これは「平和」に役立つものでしょうか?
投稿者: anywhere_you_want_to_go 投稿日時: 2003/04/06 11:08 投稿番号: [921 / 8733]
以下は、「平和」に貢献できうるものなのでしょうか?
なにか、役立てることはできないでしょうか?
対立的でもかまいません。
みなさまのご意見、お考え、ご感想、 くださったなら うれしく思います。
………………………………
「おまえは間違っている!」 から
「あなたはどうしてそう考えているの?」 へ
………………………………
平和とは、アプローチの仕方…
「平和」という ※かかわり方・アプローチの仕方・ものの見方・
フィルター・解釈のあり方・価値観・概念は、
「もともと人間にそなわっている感情」と、
「状況を中立的な状態で判断すること」とを 別々に分けて物事を捉える
ということになるのでしょうか?
言っている「内容」と それを伝えようとする「伝え方」とは
別の次元の話ということなのかもしれません。
「言っていることはともかく、あなたの言い方は腹が立ちます!」
イライライラ!! ムカムカムカ!!
・「対立」という次元では、「発言した内容が否定されること」と、
「その人の!存在自身!が否定されること」とがイコールになり
「対立」と自分とを分けることができない ということなのかもしれません。
すればするほど、お互いに、相手の入り込む余地が
狭まってゆくのかもしれません…
「私なりにあなたの意見に対する賛否はあるが、
あなたの立場での言い分もあるのでしょう…」
・「平和」という次元では 「発言した内容が否定される」のと、
「その人の存在自身が否定されること」とは別の事
ということになるのかもしれません。
意見が違っても、結果が出なくても、お互いをより理解し
相手と話し合う余地は残しておこう とするのかもしれません。
………………………………
あなたの発言には「議論するに値するだけの価値がある」。
「平和」という側面は、
「自分が思ったことを自由に発言できる」ことを可能にするのと同時に、
その発言によって、「相手を責めることがない」ことを可能にしているのかもしれません。
それは一方では、「相手が、どんなことを自由に発言」しても、
受け取った側が「責められる感覚を受けない」ことを
意味するということになるのかもしれません。
多くの意見が語られることが、結果的に
「対立」の次元で、傷ついた発言を癒してゆくのかもしれません。
日常的に 行われている 目に見えない形、目に見える形、の「対立」
と和解してゆくのかもしれません。
………………………………
話そのものに「議論される価値」を見出すコミニュケーションは、
「感情の中立さ」を伴い、
そこから意見の多様性も生まれてゆくのかもしれません。
共感する声も、対立する価値観も、対極にある意見も、
どんな立場の経験も含めて、すべての意見の存在を容認し、
より多様な選択の幅を内包しながら、
より偏差の少ない、より慎重で、より現実的な、行動を選択すること
を可能にしてくれるのかもしれません。
それは、まぎれもなく、★これからの私たちの大切な未来★ が、
このひとつひとつの行動にかかっているから に他ならないのでしょう…
………………………………
そして、「中立に立った感情」は、
これからの「望む未来」を創るための意志決定に
欠かせないものになってゆくのかもしれません。
「この道が、わたしたちが望む 未来 へと 本当に続くものなのか?」
それは、なによりも厳しい目で、「私たちの声の反映」の
検証を 見守りつづけてゆくのかもしません。
………………………………
なにか、役立てることはできないでしょうか?
対立的でもかまいません。
みなさまのご意見、お考え、ご感想、 くださったなら うれしく思います。
………………………………
「おまえは間違っている!」 から
「あなたはどうしてそう考えているの?」 へ
………………………………
平和とは、アプローチの仕方…
「平和」という ※かかわり方・アプローチの仕方・ものの見方・
フィルター・解釈のあり方・価値観・概念は、
「もともと人間にそなわっている感情」と、
「状況を中立的な状態で判断すること」とを 別々に分けて物事を捉える
ということになるのでしょうか?
言っている「内容」と それを伝えようとする「伝え方」とは
別の次元の話ということなのかもしれません。
「言っていることはともかく、あなたの言い方は腹が立ちます!」
イライライラ!! ムカムカムカ!!
・「対立」という次元では、「発言した内容が否定されること」と、
「その人の!存在自身!が否定されること」とがイコールになり
「対立」と自分とを分けることができない ということなのかもしれません。
すればするほど、お互いに、相手の入り込む余地が
狭まってゆくのかもしれません…
「私なりにあなたの意見に対する賛否はあるが、
あなたの立場での言い分もあるのでしょう…」
・「平和」という次元では 「発言した内容が否定される」のと、
「その人の存在自身が否定されること」とは別の事
ということになるのかもしれません。
意見が違っても、結果が出なくても、お互いをより理解し
相手と話し合う余地は残しておこう とするのかもしれません。
………………………………
あなたの発言には「議論するに値するだけの価値がある」。
「平和」という側面は、
「自分が思ったことを自由に発言できる」ことを可能にするのと同時に、
その発言によって、「相手を責めることがない」ことを可能にしているのかもしれません。
それは一方では、「相手が、どんなことを自由に発言」しても、
受け取った側が「責められる感覚を受けない」ことを
意味するということになるのかもしれません。
多くの意見が語られることが、結果的に
「対立」の次元で、傷ついた発言を癒してゆくのかもしれません。
日常的に 行われている 目に見えない形、目に見える形、の「対立」
と和解してゆくのかもしれません。
………………………………
話そのものに「議論される価値」を見出すコミニュケーションは、
「感情の中立さ」を伴い、
そこから意見の多様性も生まれてゆくのかもしれません。
共感する声も、対立する価値観も、対極にある意見も、
どんな立場の経験も含めて、すべての意見の存在を容認し、
より多様な選択の幅を内包しながら、
より偏差の少ない、より慎重で、より現実的な、行動を選択すること
を可能にしてくれるのかもしれません。
それは、まぎれもなく、★これからの私たちの大切な未来★ が、
このひとつひとつの行動にかかっているから に他ならないのでしょう…
………………………………
そして、「中立に立った感情」は、
これからの「望む未来」を創るための意志決定に
欠かせないものになってゆくのかもしれません。
「この道が、わたしたちが望む 未来 へと 本当に続くものなのか?」
それは、なによりも厳しい目で、「私たちの声の反映」の
検証を 見守りつづけてゆくのかもしません。
………………………………
これは メッセージ 805 (anywhere_you_want_to_go さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/a1yc0a43a6jbfoba4r4ja4a6a5ha5ta1y_1/921.html