三人のうち
投稿者: Ayuk 投稿日時: 2004/04/09 01:48 投稿番号: [5887 / 17759]
あくまで一般的に考えた場合で、実際
のところまでは解らないけれど、30代の
フリーのジャーナリストは覚悟していた
と思う。平和ボケの代表的論客の鳥越
俊太郎氏は、せいぜい一日二日危険な所
を通り過ぎる為だけに御大層な遺書ビデ
オを作った。そのオウギョウさはともかく
としても、大手メディアのように宿営地
近辺から一歩も出ず配信する立場と違い
、極めて強い危険と隣り合わせにある
から、フリーの自分の仕事が立ち行ける
事くらいは解っていたと思う。
ボランティアの女性はインテレクチャ
ルな人だから、知識としての危険性が
存在する事はブリーフィングで解って
いたと思う。ただこういう政治的な利用
のされ方をする日が来て、それに自分が
巻き込まれる事までを覚悟していられた
かどうかはちょっと解らない。
劣化ウラン弾の少年は恐らく全然何も
解っていなかったのだろうと思う。
問題がややこしいのはダッカの事件と
違って、イラクには退避勧告が出ていて
究極的には邦人の救出義務を政府が負わ
ないという解釈が成立すること。まして
三人ともどちらかといえば政治的には
左派であり、「一般人」とは離れた存在
であるから、国民的な同情が集まらなけ
れば、「断腸の想いであるがテロに屈さ
ない事を云々」で押し切る可能性もある
こと。
それにしても、ダッカ事件の「人命は
地球よりも重い」という言葉。
国際社会の常識からすれば非難轟々
たるものであり、経済社会秩序維持の
論理からすれば愚昧きわまりないもので
あり、環境保護団体、動物愛護団体から
は人間中心主義の極みとでも言うもので
あり、全くもって評判は宜しくはない。
だけれども、個人的にはこの言葉と、
この言葉を産み出した日本の戦後体制
のあるエッセンスには無上の尊敬を
持っている。
一体国家の元首が、自国の一国民に
対して、こんなにも生命の尊厳を守る
事を、こんなにも自国の国民の生命の
たつきに報いた言葉を、国際政治の場
で宣し、それを愚直に実行した例が、
過去の歴史の過去の国の何処にあった
ろう。
実際の日本国の内政は逆に自殺者を
産んでいるから生命の尊厳など軽いも
のだとか、国際政治の上では大数の
論理はイロハであるとか、他国の軍事
覇権にタダ乗りしてるから言える厚顔
無恥な無責任発言だとかいくらでも
批判もできるし非難もできるけれども、
この言葉を、保守本流の政治家であった
一国の首相に言わしめたことこそ、平和
ボケの、戦後日本国の体制が世界の歴史
に齎した、最も高貴で、最も素晴らしい
何ほどかの物ではないか。
あの言葉を生み出した体制である事
は、戦後日本の体制が、何ら誇るべきも
のなしと冷笑する事と、全く対照的に
、我々の国家は何ほどかの精神を結晶
させ、欧米諸国のパワーポリティクス
にも、反植民地主義の粗野や暴力主義
にもない、国家の価値を、我が国民と
して保守すべきものを創り出していた
ように思えてならない。
勿論現実的な思考は絶対的に必要だ。
そうでなければ日本国は滅んでしまう。
国民の生命財産を守れずして何の国家か。
だけれども、こうした精神の死滅した
日本国家、命あるものを何より慈しむ
戦後日本精神を喪い、ただのパワーポ
リティクスに属国追随するだけの国家
となるだけが現実派なら、それだけの
人間なら、命の真実の価値や犠牲精神
のレトリックの元に国民を殺す事に何
ら痛痒を感じない体制の国に行って欲
しい。
日本の現実派は、戦後日本が莫大な
犠牲と怨嗟の上に培った、あの侮蔑さ
れた言葉の裏にある深い精神の尊厳を
こそ保守すべきではないのか。
「沈黙のイージス」の福井氏は、
平和ボケした日本人に戦争の生々しさ
を仮想的に創り出して見せた。しかし
その福井氏が日本国に求めたものは、
卑怯さのない国家であって欲しい事を
痛烈に訴えつつ、主題はある種の戦後日
本の平和主義体制に対するオマージュ
ではなかったか。あの精神を「本気」
で体現したするのが国家の形だと考え
、それが「撃つ、だが、撃つ前に躊躇
う」という一言に現れていたように思
えてならない。
戦後日本体制は確かに価値を、他の
どの時代どの国家の歴史を紐解いても
ユニークな価値を生み出していたのだ
と思う。喪った後になってそれがどれ
ほど大切で高貴なものだったか、いま
踏みにじっている人たちも気づく時が
来るかもしれない。
だがまだあの精神を、国家が
のところまでは解らないけれど、30代の
フリーのジャーナリストは覚悟していた
と思う。平和ボケの代表的論客の鳥越
俊太郎氏は、せいぜい一日二日危険な所
を通り過ぎる為だけに御大層な遺書ビデ
オを作った。そのオウギョウさはともかく
としても、大手メディアのように宿営地
近辺から一歩も出ず配信する立場と違い
、極めて強い危険と隣り合わせにある
から、フリーの自分の仕事が立ち行ける
事くらいは解っていたと思う。
ボランティアの女性はインテレクチャ
ルな人だから、知識としての危険性が
存在する事はブリーフィングで解って
いたと思う。ただこういう政治的な利用
のされ方をする日が来て、それに自分が
巻き込まれる事までを覚悟していられた
かどうかはちょっと解らない。
劣化ウラン弾の少年は恐らく全然何も
解っていなかったのだろうと思う。
問題がややこしいのはダッカの事件と
違って、イラクには退避勧告が出ていて
究極的には邦人の救出義務を政府が負わ
ないという解釈が成立すること。まして
三人ともどちらかといえば政治的には
左派であり、「一般人」とは離れた存在
であるから、国民的な同情が集まらなけ
れば、「断腸の想いであるがテロに屈さ
ない事を云々」で押し切る可能性もある
こと。
それにしても、ダッカ事件の「人命は
地球よりも重い」という言葉。
国際社会の常識からすれば非難轟々
たるものであり、経済社会秩序維持の
論理からすれば愚昧きわまりないもので
あり、環境保護団体、動物愛護団体から
は人間中心主義の極みとでも言うもので
あり、全くもって評判は宜しくはない。
だけれども、個人的にはこの言葉と、
この言葉を産み出した日本の戦後体制
のあるエッセンスには無上の尊敬を
持っている。
一体国家の元首が、自国の一国民に
対して、こんなにも生命の尊厳を守る
事を、こんなにも自国の国民の生命の
たつきに報いた言葉を、国際政治の場
で宣し、それを愚直に実行した例が、
過去の歴史の過去の国の何処にあった
ろう。
実際の日本国の内政は逆に自殺者を
産んでいるから生命の尊厳など軽いも
のだとか、国際政治の上では大数の
論理はイロハであるとか、他国の軍事
覇権にタダ乗りしてるから言える厚顔
無恥な無責任発言だとかいくらでも
批判もできるし非難もできるけれども、
この言葉を、保守本流の政治家であった
一国の首相に言わしめたことこそ、平和
ボケの、戦後日本国の体制が世界の歴史
に齎した、最も高貴で、最も素晴らしい
何ほどかの物ではないか。
あの言葉を生み出した体制である事
は、戦後日本の体制が、何ら誇るべきも
のなしと冷笑する事と、全く対照的に
、我々の国家は何ほどかの精神を結晶
させ、欧米諸国のパワーポリティクス
にも、反植民地主義の粗野や暴力主義
にもない、国家の価値を、我が国民と
して保守すべきものを創り出していた
ように思えてならない。
勿論現実的な思考は絶対的に必要だ。
そうでなければ日本国は滅んでしまう。
国民の生命財産を守れずして何の国家か。
だけれども、こうした精神の死滅した
日本国家、命あるものを何より慈しむ
戦後日本精神を喪い、ただのパワーポ
リティクスに属国追随するだけの国家
となるだけが現実派なら、それだけの
人間なら、命の真実の価値や犠牲精神
のレトリックの元に国民を殺す事に何
ら痛痒を感じない体制の国に行って欲
しい。
日本の現実派は、戦後日本が莫大な
犠牲と怨嗟の上に培った、あの侮蔑さ
れた言葉の裏にある深い精神の尊厳を
こそ保守すべきではないのか。
「沈黙のイージス」の福井氏は、
平和ボケした日本人に戦争の生々しさ
を仮想的に創り出して見せた。しかし
その福井氏が日本国に求めたものは、
卑怯さのない国家であって欲しい事を
痛烈に訴えつつ、主題はある種の戦後日
本の平和主義体制に対するオマージュ
ではなかったか。あの精神を「本気」
で体現したするのが国家の形だと考え
、それが「撃つ、だが、撃つ前に躊躇
う」という一言に現れていたように思
えてならない。
戦後日本体制は確かに価値を、他の
どの時代どの国家の歴史を紐解いても
ユニークな価値を生み出していたのだ
と思う。喪った後になってそれがどれ
ほど大切で高貴なものだったか、いま
踏みにじっている人たちも気づく時が
来るかもしれない。
だがまだあの精神を、国家が
これは メッセージ 5886 (ddking22001 さん)への返信です.
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