近衛文麿のことね②
投稿者: yoursong319 投稿日時: 2004/01/04 21:50 投稿番号: [4286 / 17759]
近衛文麿(このえ ふみまろ)
1891.10.12〜1945.12.16。東京出身。
貴族院議員近衛篤麿公爵の長男。一高を経て東大哲学科入学。京大に転じ1917年京都大学法科卒業。内務省に入る。19年パリ講和会議の時、西園寺の随員となる。この時、反英米本意和平主義に反対し、「持たざる国の論」を発表。またこの頃貴族院改革論を打ち出した。21年日本青年館理事長。31年貴族院副議長、満洲事変後、その方針の違いで西園寺と対立した。33年貴族院議長、後藤隆之助らをして昭和研究会を起こす。37年6月大命降下で首相。盧溝橋事件では派兵を決定。38年1月近衛声明を発表し、日中戦争は泥沼にはいる。国家総動員法を成立、11月東亜新秩序を第2次近衛声明で発表。米英と対立する。39年1月辞職。枢密院議長。40年枢密院議長を辞任し、新体制運動に乗り出す。米内内閣の後を受け、第2次組閣。大政翼賛会を結成する。9月三国同盟成立。41年春、米国との関係改善を目指し日米交渉を開始する。交渉のため渡米も考慮。6月独ソ戦勃発では大動員を行う。7月反米派の松岡外相を解任し第3次内閣を起こすが、南部仏印進駐で米国と対立。「中国からの撤退」という交渉条件案を東条陸相に反対されて総辞職する。戦時中は反東条工作を行う。45年昭和天皇に共産革命の危機を訴え、終戦工作を行う(近衛上奏)。戦後東久迩内閣で国務相(無任所)、内大臣府御用掛となり、憲法改正調査に乗り出すが反発を受ける。12月戦犯容疑指定で出頭命令を受け、出頭当日の早暁服毒自殺。
Φ
議会制に懐疑的だった彼は議員達よりも軍人達に信を置くようなことになり、
次第に陸軍に利用されることになり、
遂には大政翼賛会を成立させてしまう。
それよりも以前の若き日には、
貴族の生まれとはいえ父親の死によって莫大な借金を負った暮らしのなかで
彼は社会主義への憧れも育んでいた。
おもうに、近衛文麿もちいさな漂う小舟。
さまざまな思想の波を被って迷走してしまったのでしょう。
近衛文麿の「英米本位の平和主義を排す
http://ww1.m78.com/topix/konoe%2Cthesis.html
これは メッセージ 4284 (yoursong319 さん)への返信です.
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