オボッチャマ
投稿者: assaraamaaleicomnjp 投稿日時: 2012/11/23 23:54 投稿番号: [17711 / 17759]
政治家は「理念の人」でいいと思うんだよねえ。
国家の将来を見据え、自分の理念を公言し、それに賛同する人が多数を占める事によって、選挙に当選する。
国民に委託された政治家はその理念を立法化して、どういう風に実行するかを行政府に命じて、行政府は様々な無理難題という困難を克服しながら、間接的に国民によって付託された政策を実現して行く。
国民はその意味でわがままでいいと思うんだよねえ。
どんどんわがまま言って、政治家を通じて行政府や立法府に働きかけてお尻を叩くだけでいいと思う。
自分たちの生活がよくなる為に「願う」事は民主主義国家の一員としては、当然の権利だ。
自分たちの生活が明らかに苦しくなるような「増税」にたとえどんな論理的説得がなされようとも、賛成するなんて言う事はもってのほかだ。それは単に騙されているだけだと知らなければならない。容易く納得する奴は救いがたい。
多くの国民に支持された「理念」を達成するべき義務を負っているのは行政府である事も当然だ。結果としてできなかったとしても、そこを責めるべきではないと考えている。初めから不可能だとあきらめて、その理念に向かって実現しようと言う意志のない行政者はやはり行政者としては失格ではないだろうか?
ましてや自分たちの怠慢を隠し、楽な方、都合のいい方に自分たちの持つ特権を利用して、様々な策を用いて国民を誘導しようなんてもってのほかだ。
こんな奴は切り捨ててしまえ。
と同時に、国民は、その行政者がどれだけ国民の理念に沿うように行動したか?という事を持って評価すればいいのであって、「その結果は二の次なのだから、方向性としてはよくがんばった」というくらいの寛容さも併せ持たなければならない。
・ ・・・しかし結局最後まで「理念の人」だけの評価で終わってしまったのは、何とも寂しい気がする。
命の大切さを語り、沖縄の普天間問題で彼が語った理念は私には十分に心にしみ込んだ。それを決行させるだけの勇気が彼になかったのが惜しまれる。
社会的な軋轢に弱いという点で、オボッチャマはこの辺が限界なんだという事なのだろうか?
しかしオボッチャマにしかこの純粋な発想はでてこなかったのかもしれない事を思うと、今回の早すぎる引退表明が惜しまれる。
個人的には、彼はまだ若いんだから、近い将来、もう一度、オボッチャマの仮面を脱ぎ捨てて、強くなった「男」として図々しく再起する事を願っている。
これは メッセージ 1 (軽騎兵 さん)への返信です.
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