1- セッション
投稿者: anywhere_you_want_to_go 投稿日時: 2003/06/01 17:37 投稿番号: [1756 / 8733]
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pjb6111 さま こんにちは。
HP、拝見させていただきました。
…まずはじめに
今回、量が増えてしまいましたこと、申し訳ございません。
pjb6111 さまの貴重なお時間の可能な範囲
思うところ お伝えくださったなら幸いに感じます。
また、こちらの、誤認 訂正 等 ありましたら指摘くださいましたら幸いです。
Pure Jazz 「新しい環境・現瞬間の創造」 を奏でてゆくということ
Improvisation(即興的演奏)とInterplay(相乗的相互作用)…
HPを含め、pjb6111 さまのおっしゃっていることは、
以下のように 認識 させていただいても、よろしいものでしょうか?
-------------------------------------------------------------------------- -
◆ 観念の意図
・ 現存する価値観や社会構造をつくりあげてきたものは、
わたしたちの思考の産物なのでしょうか…
意識の投影されたものが、現在の社会構造の形をなしているのでしょうか…
わたしたちは、意識的・無意識的に「なにがしかの観念」を所有し、
現実を「いかに解釈するのか」…
所有された観念 に基づいて、
あたかもハードウェア上で、機能しつづけるソフトウェアのように、
時に新たな、時に踏襲した「現実」というものを
産みつづけているのでしょうか…
------------------------ -
◆ セッション1
・ それぞれの「集合形態」には、暗黙の機能が刷りこまれているのでしょうか…
「対立」という観念を認知するために、
「ヒエラルキー集合形態」というしくみが具現化されていったのでしょうか…
「私たち個人」という社会の最小構成単位の・・・
「ヒエラルキー」というそびえ立つ舞台形態のうえで、
ただただ 不協和音のセッション を演じてきたのでしょうか…
「対立」が、飽和を迎え、
果たすことのできる 機能の限界 に達っし、
「対立」はその役割を満了して、
別れを告げてゆきつつあるのでしょうか…
------------------------ -
◆ セッション2
・「対立」を内包し、さらに柔軟な機能をもちあわせうる
「調和」が、新たなセッション の演目となったとき、
・ 「対立」によって細分化された 多様性の種 は、
「ネットワーク集合形態」の中に等しく蒔かれてゆくのでしょうか…
調和音のセッションに耐えうる
視界の拓けた ネットワーク の舞台形態は、
・ かつて分離されて、
あまりに、はかなかった「ひとり」という声が、
自分が 自分に 誓った
ただただ、そうなりたい そうありたい という想いの歌詞を
ただただ、望む未来を叶えてゆこうと 奏でる 心の楽器。
それぞれが個性にあった、独自の楽器を手に入れ…
「いま」「ここで」演奏の流れに、身をまかせつつ、
その一端を担うことにより、
より意識を集中させてゆくのでしょうか…
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pjb6111 さま こんにちは。
HP、拝見させていただきました。
…まずはじめに
今回、量が増えてしまいましたこと、申し訳ございません。
pjb6111 さまの貴重なお時間の可能な範囲
思うところ お伝えくださったなら幸いに感じます。
また、こちらの、誤認 訂正 等 ありましたら指摘くださいましたら幸いです。
Pure Jazz 「新しい環境・現瞬間の創造」 を奏でてゆくということ
Improvisation(即興的演奏)とInterplay(相乗的相互作用)…
HPを含め、pjb6111 さまのおっしゃっていることは、
以下のように 認識 させていただいても、よろしいものでしょうか?
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◆ 観念の意図
・ 現存する価値観や社会構造をつくりあげてきたものは、
わたしたちの思考の産物なのでしょうか…
意識の投影されたものが、現在の社会構造の形をなしているのでしょうか…
わたしたちは、意識的・無意識的に「なにがしかの観念」を所有し、
現実を「いかに解釈するのか」…
所有された観念 に基づいて、
あたかもハードウェア上で、機能しつづけるソフトウェアのように、
時に新たな、時に踏襲した「現実」というものを
産みつづけているのでしょうか…
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◆ セッション1
・ それぞれの「集合形態」には、暗黙の機能が刷りこまれているのでしょうか…
「対立」という観念を認知するために、
「ヒエラルキー集合形態」というしくみが具現化されていったのでしょうか…
「私たち個人」という社会の最小構成単位の・・・
「ヒエラルキー」というそびえ立つ舞台形態のうえで、
ただただ 不協和音のセッション を演じてきたのでしょうか…
「対立」が、飽和を迎え、
果たすことのできる 機能の限界 に達っし、
「対立」はその役割を満了して、
別れを告げてゆきつつあるのでしょうか…
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◆ セッション2
・「対立」を内包し、さらに柔軟な機能をもちあわせうる
「調和」が、新たなセッション の演目となったとき、
・ 「対立」によって細分化された 多様性の種 は、
「ネットワーク集合形態」の中に等しく蒔かれてゆくのでしょうか…
調和音のセッションに耐えうる
視界の拓けた ネットワーク の舞台形態は、
・ かつて分離されて、
あまりに、はかなかった「ひとり」という声が、
自分が 自分に 誓った
ただただ、そうなりたい そうありたい という想いの歌詞を
ただただ、望む未来を叶えてゆこうと 奏でる 心の楽器。
それぞれが個性にあった、独自の楽器を手に入れ…
「いま」「ここで」演奏の流れに、身をまかせつつ、
その一端を担うことにより、
より意識を集中させてゆくのでしょうか…
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これは メッセージ 1732 (pjb6111 さん)への返信です.
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