美味しんぼ日記
投稿者: dorawasabi5001 投稿日時: 2010/06/20 01:35 投稿番号: [16344 / 17759]
雁屋さん、沖縄と天皇の関係についても・・
★
・・話を続ける前に、今までに書いたことの中で、事実関係をきちんと示していない部分があったので、そこを補足する。
まず5月4日に書いた昭和天皇と沖縄の問題である。
敗戦後、昭和天皇の御用掛を勤めた寺崎英成という人物がいる。
その寺崎英成の残した「昭和天皇独白録」が1990年に発見され、それを文藝春秋社が発表し、当時大きな反響を巻き起こした。
「昭和天皇独白録」については、さまざまな研究書が出ている。
結果として、「昭和天皇独白録」は昭和天皇による自己弁護の書である。
当時の連合軍司令官マッカーサーは、天皇を日本支配の道具として使いたいと考えていた。
じつはこれは、マッカーサー個人の考えではない。
加藤哲郎・一橋大学教授が米国国立公文書館で発見した機密文書「Japan Plan」という物がある。
下記のページに、教授の詳しい記述が記載されているのでお読み頂きたい。
http://homepage3.nifty.com/katote/JapanPlan.html
これは、1942年6月3日の日付で作られた物である。
この中で、アメリカは既に戦後日本をどう取り扱うか構想を立てていた。
その構想とは、戦後、「天皇を平和の象徴として利用する」という戦略だった。
1942年6月と言えば、真珠湾攻撃からまだ半年しか経っていない。
その時期に、すでにアメリカは戦後の日本の取り扱いについての構想を立てていたのだ。
それも、思いこみによる構想ではない。日本を良く研究した上で、日本国民をどう取り扱えば占領政策が上手く行くか、論じているのである。
日本の指導者たちが、悠久の大義に生きるとか、皇道精神などと、現実離れしたことを譫言のようにいっている時に、アメリカは戦後の計画を冷静緻密冷徹に計画を立てていたのである。自分たちが勝つことを当然と考えている。
これだけ頭の程度に差があっては、戦争に勝てる訳がない。
・・ アメリカは最初から天皇を傀儡として使うつもりだったから、「東京裁判」に引っ張り出されて有罪にされたら困る。昭和天皇に戦争責任がない形にする必要がある。
そこで、寺崎英成がアメリカ側の意を体して、同時に昭和天皇自身が欲した保身のための術として作り上げたのが「昭和天皇独白録」である。天皇が東京裁判に引き出されるのを防ぐのが目的の弁明書だから、一般の目に触れることはなかった。
その「昭和天皇独白録」は1991年に、文藝春秋社から、半藤一利氏の解説を付けて発売された。
同書には「寺崎英成・御用掛日記」も加えられた。これは、寺崎英成の残した1945年8月15日から、1948年2月15日までの日記である。
その1947年9月19日の記録に、次のような一文がある。
「シーボルトに会ふ 沖縄の話 元帥に今日話すべしと云ふ 余の意見を聞けり 平和条約にいれず 日米間の条約にすべし」
これだけでは何のことだか分からないが、1979年にアメリカの公文書館で発見された文書が、一体それがどう言うことだったのか示した。
この文書は沖縄公文書館がそのコピーを入手し、以下のホームページで公開しているので、一度見て頂きたい。
http://www.archives.pref.okinawa.jp/collection/2008/03/post-21.html
そのページを開くと、その文書の内容についての簡単な説明があり、最後にPDF画像(2頁)と書かれている。
そこをクリックすると、原文のコピーが出て来る。
これは、マッカーサーの政治顧問のSebaldが、1947年9月20日づけで当時の国務長官マーシャルに宛てた手紙で、寺崎英成が、マッカーサーに伝えた天皇の言葉を報告した物である。
寺崎が伝えた天皇の言葉は、大略すれば次の通りである。
1.天皇はアメリが、沖縄と琉球諸島の軍事的占領を続けることを望む。
2.天皇は、アメリカの沖縄(必要であれば他の島々も)の軍事的占領は、主権は日本のままで、25年から50年またはそれ以上の長期リースの形で行われるのが良いと言った。
3.寺崎氏は、アメリが沖縄とその他の島々を、軍事的基地として獲得する権利は、日本とアメリカ二国間の条約とするべきで、連合国との平和条約の一部とするべきでない、と言った。
(主語は寺崎氏となっているが、この文書の性格として天皇の言葉を伝える物だから、この言葉も天皇の物と考えるのが自然だろう)・・
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・・話を続ける前に、今までに書いたことの中で、事実関係をきちんと示していない部分があったので、そこを補足する。
まず5月4日に書いた昭和天皇と沖縄の問題である。
敗戦後、昭和天皇の御用掛を勤めた寺崎英成という人物がいる。
その寺崎英成の残した「昭和天皇独白録」が1990年に発見され、それを文藝春秋社が発表し、当時大きな反響を巻き起こした。
「昭和天皇独白録」については、さまざまな研究書が出ている。
結果として、「昭和天皇独白録」は昭和天皇による自己弁護の書である。
当時の連合軍司令官マッカーサーは、天皇を日本支配の道具として使いたいと考えていた。
じつはこれは、マッカーサー個人の考えではない。
加藤哲郎・一橋大学教授が米国国立公文書館で発見した機密文書「Japan Plan」という物がある。
下記のページに、教授の詳しい記述が記載されているのでお読み頂きたい。
http://homepage3.nifty.com/katote/JapanPlan.html
これは、1942年6月3日の日付で作られた物である。
この中で、アメリカは既に戦後日本をどう取り扱うか構想を立てていた。
その構想とは、戦後、「天皇を平和の象徴として利用する」という戦略だった。
1942年6月と言えば、真珠湾攻撃からまだ半年しか経っていない。
その時期に、すでにアメリカは戦後の日本の取り扱いについての構想を立てていたのだ。
それも、思いこみによる構想ではない。日本を良く研究した上で、日本国民をどう取り扱えば占領政策が上手く行くか、論じているのである。
日本の指導者たちが、悠久の大義に生きるとか、皇道精神などと、現実離れしたことを譫言のようにいっている時に、アメリカは戦後の計画を冷静緻密冷徹に計画を立てていたのである。自分たちが勝つことを当然と考えている。
これだけ頭の程度に差があっては、戦争に勝てる訳がない。
・・ アメリカは最初から天皇を傀儡として使うつもりだったから、「東京裁判」に引っ張り出されて有罪にされたら困る。昭和天皇に戦争責任がない形にする必要がある。
そこで、寺崎英成がアメリカ側の意を体して、同時に昭和天皇自身が欲した保身のための術として作り上げたのが「昭和天皇独白録」である。天皇が東京裁判に引き出されるのを防ぐのが目的の弁明書だから、一般の目に触れることはなかった。
その「昭和天皇独白録」は1991年に、文藝春秋社から、半藤一利氏の解説を付けて発売された。
同書には「寺崎英成・御用掛日記」も加えられた。これは、寺崎英成の残した1945年8月15日から、1948年2月15日までの日記である。
その1947年9月19日の記録に、次のような一文がある。
「シーボルトに会ふ 沖縄の話 元帥に今日話すべしと云ふ 余の意見を聞けり 平和条約にいれず 日米間の条約にすべし」
これだけでは何のことだか分からないが、1979年にアメリカの公文書館で発見された文書が、一体それがどう言うことだったのか示した。
この文書は沖縄公文書館がそのコピーを入手し、以下のホームページで公開しているので、一度見て頂きたい。
http://www.archives.pref.okinawa.jp/collection/2008/03/post-21.html
そのページを開くと、その文書の内容についての簡単な説明があり、最後にPDF画像(2頁)と書かれている。
そこをクリックすると、原文のコピーが出て来る。
これは、マッカーサーの政治顧問のSebaldが、1947年9月20日づけで当時の国務長官マーシャルに宛てた手紙で、寺崎英成が、マッカーサーに伝えた天皇の言葉を報告した物である。
寺崎が伝えた天皇の言葉は、大略すれば次の通りである。
1.天皇はアメリが、沖縄と琉球諸島の軍事的占領を続けることを望む。
2.天皇は、アメリカの沖縄(必要であれば他の島々も)の軍事的占領は、主権は日本のままで、25年から50年またはそれ以上の長期リースの形で行われるのが良いと言った。
3.寺崎氏は、アメリが沖縄とその他の島々を、軍事的基地として獲得する権利は、日本とアメリカ二国間の条約とするべきで、連合国との平和条約の一部とするべきでない、と言った。
(主語は寺崎氏となっているが、この文書の性格として天皇の言葉を伝える物だから、この言葉も天皇の物と考えるのが自然だろう)・・
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