ついに「いらない」と言われてしまった聖火
投稿者: sky_yamato2143 投稿日時: 2008/05/16 18:08 投稿番号: [1790 / 2843]
「中国情報局」ですらここまで言うとは・・・
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080516-00000047-scn-cn
虚飾と欺瞞に満ちた聖火リレーならもういらない
5月16日16時20分配信 サーチナ・中国情報局
3月24日にギリシャのオリンピアで採火された聖火は、3月31日に北京をスタートした。
5大陸21都市の延べ13万7000キロメートルの距離を130日間かけて巡る“The jorney of Harmony(調和の旅)”。
今となっては、皮肉なネーミングとしか思えないが、世界平和と北京オリンピック成功祈願の夢を乗せ、大歓迎のうちに華々しくリレーされていくはずだった。
その海外ルートの聖火リレーが、「早くあっちに行ってー」とばかりに爆弾ゲーム並みの扱いをされるような事態になろうとは。
チベット騒乱に端を発し、採火式の時点から、聖火はターゲットにされていた。
ロンドン、パリあたりから激しさを増した妨害活動は次第にエスカレート。
それに対抗するかのように、中国国旗を持った中国人学生たちも数で応戦。
日本では、4月26日、長野の善光寺がリレーのスタート地点を辞退する中、仰々しい警備下で6人の逮捕者、4人の負傷者を出しながらも、なんとかトーチをつなぎ切り、ソウルへとリレーした。
長野市では、聖火リレーを通じて環境問題などへのアピールを予定していたが、何もかもはじき飛ばされたかたちだ。
こんな聖火リレーに、果たして意味はあるのだろうか。
オリンピックで聖火リレーが行われるようになったのは、ベルリン大会(1932年)から。
ナチス・ドイツに利用された大会というイメージがあるが、発案者であるカール・ディーム氏には、オリンピックの火で古代と現代を結ぶことで、芸術性や神聖さに加え、国境を超えた協力の大切さを伝えようという純粋で崇高なねらいがあった。
以降、各大会で聖火リレーが定着していったわけだが、今回のように五大陸をつなぐ聖火リレーは行われていなかった。
たとえば1964年の東京オリンピックの際は、平和への祈りを込め、第二次世界大戦の激戦地を含むアジア諸国を走り継ぐ聖火リレーを行っている。
当時はまだ米国の施政権下にあった沖縄では、住民が日の丸を振って歓迎したという。
このように、それぞれに縁のある地域をリレーしていたが、大々的な五大陸リレーを初めて行ったのは、前回のアテネ大会(2004年)である。
近代オリンピックの発祥地であるアテネにオリンピックが回帰することを記念してのリレーのはずだった。
ところが北京も、この五大陸リレーの形式を踏襲したのだ。
そもそも北京がこの五大陸リレーを行う必要があったのか。
本来、都市が開催することになっているオリンピック大会は、過去、たびたび国威発揚に利用されてきた。
スポーツと政治を完全に切り離すのは無理としても、やり過ぎはよくない。政治的な思惑はできるだけ排除してもらいたいものだ。
このチベットの人権問題の根本的な解決にはならないが、五大陸リレーがなければこれほど笑顔のないものものしいだけの聖火リレーになることはなかっただろう。
理念のない、虚飾と欺瞞に満ちた聖火リレーならもういらない。
国内リレーだけで十分だったはずだ。
聖火は5月4日からは中国の国内リレーとなり、8月8日午後8時に北京に到着することになっている。
私には、聖火のトーチに刻まれた「祥雲(吉祥の兆しの雲)」がとても空しく見えてしかたがない。
今回の聖火リレーはかろうじてトーチはつながったが、大成功だったと受け止めている人はほとんどいないだろう。
当事者の人たちも、起こってしまった事柄に対して、「真実」を潔く正しく受け止めてほしい。
世界中の人々が目撃しているのだから。
現実から目を背けているかのような今の態度では、オリンピック大会の本番が本当に心配になる。(執筆者:山本尚子)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080516-00000047-scn-cn
虚飾と欺瞞に満ちた聖火リレーならもういらない
5月16日16時20分配信 サーチナ・中国情報局
3月24日にギリシャのオリンピアで採火された聖火は、3月31日に北京をスタートした。
5大陸21都市の延べ13万7000キロメートルの距離を130日間かけて巡る“The jorney of Harmony(調和の旅)”。
今となっては、皮肉なネーミングとしか思えないが、世界平和と北京オリンピック成功祈願の夢を乗せ、大歓迎のうちに華々しくリレーされていくはずだった。
その海外ルートの聖火リレーが、「早くあっちに行ってー」とばかりに爆弾ゲーム並みの扱いをされるような事態になろうとは。
チベット騒乱に端を発し、採火式の時点から、聖火はターゲットにされていた。
ロンドン、パリあたりから激しさを増した妨害活動は次第にエスカレート。
それに対抗するかのように、中国国旗を持った中国人学生たちも数で応戦。
日本では、4月26日、長野の善光寺がリレーのスタート地点を辞退する中、仰々しい警備下で6人の逮捕者、4人の負傷者を出しながらも、なんとかトーチをつなぎ切り、ソウルへとリレーした。
長野市では、聖火リレーを通じて環境問題などへのアピールを予定していたが、何もかもはじき飛ばされたかたちだ。
こんな聖火リレーに、果たして意味はあるのだろうか。
オリンピックで聖火リレーが行われるようになったのは、ベルリン大会(1932年)から。
ナチス・ドイツに利用された大会というイメージがあるが、発案者であるカール・ディーム氏には、オリンピックの火で古代と現代を結ぶことで、芸術性や神聖さに加え、国境を超えた協力の大切さを伝えようという純粋で崇高なねらいがあった。
以降、各大会で聖火リレーが定着していったわけだが、今回のように五大陸をつなぐ聖火リレーは行われていなかった。
たとえば1964年の東京オリンピックの際は、平和への祈りを込め、第二次世界大戦の激戦地を含むアジア諸国を走り継ぐ聖火リレーを行っている。
当時はまだ米国の施政権下にあった沖縄では、住民が日の丸を振って歓迎したという。
このように、それぞれに縁のある地域をリレーしていたが、大々的な五大陸リレーを初めて行ったのは、前回のアテネ大会(2004年)である。
近代オリンピックの発祥地であるアテネにオリンピックが回帰することを記念してのリレーのはずだった。
ところが北京も、この五大陸リレーの形式を踏襲したのだ。
そもそも北京がこの五大陸リレーを行う必要があったのか。
本来、都市が開催することになっているオリンピック大会は、過去、たびたび国威発揚に利用されてきた。
スポーツと政治を完全に切り離すのは無理としても、やり過ぎはよくない。政治的な思惑はできるだけ排除してもらいたいものだ。
このチベットの人権問題の根本的な解決にはならないが、五大陸リレーがなければこれほど笑顔のないものものしいだけの聖火リレーになることはなかっただろう。
理念のない、虚飾と欺瞞に満ちた聖火リレーならもういらない。
国内リレーだけで十分だったはずだ。
聖火は5月4日からは中国の国内リレーとなり、8月8日午後8時に北京に到着することになっている。
私には、聖火のトーチに刻まれた「祥雲(吉祥の兆しの雲)」がとても空しく見えてしかたがない。
今回の聖火リレーはかろうじてトーチはつながったが、大成功だったと受け止めている人はほとんどいないだろう。
当事者の人たちも、起こってしまった事柄に対して、「真実」を潔く正しく受け止めてほしい。
世界中の人々が目撃しているのだから。
現実から目を背けているかのような今の態度では、オリンピック大会の本番が本当に心配になる。(執筆者:山本尚子)
これは メッセージ 1 (sky_yamato2143 さん)への返信です.
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