の傑出した成績は、中国の現在の国力増大と関係していることは言うまでもないが、更に突き詰めて考えると、旧ソ連及び東欧諸国が計画経済体制を放棄した後に残された空席に収まっただけということなのではないのか。
中国チームが獲得したメダルの種目は大体において射撃、重量挙げ、体操、飛び込みなどの、上記分類のいわゆる第三種の種目が多い。国を挙げて日夜プロ並みに育成された大量の中国人選手に対して、他国の選手たちは競技以外の場では職業を持ち、それにより生活を営むアマチュアの選手が大半である。これでは中国が優勢にあるのは目に見えている。反対に、先に述べた商業的競技であるサッカー、バスケットボール、マラソン、水泳などの種目において中国選手の活躍は限定的だ。中国は計画経済体制をもってしかスポーツの発展を望むことができないのだろうか。
中国の未来を展望するに当たり、筆者は計画経済体制と市場経済体制、どちらが国の発展に有利な道であるかを問いたい。事実上、現在の中国は市場経済への道をまい進しているが、中国スポーツ界に関しては、過去の計画経済時代の置き土産と化している。商業的価値のあるスポーツとは国民生活に広く普及し、浸透してこそであるが、最終的に計画経済体制を放棄した後、果たして中国に今日のオリンピックのような輝かしい成績を期待できるだろうか? 中国人よ、メダル獲得数に浮かれている場合ではない。メダルの裏に隠された中国スポーツ界の危機的状況を認識しなければばらない。(執筆者:薛涌・時事評論家、翻訳者:Amina)
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金メダル獲得の構図:中国人よ、浮かれることなかれ
8月20日9時10分配信 サーチナ・中国情報局
北京オリンピック開幕以来、中国チームは射撃やフェンシングといった種目をはじめとして、メダルを獲得し続けている。半世紀前には“東亜病夫”(東アジアの病人)の汚名を背負っていた中国人にとっては、大変誇らしいことであるに違いない。しかし、一連のメダル獲得騒動に狂喜する前に、中国が直面しているスポーツ界の構造的な問題に気づかなければならない。
オリンピックの種目は、大まかに分けて三つに分類される。第一種はすでに商業化されたスポーツで構成されており、バスケットボール、サッカー、テニスなどが挙げられる。これらの種目はビジネス的価値が高く、一流の選手ともなると姚明(ヤオ・ミン)のように高額の報酬を得て職業としているプロの選手が多い。
第二種はマラソンや水泳などの種目である。これらはオリンピックでもメジャーな種目であるが、余暇的にこれらのスポーツに参加しているアマチュアの選手も少なくない。しかし、人気も高いため、ビジネス的価値が高まっており、能力の高い選手には、企業の後ろだてがつくなどして、実質的には一部商業化されていると言える。
第三種は射撃、重量挙げ、カヌー、飛び込み、卓球、体操などである。これらの種目は、世界の大部分の国が商業的価値を見出していないもので、選手は基本的にはアマチュアが多いと言える。
冷戦終結後、ソ連、東ドイツ、ルーマニアの体制が崩れ、一貫して上位に位置づけていたメダル獲得数も回を追うごとに下降気味となり、アテネオリンピックよりその座を中国に譲ることとなった。オリンピックにおいての中国の傑出した成績は、中国の現在の国力増大と関係していることは言うまでもないが、更に突き詰めて考えると、旧ソ連及び東欧諸国が計画経済体制を放棄した後に残された空席に収まっただけということなのではないのか。
中国チームが獲得したメダルの種目は大体において射撃、重量挙げ、体操、飛び込みなどの、上記分類のいわゆる第三種の種目が多い。国を挙げて日夜プロ並みに育成された大量の中国人選手に対して、他国の選手たちは競技以外の場では職業を持ち、それにより生活を営むアマチュアの選手が大半である。これでは中国が優勢にあるのは目に見えている。反対に、先に述べた商業的競技であるサッカー、バスケットボール、マラソン、水泳などの種目において中国選手の活躍は限定的だ。中国は計画経済体制をもってしかスポーツの発展を望むことができないのだろうか。
中国の未来を展望するに当たり、筆者は計画経済体制と市場経済体制、どちらが国の発展に有利な道であるかを問いたい。事実上、現在の中国は市場経済への道をまい進しているが、中国スポーツ界に関しては、過去の計画経済時代の置き土産と化している。商業的価値のあるスポーツとは国民生活に広く普及し、浸透してこそであるが、最終的に計画経済体制を放棄した後、果たして中国に今日のオリンピックのような輝かしい成績を期待できるだろうか? 中国人よ、メダル獲得数に浮かれている場合ではない。メダルの裏に隠された中国スポーツ界の危機的状況を認識しなければばらない。(執筆者:薛涌・時事評論家、翻訳者:Amina)
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