民主主義のレトリック
投稿者: assaraamaaleicomnjp 投稿日時: 2011/06/30 16:11 投稿番号: [17019 / 17759]
イギリスのアングロサクソンは、少数のイングランド人が、大多数のアイルランド人をどういう風に統治できるか?ということを考えて、絶妙の今の民主主義のモデルを作り上げたとか言う話を昔読んだことがある。
十何年か前、どこかの原発反対運動に参加したことがある。人に連れられて自発的ではない参加だったので、その場所さえよくおぼえていなかったけれども、草野心平氏のゆかりの地だったことを思い出して調べたら、それが今騒動の福島原発であったことがようやく思い出された。
その時の参加者の意見として、
「地元の半分以上の住民はやはり「金」で賛成に回っているようだ。政府は金をばらまいて、人の感情を金の力でどうにでも出来ると考えているようだけれども、これはもうどうしようもない実態になってきている。しかしその少数の地元の賛成者によってその近隣の何の恩恵も受けない住民達が、もしかしたらいわれのない災いをもたらされるとしたならば、これは非常に理不尽なことなんじゃないだろうか?」というような話を聞いた。
図らずも今回の原発騒動は、この意見の通りになってしまった。
小出氏の反原発の意見も、ずっと多くの人達に顧みられなかったのだけれども、結果的に小出氏の危惧する通りのことが実際に現実の福島で起こっている。
今回、多くの電力会社の株主総会において、原発継続が確認されることになるのだろうが、本当にこれでいいのだと、大多数の国民は考えているのだろうか?
玄界灘原発でも、なんで海江田という人がああいう発言をするようになったのか理解に苦しむが、ここでも、本の少数の玄海町の人が賛成したからといって、その近隣の人達の大多数の賛同が得られないままこれを決行していいものなのだろうか?
イギリスで考えだされた民主主義の数のレトリックがここでもまだ生きているのではないだろうか。やはり現代の民主主義は非常に不完全なまま、権力者の都合のいいように使われているにすぎないということなのだろうか?
・・・益々持って、いろんなことが腹立たしい。
これは メッセージ 1 (軽騎兵 さん)への返信です.
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