いま日本人に突きつけられているもの
投稿者: steffi_10121976 投稿日時: 2012/02/12 22:46 投稿番号: [17355 / 17759]
piazzollajpさん、こんなところにまでお出ましいただきまして、恐縮でございます。
ご職責とはいえ、実際に危険を冒して福島の地に何度もお出かけになり、事態の収拾と被災者のご支援に全力を傾けていらっしゃる方のお言葉は、私にとって、他の誰にもまして重く響きます。
特に、「許せないのは、国、なかんずく政治家は、自ら不備な安全規制を容認してきた、その責任はそっちのけにし、現在のネガティブな国民感情の尻馬に乗って、東電や電力会社たたきのパフォーマンスに終始し、それで自分達は何か仕事をした気になっている、その醜悪ぶりは目を覆うものがあります」とのご指摘は、良識ある国民ならばみな等しく感じているところではないでしょうか?
●>今後、代替エネルギーに対する技術開発と並行して、既存の原子力発電所の安全を一層高めるための努力が継続的になされなければならないと考えてはいます。
>しかし、その反面、原子力というリスクのある技術を、今後とも所有し、活用していくための責任と覚悟が、果たしてこの国にあるのかと、最近は疑問に思うこともしばしばです。
私も企業人として、また一国民として、安易な、あるいは感情的な原発敵視の論調に与するものではありません。
原発問題をイデオロギー論争の具としかとらえていない教条的反対派の愚かさについてはいまさら申しあげるまでもありませんけれども、そのいっぽうで、そうした勢力との議論を回避せんとするあまり、これまで国民に正しい情報をきちんと開示してこなかった政府・電力会社等“推進派”の事なかれ主義的姿勢にもきわめて罪深いものがあると思います。
震災後、海外の僚社やお取引先の人と会うたびに必ず接するのは、日本の情報開示システムはまだまだ不十分なのではないかという耳の痛い指摘です。
そのたびに私は返答に窮してしまいます。
確かにこの点において、わが国の体質は政官民問わず、大日本帝国の昔からあまり変わっていないのではないかというのが私の偽らざる感想です。
私は、自分の生まれ育った日本という国を愛することにかけては人後に落ちない存在だと自負していますけれども、そんな私でもたまらなく嫌になる日本人の国民性が2つあります。
ひとつは正面からの議論(ディベート)を忌避すること、もうひとつは意思決定をいかなる局面においても合議制で行ない、特定少数の者が責任を負わないようにすることです。
今回の原発事故は、まさにこの2つの要因が端的な形で現れた象徴的な事例だと考えています。
以前にもこのトピックスで申しあげたとおり、エネルギー問題は、私たち国民ひとりひとりの日々の生活、もっと言えば生命・財産の安全に待ったなしで直結してくる事案です。
歴史認識をめぐる論争などとはわけが違うのです。
今後日本国としてエネルギーの確保をどのように進めていくかは、主権者である私たち国民がそれぞれの立場から徹底的に議論したうえで、最終的には国政を担うべき立場にある者が全責任において判断するべき問題です。
そのためには国や事業体が国民にすべての情報を隠蔽なく開示すること、また国民も「結論先にありき」的な態度ではなく、揚げ足の取り合いや不毛なイデオロギー論争を徹底的に排除した建設的な議論を行なうことが絶対条件でしょう。
個々の国民が確固とした当事者意識をもって正々堂々と持論をぶつけ合う、その結果を踏まえて強力なリーダーシップを持つ指導者が自らの責任において最終決断を行なう―――日本人が伝統的に苦手とし、逃げ回ってきたこれらの行動規範がいまほど冷徹に突きつけられている時代はない、そんな気がしています。
your Steffi
ご職責とはいえ、実際に危険を冒して福島の地に何度もお出かけになり、事態の収拾と被災者のご支援に全力を傾けていらっしゃる方のお言葉は、私にとって、他の誰にもまして重く響きます。
特に、「許せないのは、国、なかんずく政治家は、自ら不備な安全規制を容認してきた、その責任はそっちのけにし、現在のネガティブな国民感情の尻馬に乗って、東電や電力会社たたきのパフォーマンスに終始し、それで自分達は何か仕事をした気になっている、その醜悪ぶりは目を覆うものがあります」とのご指摘は、良識ある国民ならばみな等しく感じているところではないでしょうか?
●>今後、代替エネルギーに対する技術開発と並行して、既存の原子力発電所の安全を一層高めるための努力が継続的になされなければならないと考えてはいます。
>しかし、その反面、原子力というリスクのある技術を、今後とも所有し、活用していくための責任と覚悟が、果たしてこの国にあるのかと、最近は疑問に思うこともしばしばです。
私も企業人として、また一国民として、安易な、あるいは感情的な原発敵視の論調に与するものではありません。
原発問題をイデオロギー論争の具としかとらえていない教条的反対派の愚かさについてはいまさら申しあげるまでもありませんけれども、そのいっぽうで、そうした勢力との議論を回避せんとするあまり、これまで国民に正しい情報をきちんと開示してこなかった政府・電力会社等“推進派”の事なかれ主義的姿勢にもきわめて罪深いものがあると思います。
震災後、海外の僚社やお取引先の人と会うたびに必ず接するのは、日本の情報開示システムはまだまだ不十分なのではないかという耳の痛い指摘です。
そのたびに私は返答に窮してしまいます。
確かにこの点において、わが国の体質は政官民問わず、大日本帝国の昔からあまり変わっていないのではないかというのが私の偽らざる感想です。
私は、自分の生まれ育った日本という国を愛することにかけては人後に落ちない存在だと自負していますけれども、そんな私でもたまらなく嫌になる日本人の国民性が2つあります。
ひとつは正面からの議論(ディベート)を忌避すること、もうひとつは意思決定をいかなる局面においても合議制で行ない、特定少数の者が責任を負わないようにすることです。
今回の原発事故は、まさにこの2つの要因が端的な形で現れた象徴的な事例だと考えています。
以前にもこのトピックスで申しあげたとおり、エネルギー問題は、私たち国民ひとりひとりの日々の生活、もっと言えば生命・財産の安全に待ったなしで直結してくる事案です。
歴史認識をめぐる論争などとはわけが違うのです。
今後日本国としてエネルギーの確保をどのように進めていくかは、主権者である私たち国民がそれぞれの立場から徹底的に議論したうえで、最終的には国政を担うべき立場にある者が全責任において判断するべき問題です。
そのためには国や事業体が国民にすべての情報を隠蔽なく開示すること、また国民も「結論先にありき」的な態度ではなく、揚げ足の取り合いや不毛なイデオロギー論争を徹底的に排除した建設的な議論を行なうことが絶対条件でしょう。
個々の国民が確固とした当事者意識をもって正々堂々と持論をぶつけ合う、その結果を踏まえて強力なリーダーシップを持つ指導者が自らの責任において最終決断を行なう―――日本人が伝統的に苦手とし、逃げ回ってきたこれらの行動規範がいまほど冷徹に突きつけられている時代はない、そんな気がしています。
your Steffi
これは メッセージ 17352 (pia**ollaj* さん)への返信です.
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