昔の日本は何でも ごり押しだったけど、ね
投稿者: todorigafuti 投稿日時: 2008/08/11 06:46 投稿番号: [15738 / 17759]
騙まし討ちは、真珠湾だけではない。2時間前(但し現地時間は12月8日で1日遅れる)に、マレー半島東岸(英国植民地のマレーとタイ王国)複数箇所に日本陸軍が上陸し、シンガポール攻略作戦を開始している。
統帥権をもつ日本軍の最高司令官は、大元帥(昭和天皇天皇)である、宣戦布告の権利も天皇が保有しているし、この大権を犯すことは誰にもできない。その天皇による宣戦布告は「大詔」で、東京時間12月8日午前11時40分に発せられている。これは、それ以前の軍事行動、攻撃を追認する意味しか見出せないが、攻撃後の宣戦布告となっている。このようにして、日本の攻撃は、太平洋上、アジア全土で行われているのであって、まさに12.7は、「米国にとって屈辱の日」である。
「ハル・ノート」への回答では、日米交渉打ち切りを告げてはいるが、明確な宣戦布告を述べていない。
そこで、これが真珠湾空襲以前に手交されて、「宣戦布告」が間に合っていた
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-としても、米国は日本から宣戦布告を受けてはいないという立場を採用したに違いない。
大日本帝国憲法では,宣戦布告の権限は,統帥権をもつ日本軍の大元帥(昭和天皇天皇)がもっており,天皇による宣戦布告の「大詔」は、1941年12月8日午前11時40分(東京時間)と,真珠湾攻撃の半日後に発せられている。
天皇、首相東條英機など日本の最高首脳陣が揃って出席した12月1日の御前会議が、宮中で開催され、そこで対米英戦争の宣戦布告が最終決定された。
大元帥昭和天皇は,真珠湾攻撃計画を以前から知らされており、対米英戦を主要閣僚の総意と国体護持を尊重して、裁可している。
これは メッセージ 1 (light_cavalryman さん)への返信です.
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