Re: ☆在日特権とはなんぞや?☆その2
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2011/01/17 20:46 投稿番号: [1282 / 3350]
>国会議員にも通名議員が大勢いるからな。(猛爆)
困ったもんだな。
やっぱり通名(偽名)は廃止すべきだな。
>今でも十分厳格だね。殆どの帰化申請人が、事前相談で撥ねられている。
米国などの外国と比べてから言え。
>何の反論にもなっていないな。経営者が違うパチンコ店の景品を、「TUCショップや福祉事業協会が換金するのは何故か」と、問うている。(猛爆)
完璧な反論だ。
TUCショップや福祉事業協会が換金するのはパチンコ屋の金ではないというポーズを示しているだけ。
換金する原資はパチンコ屋から出ているから、パチンコ屋の金だ。
で、ゲーム機で同じやり方で客の景品を渡して換金させた場合、逮捕されないのか?
ちゃんとオマエも質問に答えろ。
>ネットの与太や、お前の脳内話など何の証明にもならない。(猛爆)
そこまで言い張るなら、在日朝鮮商工人が直接税務署に申告している証拠を示せ!
>破綻譲渡を受けた信用組合が、担保も受け継いでるさ。お前は無知すぎるな。(猛爆)
破綻する前に換金して弁済するべきだったし、そうしなかったらなら譲渡を受けた信組がすぐに担保を売り払って弁済するべきだ。
>脳内妄想の話しばかりしてないで、証拠資料や事例でも提示しろよ。(猛爆)
戦後、朝鮮人に土地を占拠され、取り返した実例。
ttp://www.ntv.co.jp/shitteru/next_oa/011209.html
(一部抜粋)
戦争もどうにか無傷で切り抜けた晴彦は、終戦後、中国の収容所暮らしを経てどうにかガレキの大阪に帰還。昭和21年、晴彦22歳の時であった。昭和22年、お見合いで船場の繊維問屋「イトマン」の嬢はんと、結婚。出直しを誓った晴彦だが、実は本当の試練はそれからやった。戦後の混乱で現金は紙切れ同然。固定資産税を払うため土地は三分の一まで減ってもうた。先祖伝来の土地の上には見知らぬバラックが立ち並び、もはや無法地帯。しまいには、暴力団絡みの「事件師」が小屋を立て不法占拠。困り果てた晴彦、祖父との約束を是が非でも守る為、ある腹を決めた。なんと、建設会社の労働者60人を率いて不法占拠のバラック小屋を急襲!小屋を壊して土地を奪い返すと晴彦は警察に出頭。世間はこの騒動を「梅田村事件」と呼んだのだった。
これ以後、住みついた既成事実を盾に和解金をせしめようと言う相手と裁判に持ちこみ、長い法廷闘争で晴彦が勝訴したのは4年後の昭和31年。この事件をきっかけに初めて「不動産侵奪罪」が刑法に加わった。更なる障害を乗り越え、梅田駅前の土地を整理し更地にできたのが、なんと昭和48年。復員してから24年後だった。ここに念願の高層ビルを建てたのは昭和51年のこと。
「在日韓国・朝鮮人に問う」佐藤勝己著(1991年)より
――――――――
当研究所の創立者故古屋貞雄理事長が生前手掛けていた仕事のひとつに東京都池袋西口都有地払い下げの問題がある。私がその仕事を引き継ぎ、現在もやっているが、これは旧豊島師範学校跡地を無断占拠し、商売をはじめたいわゆる敗戦直後のブラックマーケットの区画整理にともなう有名な(都内の不動産業者で知らない人のいないほどの)都有地払い下げ事件である。
私がこの事件に関与して20年になるが、調べていくうちに、マーケット内の朝連系朝鮮人の「活躍」を知ることができた。ここで活躍したかなりの人達が、北朝鮮に帰国していったようである。このマーケットの中は、治外法権だった。警察権力の手は到底及ばなかった。そこを取りしきっていたのが"ヤクザ"だが、ヤクザの中にも朝鮮人はいたし、そのヤクザ集団が、”チョウレン”と聞いただけで緊張し、身を震わすというほどの"実力"を持っていた。
この池袋西口と似た場所が、都内の上野、新宿、新橋などにあった。池袋西口でどのようなことが展開されたかは省略するが、結論だけを記せば、かつてそこに住んでいた日本人住民で、当時の朝鮮人を良く言う人は誰もいないというか、ほとんどの人が今でも敵意すら抱いている。
――――――――
ttp://questionbox.jp.msn.com/qa1027882.html
私の父の生まれ育った地域(東京都内某区)にはそうしたことが多く発生し、それが原因で、父は今でも在日韓国・朝鮮人を激しく憎悪しております。
手口としては、戦争でご主人が亡くなったり、戦時公債に投資して財産を失った人をターゲットに、二束三文で土地を買いあさって行ったようです。
>近辺住民との合意の上での共同使用だから何の問題も無いね。
近辺住民?
一部の朝鮮学校関係者と合意したって、そんなの同意とは言わない。
困ったもんだな。
やっぱり通名(偽名)は廃止すべきだな。
>今でも十分厳格だね。殆どの帰化申請人が、事前相談で撥ねられている。
米国などの外国と比べてから言え。
>何の反論にもなっていないな。経営者が違うパチンコ店の景品を、「TUCショップや福祉事業協会が換金するのは何故か」と、問うている。(猛爆)
完璧な反論だ。
TUCショップや福祉事業協会が換金するのはパチンコ屋の金ではないというポーズを示しているだけ。
換金する原資はパチンコ屋から出ているから、パチンコ屋の金だ。
で、ゲーム機で同じやり方で客の景品を渡して換金させた場合、逮捕されないのか?
ちゃんとオマエも質問に答えろ。
>ネットの与太や、お前の脳内話など何の証明にもならない。(猛爆)
そこまで言い張るなら、在日朝鮮商工人が直接税務署に申告している証拠を示せ!
>破綻譲渡を受けた信用組合が、担保も受け継いでるさ。お前は無知すぎるな。(猛爆)
破綻する前に換金して弁済するべきだったし、そうしなかったらなら譲渡を受けた信組がすぐに担保を売り払って弁済するべきだ。
>脳内妄想の話しばかりしてないで、証拠資料や事例でも提示しろよ。(猛爆)
戦後、朝鮮人に土地を占拠され、取り返した実例。
ttp://www.ntv.co.jp/shitteru/next_oa/011209.html
(一部抜粋)
戦争もどうにか無傷で切り抜けた晴彦は、終戦後、中国の収容所暮らしを経てどうにかガレキの大阪に帰還。昭和21年、晴彦22歳の時であった。昭和22年、お見合いで船場の繊維問屋「イトマン」の嬢はんと、結婚。出直しを誓った晴彦だが、実は本当の試練はそれからやった。戦後の混乱で現金は紙切れ同然。固定資産税を払うため土地は三分の一まで減ってもうた。先祖伝来の土地の上には見知らぬバラックが立ち並び、もはや無法地帯。しまいには、暴力団絡みの「事件師」が小屋を立て不法占拠。困り果てた晴彦、祖父との約束を是が非でも守る為、ある腹を決めた。なんと、建設会社の労働者60人を率いて不法占拠のバラック小屋を急襲!小屋を壊して土地を奪い返すと晴彦は警察に出頭。世間はこの騒動を「梅田村事件」と呼んだのだった。
これ以後、住みついた既成事実を盾に和解金をせしめようと言う相手と裁判に持ちこみ、長い法廷闘争で晴彦が勝訴したのは4年後の昭和31年。この事件をきっかけに初めて「不動産侵奪罪」が刑法に加わった。更なる障害を乗り越え、梅田駅前の土地を整理し更地にできたのが、なんと昭和48年。復員してから24年後だった。ここに念願の高層ビルを建てたのは昭和51年のこと。
「在日韓国・朝鮮人に問う」佐藤勝己著(1991年)より
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当研究所の創立者故古屋貞雄理事長が生前手掛けていた仕事のひとつに東京都池袋西口都有地払い下げの問題がある。私がその仕事を引き継ぎ、現在もやっているが、これは旧豊島師範学校跡地を無断占拠し、商売をはじめたいわゆる敗戦直後のブラックマーケットの区画整理にともなう有名な(都内の不動産業者で知らない人のいないほどの)都有地払い下げ事件である。
私がこの事件に関与して20年になるが、調べていくうちに、マーケット内の朝連系朝鮮人の「活躍」を知ることができた。ここで活躍したかなりの人達が、北朝鮮に帰国していったようである。このマーケットの中は、治外法権だった。警察権力の手は到底及ばなかった。そこを取りしきっていたのが"ヤクザ"だが、ヤクザの中にも朝鮮人はいたし、そのヤクザ集団が、”チョウレン”と聞いただけで緊張し、身を震わすというほどの"実力"を持っていた。
この池袋西口と似た場所が、都内の上野、新宿、新橋などにあった。池袋西口でどのようなことが展開されたかは省略するが、結論だけを記せば、かつてそこに住んでいた日本人住民で、当時の朝鮮人を良く言う人は誰もいないというか、ほとんどの人が今でも敵意すら抱いている。
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ttp://questionbox.jp.msn.com/qa1027882.html
私の父の生まれ育った地域(東京都内某区)にはそうしたことが多く発生し、それが原因で、父は今でも在日韓国・朝鮮人を激しく憎悪しております。
手口としては、戦争でご主人が亡くなったり、戦時公債に投資して財産を失った人をターゲットに、二束三文で土地を買いあさって行ったようです。
>近辺住民との合意の上での共同使用だから何の問題も無いね。
近辺住民?
一部の朝鮮学校関係者と合意したって、そんなの同意とは言わない。
これは メッセージ 1264 (topics_jk さん)への返信です.
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