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知らなかった「闘う女性」が亡くなった事

投稿者: arisugawahiro_0 投稿日時: 2003/03/17 10:44 投稿番号: [668 / 17759]
東京新聞より

『これが戦争』女たちは語る
元新聞記者   松井さんの遺志
資料館建設へ仲間が奮闘


松井さんが開催に尽力した「女性国際戦犯法廷」。閉幕後に壇上で参加者に手を振る元慰安婦ら。前列右から3人目が松井さん=2000年12月12日、東京都新宿区の日本青年館で
  戦時下の性暴力に焦点を当てる世界的に例のない「女たちの戦争と平和資料館」をつくる取り組みが、女性たちの間で始まった。アジアの女性問題に積極的な発言を続け、昨年十二月二十七日、六十八歳で亡くなったジャーナリスト・松井やよりさんの遺志を継ぐ仲間たちの活動だ。三年後の開館を目標に、資金集めや東京周辺での土地探しをこれから本格化させる。

  「戦争責任」「人身売買・買春」「国際戦犯法廷」−。松井さんが一人で暮らしていた世田谷区内の自宅マンションは今も、資料が詰まった段ボール箱であふれている。中にあるのは、長年にわたって取材した世界各地の女性問題に関する書類や、自ら撮影した女性たちの写真などだ。

  資料の整理を進めている「資料館建設準備委員会」の事務局担当、細井明美さん(52)は言う。

  「松井さんは、弱い女性や子どもたちのために一生を生きた。すごくエネルギッシュで、不正に対して激しい怒りを常に持っていた。すてきな生き方でした」

  松井さんは「闘う女性」だった。

  三十三年間の朝日新聞記者時代、アジア各国で女性問題を取材して活躍。定年退職後の一九九五年には、女性の人権が守られる社会づくりを目指す「アジア女性資料センター」(渋谷区)を設立した。

  牧師である父親は戦時中、兵隊として中国に行き、日本軍の残虐行為を目撃した。「中国人に償うのが人間としての務めだ」と父親から言われた経験が、アジアに目を向ける原点だったという。

  松井さんの発案により、二〇〇〇年十二月から、東京とオランダ・ハーグで、民間法廷の「女性国際戦犯法廷」が開かれた。

  旧日本軍の慰安婦問題などを戦時中の法律に照らして裁く試みで、各国の法律家が参加。元加害兵士が証言し、膨大な証拠書類が集められた。構想から四年がかりの大仕事だった。松井さんは後に病床で「この法廷に私の命をささげたような気がする」と語った。

  法廷が昭和天皇を「有罪」としたため、松井さんはその後、政治団体などの嫌がらせにさらされる。

  事務所には脅迫電話が続いた。千代田区主催の松井さんの講座は、抗議で中止になった。自宅に帰れず、ホテル住まいを続けた時期も。心配する知人に松井さんは「慰安婦の人の苦労に比べたら、こんなこと何でもない」と答えたという。

  昨年十月、復興下のアフガニスタンで女性団体の活動を取材中、激しい腹痛に倒れた。日本に帰国してすぐ、末期の肝臓がんを告知された。

  松井さんは病床で「資料館」の建設を決意。全財産五千万円を建設のために提供し、あとを仲間たちに託した。

  細井さんは亡くなる直前の松井さんの姿を見て「自分の死を冷静に受け止めていることに驚かされた」という。「自分の仕事をだれかが引き継いでくれる確信があったからなのでしょう」

  松井さんとつながりのあった市民団体の女性ら約三十人が中心となり、早速、昨年末に建設準備を始めた。

  資料館は「国際戦犯法廷」のために集めた慰安婦問題の関連資料をはじめ、各地の紛争地帯で続く「戦時性暴力」の情報などを展示・発信し、平和教育や紛争予防活動の拠点とする。松井さんの取材資料や著作なども公開する予定だ。

  建設準備委への一般からの寄付は、既に一千万円を超えた。億単位の資金が必要になる見通しのため、さらに募金と土地提供を呼び掛けている。

  準備委の中心メンバー、ジャーナリストの西野瑠美子さん(50)は、こう話している。

  「松井さんを突き動かしたのは、過酷な運命の中で沈黙せず、怒り、立ち上がるアジアの女性たちの姿だった。資料館は、過去の『記憶』の拠点とするとともに、これから女性たちが頑張る力をつける活動の拠点としたい」
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