【李明博:韓国大統領】最低最悪!!

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Re: 【李明博:韓国大統領】最低最悪!!

投稿者: ooosolemiiyo 投稿日時: 2008/01/02 11:34 投稿番号: [8 / 87]
李明博(イ・ミョンバク)次期大統領に対しては誰もが期待を持っているが、特に建設・不動産業界での期待が高いようだ。

李次期大統領は現代建設の元最高経営責任者(CEO)で、

巨大な土木事業になると予想される韓半島(朝鮮半島)大運河事業をはじめ、

マンション建て直し規制緩和、総合不動産税・譲渡税減免などを主な公約に掲げてきたからだ。

一部の予想どおり、李次期大統領が建設業界の利益に忠実な土建族政権の道を歩むのか、それとも新たな成長の道へと韓国を導くのか、

最初の分かれ目が韓半島大運河事業だ。

李次期大統領は環境アセスメント(事前影響評価)・経済性検討・国民的合意を省いたまま、開発公約を乱発し、李明博氏のニックネーム通り「ブルドーザー」方式で推し進めるのを、反対派たちは心の奥で期待している。


車学峰(チャ・ハクボン)記者=不動産チーム長

朝鮮日報/朝鮮日報JNS

>>李氏は公約は必ず守らなくてはならない、と仰ってます。

この夢の様な大事業を遣ってくれるんでしょうか。

では日本では運河はどうだったんでしょうか、ウィキペディアから拝借。

日本は、まわりを海に囲まれており、時代の要請に合わせて海運が発達したため、川船のための運河を造るよりも河口の港同士を結ぶ海運航路が開発された。

安土桃山時代にかけて治水能力が向上し、地方政権(藩)が各地に出来て資本集中が起きたため、江戸時代には各地で河川改修や運河開削が行われ、川船流通が発達した。

明治以降は、速く大量に物資を運ぶことが出来る鉄道が発達したため、近代的な運河は六大都市の大量物流に関わる部分や国際貿易港周辺に主に造られた。

昭和時代になると、トラック流通が発達したため、堀や運河を埋め立てて道路にする動きが活発化した。現在の街の幹線道路がかつての堀の跡だったところも多い。

今は平成、二十一世紀。

自分が好きなのは、最上川です、でそれも拝借。

最上川は内陸の重要な交通路としても利用された。

舟運の発達によって最上川の河道整備も必要となったが、最上川は中流部〜下流部に掛けて難所が多く、水運発達の最大の懸念となっていた。

河口部の酒田は戦国時代には堺や博多と同様の自治港湾都市として、奥羽随一の商業都市に発展していた。

関ヶ原の戦いの後に酒田を統治する事となった最上義光は酒田と山形を水運で結ぶ為に、最上川の河道整備を行った。

最上川中流部、通称「最上川の三難所」と言われた碁点・三ヶ瀬・隼の瀬(現在の村山市)の三地点を開鑿して川幅の拡張と川底の掘削を実施。舟運の円滑化を図った。

これにより水運は発達し各所に船着場が建設された。

特に荒砥河岸は藩の陣屋が設置された他、造船所まで整備されていたという。

その後流通経済の拡大によって更なる舟運整備が求められた。

1672年(寛文12年)には幕命を受けた河村瑞賢が酒田から下関を結ぶ西廻り航路を開通させ、酒田は更に重要な経済都市として発展していった。

この酒田と内陸部を結ぶ為に第四代米沢藩主・上杉綱憲の時、米沢藩御用商人である西村久左衛門は1万7千両の巨費を投じて最上川上流部の難所であった五百川峡・黒滝地点の開鑿を1693年(元禄6年)に行った。

この開鑿によって米沢から酒田までの水運が整備され、流通経済が出羽でも更に発達していった。

「五月雨を   あつめて早し   最上川(もがみがは) 」奥の細道BY松尾芭蕉


>>何度も書くんですけど、朝鮮は千年送れていた、それを日本が最低、五百年引き上げてやった、と言うことは。

朝鮮は、未だに五百年遅れていると言うことになる。

ふぅーん、なるほどね、しかし、と言うことは、アキヒロちゃん、遣ってくれるかも、しんないよー。

アキヒロ頑張れ、公約は絶対だ。
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