Re: 神をエネルギーに求めても、
投稿者: leben_oder_sterben 投稿日時: 2005/11/06 03:32 投稿番号: [12827 / 17759]
これは神をエネルギーに求めるという意味ではなく、全てはエネルギーであるという意味です。だから、当然イエスも、ゼウスも、我々人間も、ありとあらゆる物はエネルギー体であるということ。
東洋ではこれを「気」と言いますね。
森羅万象全て気(エネルギー)を持っており、気を発している。
気には質量がある。
こうなると、物理学と宗教がリンクしてくるわけです。
「量子論と道(タオ)」が符合すると言うことも、既に言われています。
こんな点から、イラクトピの理系の人達がこの手の話題に興味を持ったというのも頷けるわけです。
だから、ここは多神教とか一神教とかといった枠で考えるようなものではないというのが私の認識。
ちなみに、(宇宙)物理学博士の佐藤勝彦氏の、「宇宙はわれわれの宇宙だけではなかった」などの一連の本も何か示唆してくれるかも知れない。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4569576486/qid=1131212783/sr=8-7/ref=sr_8_xs_ap_i7_xgl74/249-2105994-1132342
あと、先日京都大学でのフォーラムに、遺伝子学の第一人者でもある農学博士の村上和雄氏が講演があった。村上氏は、遺伝子工学の研究から「感性と遺伝子は繋がっている」ことを究明。彼は宇宙の意志を「サムシンググレート」と称している。村上氏曰く「これまではサムシンググレートからのメッセージは宗教が説いてきた。21世紀は、科学者がそれを語る必要がある」と語っていた。
以下は、村上和雄氏他共著の「脳+心+遺伝子VS.サムシンググレート―ミレニアムサイエンス 人間とは何か」
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4198611564/qid=1131212984/sr=1-3/ref=sr_1_10_3/249-2105994-1132342
いずれにしても、この手の話をし出すと切りがない。無駄とは言わないが、それぞれの言葉の概念が違うこともあったりで、実に骨の折れる議論となるし、いたずらに時間を要するから、そろそろこの辺で打ち切りにしたい。
それと、究極の部分は理屈でなく、体感や直感を通さなくては認識し得ない部分も多い。であればこそ、禅の世界では真理の伝達において、「不立文字(ふりゅうもんじ)」だと言ったし、釈迦が真理を伝えるのを、10人の弟子の内、最も直感力の優れた摩訶迦葉(まかかしょう)にのみ伝えたという「拈華微笑」の挿話がわるわけです。
「拈華微笑」に関するほのぼの訳
http://www.cc.rim.or.jp/~tomoe/novel/semi/6-0.htm
東洋ではこれを「気」と言いますね。
森羅万象全て気(エネルギー)を持っており、気を発している。
気には質量がある。
こうなると、物理学と宗教がリンクしてくるわけです。
「量子論と道(タオ)」が符合すると言うことも、既に言われています。
こんな点から、イラクトピの理系の人達がこの手の話題に興味を持ったというのも頷けるわけです。
だから、ここは多神教とか一神教とかといった枠で考えるようなものではないというのが私の認識。
ちなみに、(宇宙)物理学博士の佐藤勝彦氏の、「宇宙はわれわれの宇宙だけではなかった」などの一連の本も何か示唆してくれるかも知れない。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4569576486/qid=1131212783/sr=8-7/ref=sr_8_xs_ap_i7_xgl74/249-2105994-1132342
あと、先日京都大学でのフォーラムに、遺伝子学の第一人者でもある農学博士の村上和雄氏が講演があった。村上氏は、遺伝子工学の研究から「感性と遺伝子は繋がっている」ことを究明。彼は宇宙の意志を「サムシンググレート」と称している。村上氏曰く「これまではサムシンググレートからのメッセージは宗教が説いてきた。21世紀は、科学者がそれを語る必要がある」と語っていた。
以下は、村上和雄氏他共著の「脳+心+遺伝子VS.サムシンググレート―ミレニアムサイエンス 人間とは何か」
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4198611564/qid=1131212984/sr=1-3/ref=sr_1_10_3/249-2105994-1132342
いずれにしても、この手の話をし出すと切りがない。無駄とは言わないが、それぞれの言葉の概念が違うこともあったりで、実に骨の折れる議論となるし、いたずらに時間を要するから、そろそろこの辺で打ち切りにしたい。
それと、究極の部分は理屈でなく、体感や直感を通さなくては認識し得ない部分も多い。であればこそ、禅の世界では真理の伝達において、「不立文字(ふりゅうもんじ)」だと言ったし、釈迦が真理を伝えるのを、10人の弟子の内、最も直感力の優れた摩訶迦葉(まかかしょう)にのみ伝えたという「拈華微笑」の挿話がわるわけです。
「拈華微笑」に関するほのぼの訳
http://www.cc.rim.or.jp/~tomoe/novel/semi/6-0.htm
これは メッセージ 12824 (T_Ohtaguro さん)への返信です.
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