“平和ボケ”のデモ
投稿者: assaraamaaleicomnjp 投稿日時: 2012/07/16 09:20 投稿番号: [17563 / 17759]
前にも一度どこかのトピで書いた事があるが、「祭り」の話である。
多くの祭りは、程度の差こそあれ、参加者一人一人は常に「死」を覚悟し、それに向き合ってその「生」と「死」のぎりぎりのところを体感する事によって「神」の存在を実感し、「祭り」というものの存在意義を参加者全員で共有する。・・・というような事ではないだろうか?といつも思っている。
私のふるさとの九州の田舎の祭りもまさにそれで、それは大人の神輿に限らず子供神輿と言われるものでさえも、子供なりに「死」というものを感じる瞬間はあった。
だから「祭り」は面白かったし、魅力があった。
かつて、私の通っていた大学では、私が1年の時までは、「けんか神輿」と言って、大きなヤカンに酒を入れて、ぐでんぐでんに酔っぱらいながら大学周辺を練り歩き、クライマックスの公園に着くと、他の科の造った神輿同士をぶつけあいながら壊す。人も時々壊れる。まあこういういわゆるバンカラな時代であった。
ところがその次の年になると、警察の警備上の要望があり、酒は御法度。練り歩く場所や時間も指定通りに行う事が義務づけられ、公園での神輿のぶつかり合いは禁止。代わりに何かイベントを催すという事で、それ以降今に至るまで、華やかな衣装をまとって「踊り」を踊る事が提案され、かくして非常に平和な「お祭り」が開催される事になった。
この事は、私にとっては非常に物足りない、リアリティーのないイベントに成り下がってしまったと感じさせたし、多少しらけた気持ちで参加した。
しかし、その年の主催学生にとっては、何の衝突も無く誰にも迷惑がかからない、しかも警察の指示通りに進められたという満足感によって、非常に有意義な「平和な」祭りが開催され、そして成功した事に何の疑いも持つ事無く、これこそが最高の「祭り」であるがごとく感じていた事は間違いの無いところだったと思う。
先日私にとっては二回目の国会議事堂での「反原発デモ」に参加してきた。
参加者はものすごい警備の中で、警察の誘導によって脇道に押しやられ分断され、全体の数さえ把握する事が困難であった。
「デモ」であれば「行進」が必須のはずが、誰も歩けない。機動隊の車が車線を覆い、歩道だけでのギュウギュウズメの非常にストレスの溜まるデモだった。
警察は「主催者との協議の結果こういう方法がとられたので参加者はそれを理解して警察の指示に従ってください。」と繰り返し、主催者は「皆さんもう少し下がってください」とまるで警察の言うがまま。
私もだんだんストレスがたまってきそうで、危うく主催者に罵声を浴びせそうになったので、帰る事にした。
若き頃の大学の「祭り」を思い出しながら、多少しらけた気持ちになってしまった。
これでは、こんな従順な人間の抗議なんか全然怖くないから、誰も振り向いてはくれないだろうから、社会も変わらないだろうなと思った。野田がせっかくの抗議の声を「大きな音」と比喩した気持ちもよくわかる。これでは単なるガス抜きでしかないと思った。
「平和ボケのデモ」だと感じた。
今日の代々木公園の10万人デモについては、今のところどのマスコミも報道していないが、ぜひ成功させてほしい。私は行けないのが残念だ。
多くの祭りは、程度の差こそあれ、参加者一人一人は常に「死」を覚悟し、それに向き合ってその「生」と「死」のぎりぎりのところを体感する事によって「神」の存在を実感し、「祭り」というものの存在意義を参加者全員で共有する。・・・というような事ではないだろうか?といつも思っている。
私のふるさとの九州の田舎の祭りもまさにそれで、それは大人の神輿に限らず子供神輿と言われるものでさえも、子供なりに「死」というものを感じる瞬間はあった。
だから「祭り」は面白かったし、魅力があった。
かつて、私の通っていた大学では、私が1年の時までは、「けんか神輿」と言って、大きなヤカンに酒を入れて、ぐでんぐでんに酔っぱらいながら大学周辺を練り歩き、クライマックスの公園に着くと、他の科の造った神輿同士をぶつけあいながら壊す。人も時々壊れる。まあこういういわゆるバンカラな時代であった。
ところがその次の年になると、警察の警備上の要望があり、酒は御法度。練り歩く場所や時間も指定通りに行う事が義務づけられ、公園での神輿のぶつかり合いは禁止。代わりに何かイベントを催すという事で、それ以降今に至るまで、華やかな衣装をまとって「踊り」を踊る事が提案され、かくして非常に平和な「お祭り」が開催される事になった。
この事は、私にとっては非常に物足りない、リアリティーのないイベントに成り下がってしまったと感じさせたし、多少しらけた気持ちで参加した。
しかし、その年の主催学生にとっては、何の衝突も無く誰にも迷惑がかからない、しかも警察の指示通りに進められたという満足感によって、非常に有意義な「平和な」祭りが開催され、そして成功した事に何の疑いも持つ事無く、これこそが最高の「祭り」であるがごとく感じていた事は間違いの無いところだったと思う。
先日私にとっては二回目の国会議事堂での「反原発デモ」に参加してきた。
参加者はものすごい警備の中で、警察の誘導によって脇道に押しやられ分断され、全体の数さえ把握する事が困難であった。
「デモ」であれば「行進」が必須のはずが、誰も歩けない。機動隊の車が車線を覆い、歩道だけでのギュウギュウズメの非常にストレスの溜まるデモだった。
警察は「主催者との協議の結果こういう方法がとられたので参加者はそれを理解して警察の指示に従ってください。」と繰り返し、主催者は「皆さんもう少し下がってください」とまるで警察の言うがまま。
私もだんだんストレスがたまってきそうで、危うく主催者に罵声を浴びせそうになったので、帰る事にした。
若き頃の大学の「祭り」を思い出しながら、多少しらけた気持ちになってしまった。
これでは、こんな従順な人間の抗議なんか全然怖くないから、誰も振り向いてはくれないだろうから、社会も変わらないだろうなと思った。野田がせっかくの抗議の声を「大きな音」と比喩した気持ちもよくわかる。これでは単なるガス抜きでしかないと思った。
「平和ボケのデモ」だと感じた。
今日の代々木公園の10万人デモについては、今のところどのマスコミも報道していないが、ぜひ成功させてほしい。私は行けないのが残念だ。
これは メッセージ 1 (軽騎兵 さん)への返信です.
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