Re: 嫌韓与太コピペのdeliciousicecoffe
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2010/08/02 23:51 投稿番号: [545 / 3350]
>参考文献節に列挙された文献で「朝鮮進駐軍」を表題に掲げたものはなく、
もともと正式な存在ではないから、文献になくてもしょうがない。
>朝鮮進駐軍を「戦後日本の混乱期において朝鮮民族が自称していた犯罪(武装)集団の名称」とあたかも在日朝鮮人全体を包含した代表組織のような定義しているが、このような事実はない。
戦後日本の混乱期において朝鮮民族が集団で犯罪を犯しまくり、日本人に酷いことをしていたことは紛れもない事実だ。
――――――
しばらくして、敗戦の事実が我々台湾出身生徒にも正式に伝達されたとき、悔しさと無念の気持ちでいっぱいになり、とめどなく込み上げる涙で頬を濡らしたことはいまでも鮮明に覚えている。
それは他の台湾出身生徒も同じ心境だった。
他方、朝鮮出身の生徒達は、その日から食料倉庫、被服倉庫を集団で強奪するなど、したい放題のありさまで、我々は複雑な心境でただそれを眺めていた。
(略)そこで進駐軍がやって来るまでのおよそ二カ月間、学校、練兵場、格納庫、武器庫など、あらゆる軍の施設を我々四十名の台湾人生徒が守ることになったのである。
「朝鮮人は信用できない。だから君たち台湾人が守ってほしい」 そう言い残して去っていった上官の言葉を、これまで経験してきたもろもろに照らし合わせて了解した。
「台湾人と日本精神」蔡焜燦
――――――
心の切り替えができない私は、誰から見ても敗戦で肩を落した日本人に見えたのだろう。
まだ日本兵の軍服で汽車に乗り込んでいた私は、八月十五日をもって急に威張り始めた連中の嫌がらせを受けた。
座席の下に置いた新品の飯盒を朝鮮人に盗まれ、それを奪いかえそうとすると、「何だお前、朝鮮人をバカにするな!降りてこい!」と、たちまち数人に取り囲まれてしまった。
多勢に無勢、勝ち目はない。
こうなっては、「すみません、私の記憶違いでした」と謝り、難を逃れるしか術はなかった。
それから佐世保に到着するまでの三十時間、連中は執拗に私を含め多くの日本人乗客をいびり続けた。
若い女性がトイレに行こうとすると通路を塞ぎ、次の駅で窓から降りるよう指示するなど、この連中のあまりにも情けない行状を、私ははらわたが煮え繰り返る思いで眺めていた。
ただ黙って見ているしかなかったのである。
(略)
あの引き揚げ列車の中で、私を含め敗戦で意気消沈する日本人をいびり続け、肩をいからせていた朝鮮人達が、「中華民国台湾青年隊」の腕章をつけた我々におべっかを使って擦り寄ってきたのである。
それは中華民国が連合軍の一員であったからにほかならない。
弱者には威張りちらし、強いものには媚諂う、そんな彼らの極端な習性を目の当たりにした思いがした。
「台湾人と日本精神」蔡焜燦
――――――
「大きな駅に着いた時、大変なことが始まった。第三国人の連盟の腕章を巻いた、あまり風体のよくない若者が、窓から無理やり乗り込んできた。周囲の人たちを押し退け、突き飛ばして場所をとり、氷が溶けて水の流れ出る臭い魚の箱を沢山積み込んだのである。総勢七人のその連中はまったく言語道断で、座っている者を追い立てて、全員が座り込んだ。
(中略)それから少しして連中の一人が、「さあ、寝るとしようか」と言って立ち上がった。どうするのか見ていると、網棚の上の荷物を払い落し始めた。棚の上に寝るつもりである。立っている人間の方を踏み台にして、棚にはい上がったその男は、まだ場所が十分でないのか、足元の荷物を蹴り落した。ところがその荷物が運悪く、子供を抱いていた婦人の上に落ち、子供に当たったので、火のついたように、泣き出してしまった。
それまで辛抱に辛抱を重ねていた私は、とうとう我慢できなくなり、つい無意識のうちに「無茶をするな」と大声で怒鳴ってしまった」
「秘伝少林寺拳法」宗道臣著
――――――
もともと正式な存在ではないから、文献になくてもしょうがない。
>朝鮮進駐軍を「戦後日本の混乱期において朝鮮民族が自称していた犯罪(武装)集団の名称」とあたかも在日朝鮮人全体を包含した代表組織のような定義しているが、このような事実はない。
戦後日本の混乱期において朝鮮民族が集団で犯罪を犯しまくり、日本人に酷いことをしていたことは紛れもない事実だ。
――――――
しばらくして、敗戦の事実が我々台湾出身生徒にも正式に伝達されたとき、悔しさと無念の気持ちでいっぱいになり、とめどなく込み上げる涙で頬を濡らしたことはいまでも鮮明に覚えている。
それは他の台湾出身生徒も同じ心境だった。
他方、朝鮮出身の生徒達は、その日から食料倉庫、被服倉庫を集団で強奪するなど、したい放題のありさまで、我々は複雑な心境でただそれを眺めていた。
(略)そこで進駐軍がやって来るまでのおよそ二カ月間、学校、練兵場、格納庫、武器庫など、あらゆる軍の施設を我々四十名の台湾人生徒が守ることになったのである。
「朝鮮人は信用できない。だから君たち台湾人が守ってほしい」 そう言い残して去っていった上官の言葉を、これまで経験してきたもろもろに照らし合わせて了解した。
「台湾人と日本精神」蔡焜燦
――――――
心の切り替えができない私は、誰から見ても敗戦で肩を落した日本人に見えたのだろう。
まだ日本兵の軍服で汽車に乗り込んでいた私は、八月十五日をもって急に威張り始めた連中の嫌がらせを受けた。
座席の下に置いた新品の飯盒を朝鮮人に盗まれ、それを奪いかえそうとすると、「何だお前、朝鮮人をバカにするな!降りてこい!」と、たちまち数人に取り囲まれてしまった。
多勢に無勢、勝ち目はない。
こうなっては、「すみません、私の記憶違いでした」と謝り、難を逃れるしか術はなかった。
それから佐世保に到着するまでの三十時間、連中は執拗に私を含め多くの日本人乗客をいびり続けた。
若い女性がトイレに行こうとすると通路を塞ぎ、次の駅で窓から降りるよう指示するなど、この連中のあまりにも情けない行状を、私ははらわたが煮え繰り返る思いで眺めていた。
ただ黙って見ているしかなかったのである。
(略)
あの引き揚げ列車の中で、私を含め敗戦で意気消沈する日本人をいびり続け、肩をいからせていた朝鮮人達が、「中華民国台湾青年隊」の腕章をつけた我々におべっかを使って擦り寄ってきたのである。
それは中華民国が連合軍の一員であったからにほかならない。
弱者には威張りちらし、強いものには媚諂う、そんな彼らの極端な習性を目の当たりにした思いがした。
「台湾人と日本精神」蔡焜燦
――――――
「大きな駅に着いた時、大変なことが始まった。第三国人の連盟の腕章を巻いた、あまり風体のよくない若者が、窓から無理やり乗り込んできた。周囲の人たちを押し退け、突き飛ばして場所をとり、氷が溶けて水の流れ出る臭い魚の箱を沢山積み込んだのである。総勢七人のその連中はまったく言語道断で、座っている者を追い立てて、全員が座り込んだ。
(中略)それから少しして連中の一人が、「さあ、寝るとしようか」と言って立ち上がった。どうするのか見ていると、網棚の上の荷物を払い落し始めた。棚の上に寝るつもりである。立っている人間の方を踏み台にして、棚にはい上がったその男は、まだ場所が十分でないのか、足元の荷物を蹴り落した。ところがその荷物が運悪く、子供を抱いていた婦人の上に落ち、子供に当たったので、火のついたように、泣き出してしまった。
それまで辛抱に辛抱を重ねていた私は、とうとう我慢できなくなり、つい無意識のうちに「無茶をするな」と大声で怒鳴ってしまった」
「秘伝少林寺拳法」宗道臣著
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これは メッセージ 470 (topics_jk さん)への返信です.
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