適者生存について
投稿者: light_cavalryman 投稿日時: 2003/09/21 14:44 投稿番号: [2652 / 17759]
かなり以前のことだけれど、アメリカの社会学者だったかが、嘆いていたことが
あった。曰く…
「高い教育を受けた有能な人たちは、結婚をしないか、しても子どもを作らない、
あるいは一人ぐらいしか子どもを作らない。それに反して教育のない、無能な人たちは、
たくさん子どもを作る…。このままでは、やがて人類は馬鹿ばかりになってしまう…」
この立論は、どっかに誤りがあるのではないかと私は思っている…。
いつだったか、NHKでカナダの自然を紹介した番組で、トナカイの群と繁殖に
ついて次のようなナレーションがあった…。
「強いオスたちがハーレムを形成する。これが生存に適した強いオスの遺伝子を
残すための自然のおきてなのです…云々」
ハーレムから締め出された、「生存に適さない弱いオス」の群のメンバーは、
このような“認識”に抗議すべきだ…(笑)
角突合せの儀式によって選ばれたオスが、“生存適格者”だというのは、
あまりに荒っぽい考え方なのではないか? 角突き競争が得意なものが生存に
適しているとするなら、やがてトナカイは巨大化していくと思うが…?
事実は逆で、太古の方が巨大哺乳類がたくさん生存していた。昔は牛ほどの
大きさのあるねずみもいたとか…。
たとえば、細菌に対して強い抵抗力を持っているものは“生存適格者”だと思う。
偏食をしない固体も“生存適格者”だ。危機を覚るのに目ざとく逃げ足の速いものも
“生存適格者”だ。こういった、特性はトナカイの“角突合せ”ゲームよって
選別することはできないように思えるのだが…。
ところで、高学歴者とは、人間が作り上げた教育システムの勝者なのだが、
それが、すぐに“生存適格者”だとは私は思わない。それはバランスを欠いた
偏った存在なのだ。トウモロコシのように人為によって作られた存在なのだ。
トウモロコシは、きわめて人工的な存在で、人間という存在を考慮しなければ、
当然のことだが、原種の方が、はるかに生存適性はある…。
仮説として、頭のいい人は頭のいい子を作り、頭の悪い人は頭の悪い子を作る…
という単純な遺伝の構図は、成り立たないという説を立てたい…。
人類の遺伝子は、生まれてくる子どもの何パーセントかは、頭がよく、
何パーセントかはさして頭も良くないという風に、わざと仕組んであると考える。
その方が種全体の生存戦略を考える上で有利なのではないだろうか?
頭が良く生まれた子どもは、アリの社会における兵隊アリの存在に似ているかもしれない。
生殖能力は期待されていないのだ。
生殖能力の期待されている、頭の悪い個体からも(笑)、確実に何パーセントかは、
頭の良い子が生まれるようにセットされていると推定する…。
人類の進化形態として、アリのような社会、つまり頭脳ばかり発達した、特化した
人間と、そうでない人間とに分化していくという方向はありうるかもしれない…。
もう一つは、構成メンバーそれぞれに、常に色々な可能性が内在していて、環境や
恣意により、どの可能性が顕在化するか自由に選択できるというモデルもある。
前者と後者とでは、どちらのモデルに“生存適性”があるだろうか? 誰か
シミュレーションしてくださいますか? 単純な二者択一ではなく、その中間型も
あるかもしれない。どちらの側にどれだけ近い中間型が最適なのか…
もっとも、“適者生存”は、すべてに優先する“真理”なのだろうか?
人類の文明を振り返ってみれば、“不適”を“適”にする戦いと思えなくもない…。
雨降りで自宅に閉じ込められて、もっと他に考えなければならない重要なことが
山ほどあるのにもかかわらず、つまんないことを考えていた…(笑)
以上は、“馬鹿発言”あるいは“馬鹿話”の類です…。
今後1週間ないし2週間に一度くらい、馬鹿発言をしようかと思っています…。
ではまた、しばらく失礼する…。
あった。曰く…
「高い教育を受けた有能な人たちは、結婚をしないか、しても子どもを作らない、
あるいは一人ぐらいしか子どもを作らない。それに反して教育のない、無能な人たちは、
たくさん子どもを作る…。このままでは、やがて人類は馬鹿ばかりになってしまう…」
この立論は、どっかに誤りがあるのではないかと私は思っている…。
いつだったか、NHKでカナダの自然を紹介した番組で、トナカイの群と繁殖に
ついて次のようなナレーションがあった…。
「強いオスたちがハーレムを形成する。これが生存に適した強いオスの遺伝子を
残すための自然のおきてなのです…云々」
ハーレムから締め出された、「生存に適さない弱いオス」の群のメンバーは、
このような“認識”に抗議すべきだ…(笑)
角突合せの儀式によって選ばれたオスが、“生存適格者”だというのは、
あまりに荒っぽい考え方なのではないか? 角突き競争が得意なものが生存に
適しているとするなら、やがてトナカイは巨大化していくと思うが…?
事実は逆で、太古の方が巨大哺乳類がたくさん生存していた。昔は牛ほどの
大きさのあるねずみもいたとか…。
たとえば、細菌に対して強い抵抗力を持っているものは“生存適格者”だと思う。
偏食をしない固体も“生存適格者”だ。危機を覚るのに目ざとく逃げ足の速いものも
“生存適格者”だ。こういった、特性はトナカイの“角突合せ”ゲームよって
選別することはできないように思えるのだが…。
ところで、高学歴者とは、人間が作り上げた教育システムの勝者なのだが、
それが、すぐに“生存適格者”だとは私は思わない。それはバランスを欠いた
偏った存在なのだ。トウモロコシのように人為によって作られた存在なのだ。
トウモロコシは、きわめて人工的な存在で、人間という存在を考慮しなければ、
当然のことだが、原種の方が、はるかに生存適性はある…。
仮説として、頭のいい人は頭のいい子を作り、頭の悪い人は頭の悪い子を作る…
という単純な遺伝の構図は、成り立たないという説を立てたい…。
人類の遺伝子は、生まれてくる子どもの何パーセントかは、頭がよく、
何パーセントかはさして頭も良くないという風に、わざと仕組んであると考える。
その方が種全体の生存戦略を考える上で有利なのではないだろうか?
頭が良く生まれた子どもは、アリの社会における兵隊アリの存在に似ているかもしれない。
生殖能力は期待されていないのだ。
生殖能力の期待されている、頭の悪い個体からも(笑)、確実に何パーセントかは、
頭の良い子が生まれるようにセットされていると推定する…。
人類の進化形態として、アリのような社会、つまり頭脳ばかり発達した、特化した
人間と、そうでない人間とに分化していくという方向はありうるかもしれない…。
もう一つは、構成メンバーそれぞれに、常に色々な可能性が内在していて、環境や
恣意により、どの可能性が顕在化するか自由に選択できるというモデルもある。
前者と後者とでは、どちらのモデルに“生存適性”があるだろうか? 誰か
シミュレーションしてくださいますか? 単純な二者択一ではなく、その中間型も
あるかもしれない。どちらの側にどれだけ近い中間型が最適なのか…
もっとも、“適者生存”は、すべてに優先する“真理”なのだろうか?
人類の文明を振り返ってみれば、“不適”を“適”にする戦いと思えなくもない…。
雨降りで自宅に閉じ込められて、もっと他に考えなければならない重要なことが
山ほどあるのにもかかわらず、つまんないことを考えていた…(笑)
以上は、“馬鹿発言”あるいは“馬鹿話”の類です…。
今後1週間ないし2週間に一度くらい、馬鹿発言をしようかと思っています…。
ではまた、しばらく失礼する…。
これは メッセージ 2651 (light_cavalryman さん)への返信です.
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