光市事件・・父親が依頼した弁護人
投稿者: dorawasabi5001 投稿日時: 2008/05/19 00:31 投稿番号: [15697 / 17759]
★・・それから今回の判決文の中には、
旧2審の弁護人が国選弁護人になって(00年)から、最高裁での弁論の期日(06年3月)が指定されるまでの間に296回もの接見をしている。
旧2審の弁護人がそれほどの回数の接見を被告人と重ねて、さらに「親代わり」として、衣服や現金の差し入れを行っている。
そんな立場の人になぜ、「新供述」を話せなかったのかが不自然だという。
そもそもまず、【彼の一審の弁護人は家庭内暴力を受けた父親が頼んだ私選弁護人でありました。】
父親は被害者遺族からの告訴も受けており、
【事実関係を争わず、なるべく早く裁判を終わらせるように当時の弁護人に要請していました。】
彼の弁護人ではなく、父親の方の弁護人であったといえるでしょう。
2審の弁護人は、絶縁状態となっていた父親の親代わりのような存在であったことは本人も法廷で確かに述べています。
しかし、この「親代わり」というところがポイントです。
弁護人ではなかった。当時の弁護人は幼い彼に事実関係を聞くのは困難と思っていた。
【また2審のときの裁判の争点は彼が友人に出した手紙の内容がほとんどであり、事件の実行行為や動機に関する事実関係を彼に接見で聞く必要もほとんどない。】
敬虔なキリスト教徒である元少年に対して、接見では一緒に賛美歌を歌ったりしたという。
父親が子供の様子を見る、顔を見るような感覚での接見だったと思われます。
したがってそれぞれの接見時間が極めて短い(弁護人接見の時間は基本的に無制限にもかかわらず)。
そして彼は最高裁の弁論が始まる06年2月、新しい弁護人と出会う。
彼が「新供述」を話す経緯は先週の「AERA」『現代の肖像」に書いたのでそちらを読んでほしい(私の原稿料に加算されるわけではないので、まあ買ってください)。http://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=9366
【「新供述」は弁護人には初めて話すことであっても、それ以前に出会った教誨師には同じようなことを話している。】
これも重要なポイントです。
事件直後の鑑別所の調査・記録などにも、「新供述」と同じような表現が出てくる。
果たして「旧供述」と「新供述」はまったく別のものなのか?
我々が普段経験するような会社の上司・同僚関係、家の中の家族関係、友人関係を考えてみても、たくさん会っているから、いつも会っているから何でも告白・相談するのであろうか。
・・親や家族だから逆に話せない、いつも会っている同僚や友人だから逆に話せないことだって数多い。家庭内暴力や学校・職場でのいじめなどはまさにそうではないか。
人間はそう簡単に何でも話すことはできない。話すことができる環境や相手とは、それまでの時間・間柄・関係では決まらないこともある。
ましてや彼は2人の人間を殺害しているわけである。どうやって人間を殺害したのか、そのときどんなことを考えていたのかを思い出すこと自体が苦しい。
それは今でも同じで、「思い出したくない事実」である。その苦しいことに対して、彼に一つ一つを聞き出す人がいなかった、そして彼が一つ一つ話すことができる相手がそれまでいなかったとしても不思議ではない。・・
2008-05-02 02:47
ネット上で記者会見
【共同通信から全国の加盟新聞社に配信】2008年04月23日
緊急識者評論「母子殺害死刑判決」(下)
大人の側の責任放棄 「術」を与えず、探さず
フリージャーナリスト・綿井健陽
「何度も自殺したいと思った。死にきれなかったけど。僕がやったことは少年事件なのに、少年として扱われていない。
また、大人なのかというと、大人としても扱われていない。僕は人間の道を外れたことをしでかしたから、人間として扱ってもらえないことも仕方ないけど」
「光市母子殺害事件」で死刑判決を受けた「事件当時十八歳の元少年」は今年三月一日、拘置所での接見に訪れた弁護人に対してこう答えた。(本文冒頭より)
http://watai.blog.so-net.ne.jp/
旧2審の弁護人が国選弁護人になって(00年)から、最高裁での弁論の期日(06年3月)が指定されるまでの間に296回もの接見をしている。
旧2審の弁護人がそれほどの回数の接見を被告人と重ねて、さらに「親代わり」として、衣服や現金の差し入れを行っている。
そんな立場の人になぜ、「新供述」を話せなかったのかが不自然だという。
そもそもまず、【彼の一審の弁護人は家庭内暴力を受けた父親が頼んだ私選弁護人でありました。】
父親は被害者遺族からの告訴も受けており、
【事実関係を争わず、なるべく早く裁判を終わらせるように当時の弁護人に要請していました。】
彼の弁護人ではなく、父親の方の弁護人であったといえるでしょう。
2審の弁護人は、絶縁状態となっていた父親の親代わりのような存在であったことは本人も法廷で確かに述べています。
しかし、この「親代わり」というところがポイントです。
弁護人ではなかった。当時の弁護人は幼い彼に事実関係を聞くのは困難と思っていた。
【また2審のときの裁判の争点は彼が友人に出した手紙の内容がほとんどであり、事件の実行行為や動機に関する事実関係を彼に接見で聞く必要もほとんどない。】
敬虔なキリスト教徒である元少年に対して、接見では一緒に賛美歌を歌ったりしたという。
父親が子供の様子を見る、顔を見るような感覚での接見だったと思われます。
したがってそれぞれの接見時間が極めて短い(弁護人接見の時間は基本的に無制限にもかかわらず)。
そして彼は最高裁の弁論が始まる06年2月、新しい弁護人と出会う。
彼が「新供述」を話す経緯は先週の「AERA」『現代の肖像」に書いたのでそちらを読んでほしい(私の原稿料に加算されるわけではないので、まあ買ってください)。http://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=9366
【「新供述」は弁護人には初めて話すことであっても、それ以前に出会った教誨師には同じようなことを話している。】
これも重要なポイントです。
事件直後の鑑別所の調査・記録などにも、「新供述」と同じような表現が出てくる。
果たして「旧供述」と「新供述」はまったく別のものなのか?
我々が普段経験するような会社の上司・同僚関係、家の中の家族関係、友人関係を考えてみても、たくさん会っているから、いつも会っているから何でも告白・相談するのであろうか。
・・親や家族だから逆に話せない、いつも会っている同僚や友人だから逆に話せないことだって数多い。家庭内暴力や学校・職場でのいじめなどはまさにそうではないか。
人間はそう簡単に何でも話すことはできない。話すことができる環境や相手とは、それまでの時間・間柄・関係では決まらないこともある。
ましてや彼は2人の人間を殺害しているわけである。どうやって人間を殺害したのか、そのときどんなことを考えていたのかを思い出すこと自体が苦しい。
それは今でも同じで、「思い出したくない事実」である。その苦しいことに対して、彼に一つ一つを聞き出す人がいなかった、そして彼が一つ一つ話すことができる相手がそれまでいなかったとしても不思議ではない。・・
2008-05-02 02:47
ネット上で記者会見
【共同通信から全国の加盟新聞社に配信】2008年04月23日
緊急識者評論「母子殺害死刑判決」(下)
大人の側の責任放棄 「術」を与えず、探さず
フリージャーナリスト・綿井健陽
「何度も自殺したいと思った。死にきれなかったけど。僕がやったことは少年事件なのに、少年として扱われていない。
また、大人なのかというと、大人としても扱われていない。僕は人間の道を外れたことをしでかしたから、人間として扱ってもらえないことも仕方ないけど」
「光市母子殺害事件」で死刑判決を受けた「事件当時十八歳の元少年」は今年三月一日、拘置所での接見に訪れた弁護人に対してこう答えた。(本文冒頭より)
http://watai.blog.so-net.ne.jp/
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