〆 共感します
投稿者: anywhere_you_want_to_go 投稿日時: 2003/04/16 22:06 投稿番号: [1276 / 8733]
.
>……
>結局他人云々よりも、自分のコミニュケーション能力を
>もっと高めて、どんな相手にも建設的に意見交換できるように
>なるのかも知れません。
・共感します。
・「対立」することが本来の目的ではなく、本意ではないのなら…
・「対立的な現実」に対して、
・次の「対立」を生むためのエネルギーを連鎖・循環させ、
・「対立」そのものにエネルギーを与えているものが、
ひとりひとりの所有された「対立」という観念に基づく
選択ということになるのでしょうか?
・そうであるとしたら、
最終的には、ひとりひとりが
本人の所有された「対立」という観念について
向き合い、再認識し、選択しなおすことが、
どうしても必要になるということなのでしょうか?
・ 「>他人云々ではなく」
ひとりひとりが自分の人生に対して
自分の現実に対して
どう接してゆくのか?
なにを発信し なげかけてゆくのか?
これからどうあって、なにを選択するのが本意なのか?
どういう人生を終刊させてゆきたいのか?
すべては、そこに 終始してゆくことになるのでしょうか?
・ 本来の目的であったはずの、
意識を集中させたいはずの、
そうありたいと望んでいたはずのものが「平和」であるならば、
それは、具体的にどういうことを意味するものなのでしょうか?
「平和を起こし 連鎖・循環しうるシステム」とは
どういうものなのでしょうか?
「平和」というものについて、未知のままの部分は、
一体どのくらいあるのでしょうか?
その認識にこそ、すべてが集約されてゆかざるおえない
ということになってゆくのでしょうか?
望んでいるであろう「平和」を明確に認識するということは、
それは同時に「対立」を必要としない ことを
意味しているのでしょうか?
現実が、「対立」的であったとしても、
そこから得られる意味合いは
随分と変化したものになるということなのでしょうか?
・「対立」という観念を解放すると、かつて「対立」したものが、
不要になるかというと…その逆のことが起こりうる
ということになるのでしょうか?
世界規模で複雑化した問題を、柔軟に解決してゆくためには、
「対立」していたすべてのものを…
「平和」は 必要とし存在意義をみつけようとするのかもしれません。
失うものがなにもない すべてはかけがえがない
不必要なものがなにもない とでも 言っているのでしょうか?
--------------------------------------------------
・rtlaeirlufdh さまの望まれてゆくものが、多少の偏差をしながらも
時間がたつにつれ、より平和的な雰囲気を伴って
洗練され集約されてゆくのでしょうか…
rtlaeirlufdh さまの望むものが、かなってゆけますように…
余計なお世話になるのかもしれませんが、そう祈っております。
rtlaeirlufdh さまにしかできない rtlaeirlufdh さま ならではの
きたんないご発言でいてくださいましたら、幸いに感じます。
いろいろとお伺いしたいことや、
議論を深めてゆきたいことも
多々あるように感じます。
形にまとめることのできたものから、また☆平和トピ☆にて
書き込みさせていただき、皆様の貴重なご意見を伺いたいと感じております。
現実可能な「平和」のあり方を摸索してゆけるのなら、とても幸いに感じます。
.
>……
>結局他人云々よりも、自分のコミニュケーション能力を
>もっと高めて、どんな相手にも建設的に意見交換できるように
>なるのかも知れません。
・共感します。
・「対立」することが本来の目的ではなく、本意ではないのなら…
・「対立的な現実」に対して、
・次の「対立」を生むためのエネルギーを連鎖・循環させ、
・「対立」そのものにエネルギーを与えているものが、
ひとりひとりの所有された「対立」という観念に基づく
選択ということになるのでしょうか?
・そうであるとしたら、
最終的には、ひとりひとりが
本人の所有された「対立」という観念について
向き合い、再認識し、選択しなおすことが、
どうしても必要になるということなのでしょうか?
・ 「>他人云々ではなく」
ひとりひとりが自分の人生に対して
自分の現実に対して
どう接してゆくのか?
なにを発信し なげかけてゆくのか?
これからどうあって、なにを選択するのが本意なのか?
どういう人生を終刊させてゆきたいのか?
すべては、そこに 終始してゆくことになるのでしょうか?
・ 本来の目的であったはずの、
意識を集中させたいはずの、
そうありたいと望んでいたはずのものが「平和」であるならば、
それは、具体的にどういうことを意味するものなのでしょうか?
「平和を起こし 連鎖・循環しうるシステム」とは
どういうものなのでしょうか?
「平和」というものについて、未知のままの部分は、
一体どのくらいあるのでしょうか?
その認識にこそ、すべてが集約されてゆかざるおえない
ということになってゆくのでしょうか?
望んでいるであろう「平和」を明確に認識するということは、
それは同時に「対立」を必要としない ことを
意味しているのでしょうか?
現実が、「対立」的であったとしても、
そこから得られる意味合いは
随分と変化したものになるということなのでしょうか?
・「対立」という観念を解放すると、かつて「対立」したものが、
不要になるかというと…その逆のことが起こりうる
ということになるのでしょうか?
世界規模で複雑化した問題を、柔軟に解決してゆくためには、
「対立」していたすべてのものを…
「平和」は 必要とし存在意義をみつけようとするのかもしれません。
失うものがなにもない すべてはかけがえがない
不必要なものがなにもない とでも 言っているのでしょうか?
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・rtlaeirlufdh さまの望まれてゆくものが、多少の偏差をしながらも
時間がたつにつれ、より平和的な雰囲気を伴って
洗練され集約されてゆくのでしょうか…
rtlaeirlufdh さまの望むものが、かなってゆけますように…
余計なお世話になるのかもしれませんが、そう祈っております。
rtlaeirlufdh さまにしかできない rtlaeirlufdh さま ならではの
きたんないご発言でいてくださいましたら、幸いに感じます。
いろいろとお伺いしたいことや、
議論を深めてゆきたいことも
多々あるように感じます。
形にまとめることのできたものから、また☆平和トピ☆にて
書き込みさせていただき、皆様の貴重なご意見を伺いたいと感じております。
現実可能な「平和」のあり方を摸索してゆけるのなら、とても幸いに感じます。
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これは メッセージ 1005 (rtlaeirlufdh さん)への返信です.
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