「万里の長城」は国境線
投稿者: moccusboccus 投稿日時: 2003/12/11 14:56 投稿番号: [999 / 9338]
>北京北方の数百㌔を除くと、モンゴル高原と中華の黄土大地に自然の障害は存在しないんだよ。
ですから長城造営の意思は騎馬民族との防衛もさることながら、ここからがオラの土地だ!
つまり国境線という、シンボルチックなものであっただろうと推測もされているようだよ。
私は「万里の長城」に行ったこともあるし、それを越えて満州や、モンゴル高原、ゴビ砂漠なども歩き回ったが、確かに北京郊外の山岳部を除けば、禿山となだらかにうねる丘陵、その彼方は大草原と砂漠ばかりで、実に見通しがよい。現在は満州では農業、工業も盛んだが、かつてはこの地はえんえんと荒野が広がり、遊牧騎馬民族が闊歩していたのだろうなと容易に想像できる。満州の延長線上のモンゴルでは、今もパオを住居として昔ながらの遊牧生活を営んでいる人も多い。
要するに「万里の長城」を境に、地形ががらりと違っているのである。
そういう意味からいうなら、確かに「万里の長城」は、古代から農業を営み人口密度が高く早くから文明も開花していた漢民族が、荒野が果てしなく続き人口も疎らで領土意識も希薄だった周辺遊牧異民族に対して、「ここからは我々の土地だ」という意思表示のために造ったのだろうね。
「万里の長城」の各所に設けられた櫓に登り、内と外とを見比べた時、そんな実感があったよ。
これは メッセージ 996 (hendazo04 さん)への返信です.
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