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>>幸いなるかな心貧しき者

投稿者: light_cavalryman 投稿日時: 2003/09/21 14:36 投稿番号: [2648 / 17759]
「屋上屋を架す」が如くで申し訳ないが、私もこの話題について…。


>わたしの解釈は、心貧しき者とは信仰の外に居る者、
>反省の少ない、文字通り心の貧しい者という意味で、
>そういう者達へのエールじゃないかと思ってたんです。

>エールという言い方はおかしいけれど、父なる主は
>そういう無関心或いは、裏切りを重ねる者たちをも
>両手を広げて待って居られるというような   ・・

キリストは、世俗にまみれた人々の考えに痛打を与えるために
衝撃的な逆説をよく用いたようですが、「幸いなるかなこころ貧しきもの」
というのもその一つですよね。

この言葉が、“山上の垂訓”の冒頭であるのは、とても象徴的です。

私も、“心貧しいもの”とは、毎日々々巷で、愚かなことを繰り返し
罪を繰り返している、悲惨な人々のことかと思わないでもない。
そういう人たちこそ、“天国”が必要でしょうからね。

しかし、そのような人たちが、そのままの状態で、つまり自分の
“心貧しい”惨めな状態を少しも悟らないで、天国に行ったとしても、
天国を天国として認識できないんではないかとも思われます…。


余談になりますが、『トマスによる福音書』というのがあって、これは、
現在私たちが手にしているローマ教会によって定められた以外の福音書、
『外典』とか呼ばれているようですが、そこには、問題の部分は、
「乞食の心を持つものは幸いだ」となっているそうです。

「乞食の心」とは何か? 要するに、自分の惨めな状態を知るものと
解釈するのが、キリスト教界の大勢のようです。

なお、『福音書外典』というのは、興味深いもので、キリスト没後、巷間にあまた
出回っていた福音書を、ローマ教会が統一するとき、「異端なり」などの理由で
排除したもので、福音書の成り立ちを考えるとき重要なものだそうです。

1945年、エジプトのナイル流域の農民たちが土中より発見した壷に収められた
パピルスに書かれた文書が、キリスト教文化圏の人たちにとっては、20世紀
最大の考古学的発見でした。

その文書の大切さが認識され、文書の全貌が明らかになるのには、その後
30年もの歳月を要しました。(『ナグ・ハマディ文書』と呼ばれている)
『トマスによる福音書』はそのなかの一つです。


ちょっと調べましたところ、教会の神父さん、牧師さんたちのくだんの言葉に対する
代表的な説明は以下のようなもののようです。
( f3nasa くんの説明では、有り難味や敬虔な雰囲気というものが全然ないですからね)

http://www.sbc-jp.org/answer/answer_2_5.htm

http://www.biwa.ne.jp/~e-hamasa/MatthewMessages/message1.html


>まあ、親鸞さんのいわく「いわんや悪人をや」と同義の言葉かと。

かなり近いとは思います。親鸞和尚も、その言葉を発したとき、
「悪人こそ救われるべき」ということに力点を置いたというより、人の心や
姿勢を問題にしたのではないかと思われます。

驕り高ぶる人より、自分の罪深さや、煩悩からのがれられない自分を知る人の
ほうが救済に近いとおっしゃりたかったのでしょう。(月並みかもしれないが)




久しぶりに出てきて、ちょっと徒然なるままに書き散らかしてしまいました…。

トピがわりかし繁盛しているのは感激です。みんなにレスできなくてすみません。
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