“平和ボケ”のお部屋

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“信ずる”ことについての若干の拙考

投稿者: light_cavalryman 投稿日時: 2004/10/27 03:09 投稿番号: [8231 / 17759]
“有難屋”の端くれの私といたしましては、“信ずる”ということに対して、
ちょっとばかり、稚拙な省察を試みたいと思う。

“信ずる”とはなにか? 科学的な方法で、あるいは現実的で妥当な思考方法で
得ることのできる結論が、「不可能」あるいは、そうまでは言わなくとも、
「可能性としてはかなり低い」とか「期待を託すには根拠が薄弱だ」
と結論したものについて、それがありうる、もしくは確実に実現すると
思うことだと定義しよう。この定義は、不完全かもしれないが…。

人に何が望みかと問うたとき、その答えは、それぞれの人柄をあらわし、
人品のほどを雄弁に物語ると思う。

人より裕福になることか? 明日小判の雨が降ってくることか? きれいな女が
手に入ることか? 出世して、世間を見返すことか? 家族の幸福か?
わが子の健やかな成長か?

世の中には、自分のつましい生活も省みず、他人のことを思っている綺麗な
人もなかにはいるよね。

人に「何を望むか?」ではなく、「何を信ずるか?」と問うたとき、その答えは
その人の人品のほどを同様に、雄弁に物語ると思う。

スプーンを曲げる念力が存在することを信じるか? 月の裏側に宇宙人の
秘密基地があることを信じるか? 得体の知れない妖怪が、あなたの家に
棲みついていることを信じるか? 悪魔を信じるか? 訳のわからぬ
邪悪な神を信じるか?

自分の息子に、「何を望むか?」と問うた時、親を嘆かせる愚息は、
愚かしいおもちゃや、ろくでもないものを望むだろう。
利発な息子は、ずいぶん勉強家で開明的かもしれない。
優しい息子は、親のことを気遣うかもしれない。

何を信ずるかも、これに通じるものがあるだろう。
ろくでもないものを信じるのなら、何も信じないほうがましかもしれない。
尊きものを信じることができないのなら、下らぬものも信じるべきでない。
というか、尊いものを信じられないのに下らぬものを信じるのは、
恥ずべき愚劣なことのように思う。


これといって不自由なく、日々がそこそこ楽しいのなら、人は「信じる」ことの
大切さを認識しないだろう。ひとたび逆境が、その人に報いたとき、そのことの
重要性が、その人には認識されるだろう。


しかし、人は大なり小なり、なにかを「信じて」生きているとも言うべきだ。
自分は何も信じてないという人も、追及すれば結構なにかを信じているものだ。

自分が、将来不幸になるとか、ろくでもない人生を送るなどと思って生きている
人は、そう多くないだろう。「なんとかなる」とか「わるいようにはならない」
とか「そんなことありえない」とか、平気で根拠の薄弱なことを言って、
生きているではないか?

ただ、この「信ずる」ことの問題が、顕在化するのは、先にも申し上げたとおり、
困難が明らかな形で、その人の前に立ちふさがるときだ。そのとき「信ずる」ことの
できる人とできない人とでは、違った結果になるのではないかな?
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